Mon 140602 誕生日である 急行「千秋」の思ひ出 栄屋ホテル 来し方行く末を思う | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 140602 誕生日である 急行「千秋」の思ひ出 栄屋ホテル 来し方行く末を思う

 6月26日、今日は今井君のお誕生日である。時の経つのはマコトに早いもので、つい最近生まれたばかりと思っていたら、どんどん年齢ばかりが積もりに積もって、気がつけば今年で796歳だ。今や予備校の世界で今井クマ之進ほどの長老は類を見ない。
 長老は長老らしく、口に出して言えば若者たちに嫌われるようなことでも、恐れずにキッパリと発言しなければならない。生徒諸君には連日のように「日々の音読に努める以外に語学力の充実はありえない」と語り、努力の継続なしにミラクルやウルトラを期待する怠惰を諌め続けている。
 しかしどんな長老になっても、やっぱり時には寂しさを感じることもある。なかなか伸びない成績に憂鬱そうに肩を落としている者、愕然&茫然とするような模試の得点を眺めながら努力の放棄を考えはじめてしまった者、そういう諸君の姿に接すれば、思わず甘いコトバの一つぐらいは投げかけてあげたくなるのである。
 だが諸君、まだ今井君にはそこでグッと踏みとどまるシッカリした胆力が残っている。もう4年も経過して年齢800歳に到達すれば、長い眉毛の優しい好々爺になって、「いいんじゃ♡いいんじゃ、試験の成績だけが人間の価値ではないからのぉ。がは、がっはっはっはっはぁー」とヨダレを垂れ流すことになるかもしれないが、その境地に達するにはまだ今井君は若すぎる。
きてけろ
(山形県はいま「山形日和」のキャンペーン中。県の形のキャラクター「きてけろくん」が可愛い)

 誕生日を4日後に控えた6月22日、卑弥呼の時代の友人の招きで山形県天童を訪れた。天童は、幼い今井君の思い出の地である。むかしむかしそのむかし、父方の伯母が旦那と天童に居を構えていて、幼いクマちゃんは1年に3~4回のペースで天童を訪れた。
 当時はまだあまり「温泉」としてクローズアップされていなかったように思う。温泉が掘り出されたのが1911年だから、もう開湯百年になる名門であるが、幼いクマ之進が頻繁に訪れた天童は、見渡すかぎりの田んぼの中に、ブドウやナシの果樹園がポツリポツリを混じる山間の農業地帯であった。
 父に連れられて秋田から天童に向かう時は、必ず国鉄の急行「千秋」を利用した。試しに当時の時刻表を開いてみると、その運行経路の複雑さに目が回る思いがする。いやはや、昔の国鉄は信じがたいほど複雑な運行を平気でこなしていたのであるね。
山形日和
(山形日和、全体図。天童駅ホームで。後方は山形新幹線の新型車両)

 秋田始発、奥羽本線経由で山形県米沢まで行く急行「千秋」は、13時50分に秋田駅を出発。この時、仙台行き急行「千秋2号」と、盛岡行き急行「南八幡平2号」、合計3つの急行が連結されている。15時01分、大曲に到着。田沢湖線経由で盛岡に向かう「南八幡平2号」を、ここで切り離す。
 「千秋」と「千秋2号」は、夕暮れ迫る院内峠を越えてひたすら南下を続け、16時42分、山形県新庄に到着。「千秋2号」はここで切り離しになり、陸羽東線を経由して仙台を目指す。
 ところが今度は西のほうから別の急行がやってきて、「千秋」に連結される。酒田発、陸羽西線を通ってやってきた急行「もがみ」である。「別れた直後、すぐに別のとくっついちゃうのは、いかがなものか?」みたいな、何だか怪しい世界である。
 「もがみ」とくっついた「千秋」は、再び南下を始める。季節が夏なら右の窓から差し込む西日に悩まされるが、冬ならこのあたりで車窓は早くも闇に包まれる。天童に到着、17時43分。幼いクマ之進が伯母の家を訪ねるのは冬が多かったのか、いつでも天童駅は闇の中だった。
 時刻表によると、その後も「千秋」の旅は続き、「くっついたり離れたり」は終わらない。山形駅に到着、18時05分。ここで仙台から仙山線を経由してやってきた新潟行き「あさひ2号」と連結。「千秋&もがみ」の終点・米沢で「あさひ2号」は切り離され、米坂線を経由して新潟を目指すのである。
きてけろケーキ
(きてけろ君のケーキバージョン。他に「きてけろカクテル」なんてのもある)

