Thu 140403 サンマルコ修道院 深夜の疾風怒濤 折返点ローマ(ヨーロッパ40日の旅21) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 140403 サンマルコ修道院 深夜の疾風怒濤 折返点ローマ(ヨーロッパ40日の旅21)

 3月1日。フィレンツェにしばしの別れを告げて、予定通りローマに移動することにした。「しばしの別れ」はどのぐらいの「しばし」だったかというに、2007年春のボローニャ滞在時にフィレンツェ再訪を果たしたのであるから、たった2年の「しばし」に過ぎなかった。「しばし度」としてマコトにレベルの低い「しばし」であって、苦手だ苦手だとは言っても、やっぱり今井君もフィレンツェが好きなのだ。
 キライなのは、フィレンツェに関する固定観念なのである。
「超有名美術館をめぐって名画や彫刻の前に立ち尽くし、カラダをよじらせるほどの感動と感激を1日中繰り返して、うんうん唸っていなければならない。フィレンツェとはそういう街なので、それ以外は邪道」
 日本人のフィレンツェ観は、どうもそういう異様に堅苦しい考えに支配されていて、「ちょっとフィレンツェに行ってきました」とウッカリ告白すると、
「ははあ、ボティチェッリですね」
「ふーん、ラファエロにミケランジェロですか」
「ああ、やっぱりティツィアーノですよね」
というワケ知りな笑顔が返ってくる。
 「ああ、チチアンですね」と来られると(昨日の記事参照)、今井君はもう怒り心頭に発して「何ですか、そのチチアンてのは?」と気色ばむところである。Mac君だって「父案」とか「乳庵」とか変換に四苦八苦しているが、幸い最近の世界史参考書は「ティツィアーノ」で足並みを揃えているようだ。
美術館
(サンマルコ美術館。フラ・アンジェリコの壁画がある。元は15世紀の修道院である)

 もちろん、あまり観光客の訪れない静かな美術館なら、大好きなのである。東京なら、竹橋・国立近代美術館か上野・国立西洋美術館の常設展。しかしあくまでほとんど人のいない「常設展」にかぎるのであって、新聞だのテレビだのの大宣伝を見て関東全域からワンサと人が訪れる特別展には、意地でも足を運びたくない。
 そういう臆病なクマであるから、この年のフィレンツェでは、①サンマルコ美術館と、②ピッティ宮にしか足を運ばなかった。押し合いへし合いの挙句、人いきれとオジサマ&オバサマ大集団の向こうにようやく垣間見えるボッティチェリより、チラホラしか人のいないサンマルコで静かに見上げるフラ・アンジェリコの壁画のほうが、ずっと素晴らしいと思わないかね?
 サンマルコ美術館は、元は15世紀の修道院。その後、メディチ家のコシモが改築を命じた。コシモ自身やサヴォーナローラの遺品も展示されている。街の中心部から若干離れているが、押し合いへし合いや小中学生の見学の群れに巻き込まれるのがキライな人は、散歩のついでにちょっと入ってみるといい。
ピッティ宮
(フィレンツェ、ピッティ宮)

 その他、「真夜中のフィレンツェを疾走する」なんてのも楽しかった。諸君、見た目には信じがたいかもしれないが、今井君の疾走ぶりはまさにハヤテのようである。カラダも態度もデカいし体重もそれなりにあるから、ハヤテというよりも「疾風怒濤」と言ったほうがあたっている。
 4月から東京で生活するようになった大学生諸君&浪人生諸君。信号が赤になりかけた新宿や渋谷の横断歩道を、黒々としたクマが驚くべき迫力で疾走していくのを目撃することがあったら、それは間違いなく今井クマ蔵である。遠慮なく声をかけてくれたまえ。
 ただしそれは、あくまでクマの疾走に追いつくことができればの話である。両腕の振りに合わせて上半身を前後に揺すり、その反動で加速度を増していくタイプのクマの疾走は、予想外に速い。というか、あまりの迫力に呆気にとられ、「追いついてやろう」という意欲さえ失わせるほどである。諸君、クマを見かけたら、ぜひともその疾走に追いすがってみたまえ。
ポンテベッキオ
(フィレンツェ、ポンテ・ヴェッキオ)

