Tue 140506 アミアンの和約 ボクチンが小4だったら(ヨーロッパ40日の旅 拡大編4) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 140506 アミアンの和約 ボクチンが小4だったら(ヨーロッパ40日の旅 拡大編4)

 1802年3月、イギリスとフランスの間で締結されたのが「アミアンの和約」。イギリス側がアディントン、フランス側がナポレオンで、マルタ島・エジプト・ナポリ・ローマ教皇領など、ヨーロッパ周辺をまるでピザでも分け合うように好き勝手にやり取りして、何とか勢力均衡をはかった。
 こんないい加減な話が長続きするわけはなくて、「アミアンの和約」の賞味期限はマコトにあっけなくやってくる。1年あまり経過した1803年5月、ヨーロッパはいよいよ本格的なナポレオン戦争に突入することになった。
 どうやらナポどんは、笑顔でアミアンの和約に調印しながら、すでにこの成り行きを予測していたように思われる。いやはや、イヤなヤツでござる。そんなヘンテコなボーシかぶって馬に跨がり、カッコよく右手を掲げてポーズなんかとってる場合じゃないでござるよ。
アミアン1
(アミアン大聖堂で)

 拡大編4日目、今井君はそのアミアンを訪れる。パリ・北駅から急行電車に乗って1時間半、アミアンの駅は何となく不穏な雰囲気だ。それもそのはず、アミアンで暴動は珍しくない。
 この20年に限っても、アミアンの北部地区から発生した暴動は、1994年、1999年、2000年、2006年、2008年。20年で5回もの暴動が起こっていれば、敏感なクマどんの鼻が何となく危険を嗅ぎつけるのも不思議ではない。
 それでも諸君、幼い頃から「難しい子」のレッテルを貼られてきた今井君は、このチャンスにどうしてもアミアンを訪れておきたかった。何と言ってもフランス最大の大聖堂を見たいし、ナポ君が(おそらく)偽りの和約を結んでヨーロッパを大戦乱に巻き込むキッカケになった町の空気を、一度でいいから呼吸してみたかった。
 だって諸君、ヨーロッパはそのまま1945年に至るまで150年、領土を奪った奪われたで戦争を繰り広げつづけたのである。アミアンは、言わば「150年戦争」の始まりの地。「そんな所に行って、何が面白いんだ?」どころではない。世界中のヒトビトが一度ここを訪れて、「どうやったら平和が実現できるんだろう」と、真剣に考えるべきなのだ。
アミアン2
(アミアン、ノートルダム大聖堂。フランス最大の聖堂である)

 この10年、東進生はホントに優秀になった。10年前、今井君が移籍してきたときは、まだ「第2の代ゼミ」みたいなワイルドな雰囲気だった。1990年代の受験バブルのカホリが色濃く残っていたのである。
 「高望みはしねー」「どこでもいいから入れる大学にテキトーに入りてー」「できれば有名大学に行きてー」みたいに、語尾がダラしなく「ねー」「てー」とのびる受験生の率が高くて、生徒との会話は代ゼミ時代よりもさらにワイルドになった。
 ところがこの4~5年、目の前の生徒たちの学力レベルが急激に向上した。首都圏のお仕事の前に出席者名簿を見ると、中学受験生とそのパパ&ママの目がみんな♡形になりそうな、ウルトラ難関国立&私立校の生徒がズラリと並ぶ。地方に出張のときは、県立トップ校や、府立や道立優秀校の生徒がやっぱり一番多いのである。
 いわゆる「しっかりした子」として、幼少時からコミュニティの期待を一身に集めてきたであろう彼ら彼女ら。その発言の語尾が、ダラしない「てー」や「ねー」や「じゃん」の氾濫になることは少ない。
 文系の生徒は「国連職員になりたい」。理系の生徒は「医師になって『国境なき医師団』で奉仕したい」。余りに立派な発言内容に、オトナのはずの今井君のほうがタジタジとするほどである。
リトルベニス
(アミアン、リトル・ヴェネツィアの光景)

