Sat 140531 ビックリマークの氾濫 実力で悠然と 静岡でお仕事 山形県天童に出発する | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 140531 ビックリマークの氾濫 実力で悠然と 静岡でお仕事 山形県天童に出発する

 諸君、今度こそ「運命の」と形容していいコロンビア戦が目前に迫った。クマ蔵どんも明日は朝5時から起きて、テレビの前で90分、一人で絶叫を続けようと思う。今日はこれから四国の高松に「ヒコーキでビューン」をやり、高松でのお仕事は19時から21時まで。早めにベッドに入って、ホテルの部屋でのテレビ観戦に備えるつもりだ。
 十分に予想できたことだが、日本のメディアは新聞もテレビも「ミラクル」「奇跡」の大洪水。「ミラクルを待ちわびる」「奇跡を起こせ」の大合唱になっている。新聞のテレビ欄をちょっと見てみたまえ。そこにどれだけのビックリマークが存在するか、試しに一度数えてみるといい。
 今井君は、どうもこの大合唱と「!」の大洪水が心配なのである。勝利とは、鍛え上げた実力を見せつけながら粛粛と獲得するもの。それに対してミラクルor奇跡待望論は、要するに「神懸かり」「神頼み」ということであって、神懸かりと神頼みにビックリマークの絶叫がセットになると、どうも太平洋戦争末期の日本を想起せざるを得ない。
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(6月21日、静岡でお仕事 1)

 サムライを名乗るからには、孤独にひたすら力を鍛え、自らの実力のみを恃み、神懸かりになることも神頼みに堕することもなく、大局を見通した戦略と鋭利鋭敏な戦術を常に磨いて、満々たる自信をもって戦場に臨む覚悟ができていなければならない。
 つまりサムライとは、軽々しく神懸かりや神頼みに堕することのあってはならない存在なのだ。「神様、おねげーでふごぜーやす、奇跡をおこしておくれでねーかね?」というのでは、あんまり勇ましい姿とは思えない。
 むしろ「むふふふふ、見ておれ。目にもの見せてくれるわ♨」と沈黙し、その沈黙すら、相手を縮み上がらせる満々たる底力を秘めていて然るべきなのだ。ビックリマークなんてのはハッキリ論外であって、緻密な戦術を忘れて震えながら絶叫してしまう者は、すでに心も精神も戦いの場に相応しくないのである。
 以上の意味をこめて、CMの今井君は「奇跡なんか起こさなくていいから、その代わり、どんどん進んでいこう」と諭すのだ。テレビのサッカー中継アナが「奇跡を起こしましょう!!!!」と絶叫した直後に、今井君が余りにも冷静な口調でCMに登場し、上記のセリフを約4秒ツブヤクことになっている。
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(6月21日、静岡でお仕事 2)

 諸君、その勇姿に熱い喝采を送ってくれたまえ。これは、熱くなりすぎて本来あるべき姿を見失っているヒトビトを諌める、大長老の含蓄のこもったヒトコトなのだ。あえてこのヒトコトをCMに選択してくださった関係者各位に深く感謝している。
 我々は正々堂々と、実力で悠然と勝利するのじゃ。選手たちの長く激しい努力の結実を信じればいいので、そこに神懸かりや神頼みの入り込むスキはない。それが分からずにビックリマークをつけて絶叫するのは、不安に耐えられなくなって震えている証拠かもしれんのじゃ。
 ひたすら冷静に戦況を見つめよう。そして、実力を100%発揮して勝利をつかんだら、その時こそ朝日に向かって勝利の雄叫びを上げようではないか。今井君は、明朝7時、日本中が時ならぬ大歓声で包まれることを信じている。繰り返すが諸君、それを「奇跡」の名で呼ぶなかれ。我々は実力で悠然と勝つのである。
 ついでに、「コートジボアールの敗戦をひたすら願う」という態度も、サムライを名乗るものには相応しくない。万が一「日本は勝ったがコートジボワールも勝っちゃった」ということになったら、サムライなら潔く脱帽してこの場を去り、捲土重来を期すべきである。
 「最後まであきらめない」のは当然であるが、ライバルの敗戦をひたすら祈念するのは、少なくともサムライ像からは最も遠いもの。他者の敗北に小躍りする態度は、我々の最も嫌悪するものであるとともに、しばしば日本人が諸外国の喝采と尊敬の対象となるのは、そうした卑怯未練と無縁でいつづけるからこそに他ならない。
12621 行くぜ東北
(6月22日、クマ蔵は「行くぜ、東北」をやることにした)