 フィレンツェだって、いろいろ悪いことを企んでいる人がいるはずだ。日本人が大好きな「治安が悪い」というヤツである。真夜中の鐘が鳴れば、治安はますます悪くなって、単独行動の孤独な悪者や、集団行動の好きなWARUMONOSが、そこいら中の暗闇で虎視眈々と一人歩きの日本人を狙っているはずである。
 狙っているのは、もちろん現金にパスポートにクレジットカード。最近のクレジットカードには裏に「セキュリティーコード」などというものがついていて、それを打ち込めばPCでいくらでもお買い物が可能。万が一奪われたら、こちらが通報しないうちにバンバン楽しいネットショッピングをエンジョイされてしまう。
 だから、「クマ蔵♠深夜の疾風怒濤」は、現金もカードも何にも持たずに出かけるのである。ホテル「ルンガルノ」から、ポンテ・ヴェッキオをわたり、サンタマリア・デル・フィオーレまで。ケータイで真夜中の「花の聖母教会」を写真に収めたら、同じルートを疾風怒濤で戻ってくる。
 深夜、人がみな寝静まった時間帯のドゥオモの写真は、滅多に見られるものではない。諸君、今日の写真4枚目は、見た目はマコトに地味であるが、なかなかのレアものである。大切に保存してくれたまえ。
夜の大聖堂
(午前1時のサンタマリア・デル・フィオーレ)

 こうしてフィレンツェの3日間、昼も夜もポンテ・ヴェッキオを繰り返し往復し、アルノ河に沿って橋から橋へ散策を楽しみ、イタリアの早春の風景を満喫した。さすがにイタリアだ。冷たい風は肌を切るようだが、樹々はそろそろ芽吹き始めていた。
 ローマに移動する日、気づいてみればカレンダーは3月に入った。2月8日に東京を出発して、永遠に続くように思っていた旅は早くも20日が経過。疑似放浪のつもりだった旅も、ちょうど半分が終わってしまった。
 旅の計画を立てる時にも、この辺はすでに計算済みだったのである。旅の折返点は、ローマ。「すべての道はローマに通ず」ならば、「すべての道はローマから始まる」でもあるわけで、ローマは旅の折返点とするのに相応しい街なのである。
ドゥオモ
(ローマへ出発の日のドゥオモ)

 もうちょっと長いスパンで言えば、「人生の折返点」という意味もあった。学部時代までマコトに大人しいニンゲンだった今井君の生涯は、20歳代後半からまさに波瀾万丈。あんまり波瀾バンジョーなので、バンジョーでも爪弾きながら全国行脚、平家物語の琵琶法師よろしく、自ら人生を語って歩きたいぐらいであるが、その勇気がないのでこうしてブログに綴っている。
 しかし、ド派手だった代ゼミ生活をヤメて、「そろそろ前半は終わり。ボクチンの人生も後半に入ったかな」と、まあそんな感慨があった。長い人生を2つ折りにして前半と後半に分割することには、もちろん大した意味もないが、往路と復路に分けて同じ風景を逆の方向から眺めてみれば、なかなか味わいも深いだろう。
 全体集合として人生を設定すれば、今回の旅はその中に包摂されるごく小さな部分集合である。平均寿命の80年を生きるとすると、人生とは約30000日である。40日の旅は、30000分の40であるから、人生の0.1%ほどに過ぎないが、30000日の折返点と、40日の折返点を、同じローマの3月1日に設定して、「では、今日から後半戦だ!!」と呟いてみれば、旅の妙味は大きく変わるはずである。

1E(Cd) Joe Sample & Lalah Hathaway:THE SONG LIVES ON
2E(Cd) Lee Ritenour:WES BOUND
3E(Cd) Marc Antoine:MADRID
4E(Cd) Kirk Whalum:CACHÉ
5E(Cd) Kirk Whalum:COLORS
total m15 y481 d13401