Wed 140611 上野の栄光 海の向こうはUSA ☞ 日立の大盛況 おいしゅーございました | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 140611 上野の栄光 海の向こうはUSA ☞ 日立の大盛況 おいしゅーございました

 祇園祭のコンチキチンに7月のクマの心は逸るけれども、そんなことばかりに夢中になっていられないのが現代人のツラいところ。日々のマジメなお仕事をキチンとこなさないで「お祭りだ♡お祭りだ」と騒いでいれば、「言語道断に不真面目なオヤジ」とイヤなレッテルを貼られてしまう。
 そこでマコトにマジメなツキノワグマどんは、今日も今日とて日々のお仕事にいそしむことにする。7月3日のクマ君は、夕方から茨城県日立市でお仕事。茨城県に行くには、「常磐線」といふものに乗車しなければならない。といふことは、オウチからまず目指すのは上野駅である。
 この4半世紀、上野ほど下降線をたどってきた存在は日本国内に例を見ない。ホンの25年前まで、北日本のヒトビトにとって憧れの晴れの舞台。「上京します」「大学に入りました」ということになれば、東北の人も北海道の人も上信越の人も、何はともあれ上野行きの列車に乗り込んだ。
 当時の上野駅には「上のホーム」「下のホーム」の2種類があった。上のホームは1番線から12番線まで、下のホームは13番線から20番線まで。北国からの長距離電車は、ほぼ例外なく下のホームに到着した。
日立1
(茨城県日立の大盛況 1)

 かく言う今井君も、元はと言えば秋田からの上京組。奥羽本線経由の特急「つばさ」、羽越本線☞上越線経由の特急「いなほ」で、秋田から上野まで8時間。今ならインドのムンバイに到着するほどの長い長い旅の果てに、ほうほうのていで上野にたどり着いた。
 やがて実家は秋田から盛岡へ、盛岡から仙台へと移動。途中1年だけ埼玉県大宮に移転したけれども、キホン今井君は東北のクマ。盛岡なら「やまびこ」か「みちのく」で6時間。仙台なら「ひばり」で4時間。いやはや、常に上野と付きあいながら、こうして立派なオジサンに成長したのである。
 ところが諸君、20世紀終盤になって「東北新幹線」という言語道断なシロモノが登場する。人類の歴史上これほど無粋(ブスイ)なものは考えられないので、コイツの登場によって東北は東北でなくなり、上野駅の栄光もその瞬間にプツリと途絶えてしまった。
 「東北が東北でなくなった」ことについては、4~5日の旅をしてみればわかる。むかし懐かしい東北訛りは消滅し、あたたかな訛りさえ聞けない土地には、独自の豊かで優しい文化も感じられない。その最も甚だしいのが宮城県仙台市であって、あまりにスマートになった21世紀の仙台は、要するにプチでスモールな東京であるに過ぎない。
ホテルからの眺め
(ホテル・テラス・ザ・スクエア7階からの風景。HITACHI & 太平洋)

 上野の栄光も、かつてここに栄光があったことさえ信じがたいほど、まさに風前のトモシビ。宇都宮線と名前を変えてしまった東北本線と、高崎線&常磐線の中距離電車は今でも上野が終着だが、沿線のヒトビトは「上野では時代に取り残されるから、一刻も早く東京駅に乗り入れてほしい」と口を揃えるのである。
 永遠に新幹線をつくってもらえそうにない常磐線には、「スーパーひたち」というスーパー特急が走っている。「すんごく、ひたち」。恐るべき命名だが、沿線の人はおそらく永遠に「すんごく、ひたち」に乗り続けるしかないのである。
 4年前、民主党への政権交代のとき、民主党を囃し立てることに夢中だったメディアは「地方に立派な道路をつくるのはムダ」「田舎を走る新幹線なんてモッタイナイ」と決めつけてしまった。田園地帯に対するマコトに失礼な発言にしか思えないが、「思わず出たホンネ」こそ、彼らの心の底にへばりついたホンネ中のホンネなのである。
日立2
(茨城県日立の大盛況 2)