 諸君、さらに言うが、以上と全く同じことが受験勉強にもあてはまる。努力の成果を信じずに奇跡の神の降臨のみを祈り、今日のノルマ達成よりも偶然のミラクルを期待し、単語も文法もないがしろにして「合格するぞ!!」と絶叫することばかりに興じていれば、そこにはマコトにだらしない受験生集団しか生まれない。
 6月21日午後3時の今井君は、名古屋から新幹線「ひかり号」に飛び乗って静岡に向かった。ホントは名古屋の高校の先生方と楽しい祝勝会をやりたかったのだが、17時から地元テレビのインタビュー、19時から静岡校の生徒たちのためのお仕事、こんなふうにスケジュールが詰まっていれば、ワガママは言っていられない。
12622 天童駅
(6月22日午後1時、山形県天童の駅に到着)

 19時、静岡には約100名の生徒諸君が集まった。「酸欠寸前」といういつもの状況の中、今井君が静岡の高校生100名に熱く語りかけたのは、今日の記事に記した「ミラクルではなくて、あくまで実力で悠然と」という話なのであった。
 話している今井君自身がビックリするほど、生徒諸君は以上の話を素早く理解してくれた。話の冒頭から、大きく頷いてくれる生徒ばかりだった。女子は小さく指で喝采しながら深く頷き、男子は背中をのけぞらせて明るく笑い、「そうだ」「そのとおりだ」というふうに互いに顔を見合わせて頷きあった。
 これほど「ミラクル」と「奇跡」とビックリマークが氾濫している国で、一番カッカしているはずの世代の若者が、実際には最も正しく状況を把握しているのかもしれない。というか、受験の真っただ中にいる彼ら彼女らこそ、「絶叫で勝つのではない」ことを、おそらく知り抜いているのである。
12623 杉本さんと
(静岡校にて。静岡放送の杉本サンと)

 これに先立って、静岡放送のワイドショー用に、30分ほどインタビューを受けた。もちろんネタバレ防止のためにも、中身については一切触れることができない。
 しかし諸君、これはご本人の同意も得ているのであるが、撮影を担当してくれた静岡放送の杉本サンが、今井君と余りに雰囲気が似ていらっしゃるのに驚かされた。せっかくだから、撮影を行った教室で一緒に写真に収まってみた。
 さて、静岡から深夜にオウチに帰ったクマ蔵どんは、翌22日早朝にはもうオウチを出て、山形県天童市に向かった。卑弥呼の時代の頃の古い友人の招きで、ゆっくりお蕎麦を楽しみ、のんびり温泉につかりに行くのである。
 初夏の山形・オジサマ湯けむり紀行の予定は、1泊2日。セミの声が岩にしみいる山寺を訪ね、さくらんぼと板蕎麦で思うぞんぶん満腹し、肉体がドロドロ溶けだすほど温泉につかって、翌朝の新幹線で帰京する予定。マコトに忙しいが、「夏スケジュール」後半戦に向かって、十分に英気を養ってこようと思う。

1E(Rc) Antal Doráti & Detroit:STRAVINSKY/LE SACRE DU PRINTEMPS
2E(Rc) Collegium Aureum:ヘンデル・オルガン協奏曲集
3E(Rc) 高橋アキ:Erik Satie「夢見る魚」
4E(Rc) Coltrane:KULU SÉ MAMA
5E(Rc) Françoise Hardy:A suivre …
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