 これほど複雑な運行計画を作る必要がどこにあったのか分からないが、3~4両の気動車急行を連結したり切り離したり、さぞかし当時の国鉄職員は忙しかっただろう。秋田・盛岡・酒田・新庄・仙台・山形・新潟、東北の街をクンズ♨ホグレツ繋ぎまくったおかしな急行を乗り回しながら、幼いクマ之進は地理を覚えていったわけである。
 伯母の家に着くと、とにかくたくさんの果物に驚かされた。山形盆地は豊かな果樹園で有名。さくらんぼ、何種類ものブドウ、ナシにモモ。むかしのモモのタネの回りには、「芯喰い虫」という恐るべき虫が隠れていることがあって、今井君は今でも若干モモが苦手だが、それを除けばコドモには嬉しい盆地なのであった。
 まだ「練炭アンカ」などというものがあった時代である。山形の冬の夜は尋常じゃないほど冷えるから、寝る前に蒲団の中に練炭アンカを入れた。
 その練炭アンカで、父が右のスネにヒドいヤケドを負った。長時間にわたってジワジワ進んだ低温ヤケドであったが、だからこそ深くまでヤケドが進み、伯母が慌ててアロエを塗りまくったけれども、全く効果ナシ。傷は長く残って、お風呂に入るごとに痛みにずいぶん顔を顰めていたようである。
 父も伯母も伯母の旦那もとっくにこの世を去って、もう天童に親戚は残っていない。というか、今井君と同年代のいとこたちは間違いなく存在するのであるが、親戚づきあいが苦手なクマ君が冠婚葬祭からも逃げ回っているうちに、準・音信不通になってしまった。
栄屋ホテル
(天童温泉「栄屋ホテル」のエントランス)

 最後に天童を訪れたのは、伯母の旦那のお葬式の時である。山形新幹線が新庄まで開通した直後であったから、21世紀に入ったか、それともまだ20世紀だったか、マコトに微妙な頃である。天童駅からクルマで20分あまり、芭蕉が岩にしみいるセミの声に感激した山寺・立石寺にほど近い、とある山の中の小さなお寺だった。
 雪のタップリ残った早春のお葬式である。明るい午前の日光が、雪を真っ白に照らして眩しかった。むかし見覚えのある親戚の人たちが、みんなシワくちゃのジーチャン&バーチャンになって、暗い本堂にズラズラと居並んでいた。
 お葬式が終わって外に出てみると、さすがにまだ春浅い山形盆地であって、天候が急変していた。さっきまで遠くに青く並んでいた春の山々はすっかり雲に隠れ、冷たい微風に粉雪が舞った。親戚のジーチャン&バーチャンへの挨拶もそこそこにタクシーで天童駅を向かったのであるが、今井君の天童訪問は、あれ以来およそ15年ぶりということになるのであった。
お部屋
(栄屋ホテル505号室「紅」。手前の畳が寝室、向こう側に7~8人収容の会議室風別室がついている)

 今回宿泊したのは「天童温泉・栄屋ホテル」。秘密会議だって開けるような、立派なテーブルのある別室つき。こんな大きなお部屋を4人で占領して、夜が更けるまで語り合い、豪華な夕食を堪能し、少し熱めの温泉を満喫した。諸君、夏スケジュール後半に向けて、こんなに素晴らしいブレークは他に考えられない。
 朝5時、他のオジサマたちの激しいイビキにふと目覚めたクマ之進は、むっくり起き上がって朝風呂に入りにいくことに決めた。夏至の直後とはいえ、さすがに夜明けの温泉に他の客はいない。朝日に照らされたお湯に一人静かに浸かって、以上のような「来し方」を思い、これからの「行く末」を考えた。
 誕生日を目前にした中年グマにとって、シミジミ来し方行く末を思うなんてのは、これ以上考えられない贅沢なひとときである。いやはや、その後コッソリ一人で飲みほした缶ビール2本がどれほど旨かったか、若い諸君には想像もつかないに違いない。

1E(Rc) Bernstein & NY:SHOSTAKOVICH/SYMPHONY No.5
2E(Rc) Bernstein & NY:SHOSTAKOVICH/SYMPHONY No.5
3E(Cd) Madredeus:ANTOLOGIA
4E(Cd) Karajan & Berliner:BACH/MATTHÄUS-PASSION 1/3
5E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 9/18
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