 そういう素晴らしい夢を「国境なき石段」と変換して台無しにするMac君はともかくとして、「国連」ってのはどうなんだろう。もしボクチンがいま小学4年生だったら、あくまで小4男子として、先生に叱られ、親が呼び出されることも覚悟で作文を書くと思う。
「ぼくは、『安全保しょう理事会』の『常にん理事国』が21世紀にものこっているのがとてもふしぎです。70年も前のせんそうで勝った大国が、今も国れんの中でむじょうけんにいばっているのは、おかしいと思います」
「もうすぐ、第2じ世界大戦の終けつから100年がたちます。そろそろ『常にん理事国』という古いせいどをなくしたらどうでしょう。ぜんぶを『非常にん理事国』にして、5年ごとに改せんすることにしたらいいと思います」
「ぼくはいま10さいです。30年ごの2045年には、40さいになります。40さいのころには国れんで働いているのがぼくのゆめです。そのとき、古くさい常にん理事国のわがままのせいで、国れんの活動がじゃまされないようになっていたらどんなにいいでしょう」
「ぼくが40さいになるころに、『核へいきほゆう国は、非常にん理事国にも立候補できない』というせいどを実げんできたらいいなあと夢みています。だれかが教室にナイフをもって登校してきて、『おれがクラスのリーダーだ』『みんなおれの言うことをきけ』と大きな声を出したら、ぼくはおかしいと思います」
ジャンヌおばさん
(アミアン、リトル・ヴェネツィアの名店「ジャンヌおばさんの店」。何の名店なのかはわからない)

 アミアンの駅に降りながら、今井君は「小4のころに戻って、そういう素直な作文が書きたい」と考え、思わず涙が出そうだった。こんな中年の予備校講師になり、アゴヒゲに白髪が混じるようになってしまっては、もうなかなか素直な発言はできない。「難しい子」で済んだものが、「アホなオトナ」「何にも分かっていない中年」と罵られて終わりだろう。
 ま、いいか。すでに人生の折り返し点を過ぎたクマ蔵は、何となく惨めな気持ちになりつつ、まずアミアンの「ノートルダム大聖堂」に向かった。アミアンのノートルダムは高さでも容積でもフランス最大、ここもまた世界遺産である。
 考えてみれば、この時の旅は「来る日も来る日もノートルダム」だったので、パリでもノートルダム、シャルトルもノートルダム、昨日のランスも今日のアミアンもノートルダム。まさにノートルダム4連発だ。
 ノーノートルトル♡ダムダムダム。ノートルノートル♡ダムダムダム。我らがマドンナ、ボクらのマードレ、アタシたちのマンマ。いやはや、こんなにたくさん建てられちゃったら、聖母どんもさぞかし忙しいでござろうね。
 ついでに言うとこの4日間はステンドグラス4連発でもあったのだ。パリでは、ノートルダムのついでにサントシャペルにも立ち寄って、壮大なステンドグラスを満喫した。
 シャルトルもランスもステンドグラスの美しさには定評があって、教会の中に絵の具は持ち込めないから、ひたすらカメラに頼り切った。その美しさについては、昨日の記事や一昨日の記事の写真を参照してくれたまえ。
駅ホーム
(フランス国鉄、アミアン駅。パリ行きの列車が入線してきた)

 カメラの品質にこだわるようになったのは、あの旅の時である。それまでの今井君は、自らの記憶力に絶対の自信をもっていて、「絵でも彫刻でもステンドグラスでも、記憶として脳裏にカンペキに焼き付けることができる、だからカメラなんかに頼る必要は一切感じない」と豪語していた。
 だから10年前、ケータイにカメラ機能がつきはじめたころにも、今井君のスタンスは「余計な話だ」。強固な記憶というものがある以上、カメラなんかでこまめに記録を残すのは、旅の印象を薄めるものでしかない。それがクマ蔵のスタンスであった。
 「強固な記憶」を、Mac君に「京子な記憶」と茶化されつつ、サントシャペル☞シャルトル☞ランス☞アミアンのステンドグラスを見て回るうちに、「こりゃ無理だ」「性能のいいカメラが欲しい」と念ずるようになった。
 だって諸君、ステンドグラスの美しさは刻一刻と変化するのであって、いくら傲慢な今井君でも、記憶の容量が不足する。この旅の直後にパナソニックのデジタルカメラを手に入れ、その後グレードが次第に上がって、現在のカシオ機に至る。
 いまや、激しく動き回るニャゴロワやナデシコの姿も、ストレスなしに捉えることができる。数日前に掲載した「ナデシコ、ニャゴに厳しい張り手攻撃」の写真だって、カシオちゃんなら一発だ。「は? カシオのカメラ?」と驚くヒトもいるが、使い勝手のいいカメラを手にする必要を痛感させてくれたのが、ノートルノートルダムダムダムの諸君だったのである。

1E(Cd) Deni Hines:IMAGINATION
2E(Cd) Sugar Babe:SONGS
3E(Cd) George Benson:TWICE THE LOVE
4E(Cd) George Benson:THAT’S RIGHT
5E(Cd) George Benson:LIVIN’ INSIDE YOUR LOVE
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