 そこで今井君は、ホントにホントに寂れてしまった上野駅のホームから、「すんごく、ひたち」に乗り込んだ、最初の停車駅は水戸。「すんごく、ひたち」だけあって、柏も土浦もみんな無視。ヤケっぱちで乱暴な高速で、茨城の水田やレンコン畑をつんざくように走り抜ける。
 水戸の次は勝田、勝田の次が目指す日立。勝田を過ぎたあたりから、沿線は延々と日立製作所に占拠されていて、右も左もぜーんぶ日立製作所だ。おお、「すんごく、日立」。さすがに「技術の日立」「INSPIRE THE NEXT」であって、「目のつけどころがシャープでしょ?」みたいな軽い世界とは無縁の重々しさである。
 ただし今井君は、「このーき♡なんのき♨きになるきー」ってのはキライである。「見たこともない木ですから、見たこともない木になるでしょう」とか、人に媚を売るようなことを言ってないで、日立は日立らしくあくまで重厚長大に、「重厚長大、何が悪い」と開き直っていてほしいのだ。
ケーキ
(日立でいただいたケーキ。おいしゅーございました)

 日立駅のすぐ前まで太平洋が迫り、諸君、その向こうはもうアメリカである。「海の向こうはアメリカなんだ」という実感は、この間ポルトガルのロカ岬を訪れたとき以来である。あの時はあんまり感激したので、わざわざ首都リスボンから2回も連続してロカ岬までの往復をやってのけた。
 「2回連続して」と気楽に言ふけれども、なかなか難行苦行の旅である。リスボンから中距離電車で海岸沿いにカシュカイシュの街まで1時間。カシュカイシュで路線バスに乗り換えて、さらに1時間以上かかる。
 さすがのMac君もすぐに「カシュカイシュ」「ロカ岬」と理解してくれず、「歌手か異種」とか「露神崎」「露か美咲」とか、フザケた変換を繰り返す。この記事を書くのも、また難行苦行の一種なのである。
日立3
(茨城県日立の大盛況 3)

 で、「海の向こうはアメリカ」という意味ではロカ岬と同じ感激をもたらしてくれる茨城県日立に到着。お仕事は19時半にスタート、21時に終了、出席者は約250名。梅雨の雨がシトシト&ピッチャン♡シト&ピッチャンな夕暮れであったが、そんな鬱陶しいお天気をカンタンにはね返す大盛況になった。
 保護者の皆さんや高校の先生方も50人近くが参加。いやはや、250人で90分、前代未聞の大爆笑を繰り返した。こんなに明るい雰囲気の校舎なら、今後の大発展は確実だ。例えMac君に「第八点」と茶化されようと、大発展にはとにかく明るく笑い続けることが大切なのだ。
 お仕事前にいただいたケーキも、たいへんおいしゅーございました。終了後☞祝勝会のイタリア料理も素晴らしくおいしゅーございました。本来ならとっくに閉店の時間なのに、クマ蔵の来店に対応して23時まで特別に営業を続けてくださった優しいマダムに大いに感謝でござる。
 お料理の中でも、常陸牛のフィレステーキ、ウルトラおいしゅーございました。アブラを抑制したホンマモンの肉の旨味は、本場・アルゼンチンのステーキにも決してヒケをとるものではございませぬ。
 せっかく「笠間産のアスパラガス、おいしいですよ」とニッコリしてくれたマダムの笑顔にも関わらず、コドモっぽい今井君は「野菜がキライ」。おやおや、この点は「ホントに申し訳ございませんでした」と、素直に謝るしかない7月のクマ君であった。

1E(Cd) Joe Sample:RAINBOW SEEKER
2E(Cd) Joe Sample & Lalah Hathaway:THE SONG LIVES ON
3E(Cd) Marc Antoine:MADRID
4E(Cd) Ornette Coleman:NEW YORK IS NOW!
5E(Cd) Miles Davis:THE COMPLETE BIRTH OF THE COOL
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