Sat 140426 またまた身辺雑記 夢のあと 極上先生たちの思ひ出 澤田家重に挑戦 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 140426 またまた身辺雑記 夢のあと 極上先生たちの思ひ出 澤田家重に挑戦

 このごろどうも身辺雑記ばかり多くなって恐縮であるが、身辺に書いておくべきことが多くなるのは別に悪いことではない。本来なら日記とは身辺雑記こそ主体とするべきであって、やれアムステルダムだ、やれマルセイユだ、そういう「猥雑な」外国の街の話ばかりじゃ困るのである。
 5月19日の今井君は、かねて予約してあった眼科医を訪ねた。3年半前に網膜剥離の手術をして、その後の経過は実に良好なのであるが、今井君ぐらいの年齢のオジサマになると、手術後のメンテナンスを怠ることは出来ないのである。
 手術したのは日本医科大学病院だが、術後のメンテナンスはわざわざ大学病院まで通うほど大袈裟にする必要はなくて、オウチの近くの眼科医で何の問題もない。下北沢の駅前に、気が遠くなるほど大昔のモト生徒がクリニックを開いていて、1年に1回そのクリニックに通っていた。
 ところが、昨年のちょうど今ごろ、手術した右目に違和感を感じた。ついでに左目の飛蚊症もちょっと気になったので、モト生徒の眼科医に「隠れた名医」を紹介してもらった。代々木駅前に立ち並ぶ雑居ビルのテナントであるが、うーん、いかにも「隠れた名医」な感じが気に入った。
 右目の違和感は「後発性白内障」と判明。網膜剥離の手術後2~3年で発症するケースが多く、視界が白い濃霧の中に沈み、急激に視力が落ちる。目の病気は心からションボリしてしまうものだが、さすがに「隠れた名医」であって、レーザーを巧みに操って5分、濃霧は魔法のように消え、その10分後には視力は完全に元に戻っていた。
ナデシコ
(ナデシコ君のお目目は、今日もまた真っ黒だ)

 あれから数ヶ月、今回のメンテナンスはあくまで「その後は大丈夫か」の検査のみ。視力検査をして、視界に欠落した部分がないかを確かめ、眼底写真を確認、「大丈夫ですね」「良好♡良好」と医師&患者が手を取りあうように大喜びして終了した。めでたし&めでたしである。
 外に出てみると、代々木の街は5月の明るい陽光に包まれ、穏やかなそよ風が吹いて、マコトにおめでたい。あんまりおめでたいから、昼飯もちょっと奮発して「ウナギでも食べていくか」ということにした。
 代々木の街をクマどんが闊歩していると、あちこちで頭を下げられる。頭を下げないまでも、「あ、今井だ!!」と粘っこい視線を送ってくる人もいる。代ゼミをヤメてもう9年以上になるが、さすがに今井君は代ゼミを疾風怒濤のように駆け抜けたクマである。いまだに代々木界隈では忘れてもらってはいないようだ。
澤田屋
(代々木、澤田家の「澤田家重」。おいしゅーございました)

 しかし、代々木もすっかり変わった。あんなにワラワラ溢れかえるように生徒が渦巻いていた6号館と7号館はもはや存在しない。校舎は取り壊され、生徒は「タワー」のほうに移ったか、別の予備校を選択したかして、代々木駅前の閑散ぶりは寂しくなるほどである。
 きっと夏にはイネ科の雑草に深くおおわれ、秋にはたくさんのコオロギさんたちが悲しいヴァイオリン演奏会をひらき、「つわものどもが夢の跡」「国破れて山河あり」の感を深くさせるだろう。
 クマ蔵は代々木駅前の受験生の雑踏が大好きだった。浪人生文化を象徴するような、それこそ「猥雑」と言っていいエネルギーに惹かれ、だからこそお茶の水の駿台からわざわざここに移籍してきたのに、あんなキレイなタワーなんかに引っ越しちゃったら、先生方だってあんまり嬉しくないんじゃないか。
 受験生の渦が去って、街もすっかり寂れたようである。受験生相手の安食堂や弁当屋は、お昼時だというのにお客の姿はまばら。かつて講師室にお弁当を届けてくれた「ポパイ」や「梅本」も、いまは何となくガラガラになっちゃった感じである。
どんぶり
(うな重ではあるが、巨大どんぶりで運ばれてくる)

 5月19日の今井君は、代々木駅からちょっと離れたウナギの名店「澤田家」を訪ねた。代ゼミ時代の昼食には、この店の「うな玉重」がお気に入り。週3回の代々木出講時、確か680円の「うな玉重」か「きじ重」を定番にしていた。
 駿台では、長いテーブルに仲良く一列に並んで、みんな同じお弁当を食べた。一律1500円ぐらいのお弁当であるが、伊藤和夫師とか奥井潔師とか、関西なら表三郎師とか、誰も逆らうことの出来ない大御所が一緒だから、大御所のお説教を拝聴しながら、ランチはマコトにしめやかな雰囲気であった。
 ところが代ゼミの本校講師室となると、「大御所」というものは存在しない。すべては人気が支配するし、ビックリするほどの高給取りがズラリと並ぶ。昼食もなかなか豪華で個性的。講師室担当の女性職員が朝一番に注文をとって歩くのだが、移籍直後のクマ蔵なんかは、その物珍しさにウキウキしたものだった。
 ある講師は毎回毎回「○○寿司の極上」を注文した。「極上」とは「特上」のそのまた上で、メニューを見ると4500円もする。思わず「うひゃ」であるが、酒もビールももちろんダメだから、お茶だけで4500円の極上を召し上がるわけだ。
 するとその「極上」を召し上がっている先生のところに、別の大物講師が冷やかしにくる。「すげーな、おまえ。うぉーん。また極上か、うぉーん。オレなんか、梅本のカレーだぜ、うぉーん」とおっしゃるのである。梅本のカレーとは、受験生が3分でかきこむのにちょうどいいカレーで、校舎の裏で売っているヤツを講師室にも届けてくれる。
にゃご
(にゃご重)

 別の「まあ有名講師」がヒイキにしていたもう1軒のカレー屋があった。この先生は、なぜか毎朝「ビーフにするかポークにするか」で迷いに迷う。しかもビーフを「モー」、ポークを「ブー」と呼び、注文をとりにきた講師室女子をいつまでも引き止めて「今日はモーにしようかな」「やっぱりブーにしようかな」と延々と悩み続けるのだった。
 同じカレーでも、「蕎麦屋のカレー」と決めている先生もいらっしゃって、講師室女子がメニューを差し出す暇も与えずに、毎朝ヒトコト「蕎麦屋のカレー」と面倒くさそうに吐き捨てる。その声が、クマ蔵の耳の底に今もハッキリ蘇ってくる。
 間髪入れずに注文する先生はもう1人いらっしゃって、彼もまたメニューも見ずに、ヒトコト冷たく「焼き魚定食!!」と吐き出すようにおっしゃるのである。いやはや、楽しい8年間だった。
 おとなしい今井君は、そういう極端なことは出来るだけしないように、「澤田家のうな玉重をお願いします」「キジ重をお願いします」「今日は盛りそばを1枚お願いします」みたいに小さくなっていたが、講師室女子としてはそんな丁寧な講師よりも「極上!!」「蕎麦屋カレー!!」「ブー!!」「焼き魚!!」と、横柄に注文してもらうほうがよかったのかもしれない。
 極上先生のお気に入りのお寿司屋が、一度だけ突然お休みになったことがあった。仕方なく極上先生は「マクドナルドのハンバーガーというものを食べてみようかな」とタメイキをついた。
 お昼休みに講師室に帰ってくると、極上先生のデスクには、ハンバーガーが1個。極上デスクは、クマ蔵デスクのすぐ後ろである。一口ハンバーガーを頬張った極上先生が、「これって、人間の食うものか?」と、おそらく真顔で呟いた声が、今も忘れられない。
店内風景
(澤田屋、店内風景。奥に座敷もあるが、ランチはテーブル3つのみである)

 というわけで、あれから9年後のクマ蔵は、懐かしのウナギ「澤田家」を訪問した。50年昔、「大分からきた集団就職の若者たちが先生に連れられて立ち寄った」と新聞記事にもなった、歴史ある名店である。
 メニューを見ると、1500円の「ランチうな重」の他に、うな重・梅、うな重・竹、うな重・松とあって、さらにその上に「特上」3800円、「澤田家重」4800円と続く。「4800円のうな重なんか、誰が食べるの?」であって、「そんなら1500円のランチうな重を3人前平らげたほうが得じゃないか」と誰もが思うところだ。
 そこで女将さんに、「この澤田家重って、旨いですかね?」とオズオズ尋ねてみた。あんまりオズオズしていたから、まるでオズの魔法使いか、オズ安次郎みたいに見えたに違いない。
 今井君は遠い将来、「小津スヤ次郎」という名前で映画を制作してみたくてたまらないのである。見ているとすぐにスヤスヤ眠ってしまいそうになるので、小津スヤ次郎。映画ファンの袋だたきにあいそうだが、どうだい若い諸君、今井君の代わりに小津スヤ次郎を名乗って、袋だたきにあってみないかね。
 「旨いですかね?」と尋ねられた女将サンの頷き方が余りに秀逸だったので、クマ蔵はもはや躊躇せずに4800円の澤田家重を注文。「なんて贅沢なんだ?」であるが、お医者さんに見てもらったお目目の経過も良好だったのだし、そのお祝いということなら、別にいいじゃないか。
 しかも諸君、お昼にウルトラ贅沢をしたクマ蔵は、この日の夕食をググッと切り詰めて、しっかりバランスをとるぐらいのことはキチンとできるのだ。そのへんが、極上先生との大きな違いでござるかね。

1E(Cd) Bernstein:HAYDN/PAUKENMESSE
2E(Cd) Bernstein:HAYDN/PAUKENMESSE
3E(Cd) Holliger:BACH/3 OBOENKONZERTE
6D(Pl) キャラメルボックス:鍵泥棒のメソッド:池袋サンシャイン劇場
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