Tue 140311 春は怒濤の如し おらんだサトンの前に 10年前(ヨーロッパ40日の旅0) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 140311 春は怒濤の如し おらんだサトンの前に 10年前(ヨーロッパ40日の旅0)

 今年の春は、「怒濤のようにやってきて、怒濤のように去っていく」という類いのマコトに亜熱帯的な激しい春であって、特に東京のサクラに関しては、ノンキなクマ蔵どんがクンクン鼻を蠢かせるヒマもなく散ってしまった。クマの丸いお耳をピクピクさせただけで、はかなくヒラヒラ散ってしまったような気がする。
 最初にサクラの開花に気づいたのは3月24日。22日まで仕事で全国行脚を続け、久しぶりに一息ついて新宿に買い物に出かけた帰り、「渋谷区の文化財」に指定されているソメイヨシノの超老木が、ホンのわずかに花を開かせているのに気づいた。
 しかし、写真を見ても分かるだろう。この段階では
「特に日当りのいいところだけ例外的に花を開いた」
「他のツボミはまだまだ固いまま。なかなか開きそうにない」
という風情。クマ蔵どんはすっかり油断して、「お花見にはまだ10日の余裕がある」と見込んでいた。
3月24日
(サクラ、3月24日)

 4月1日と3日に吉祥寺で授業収録があった。「センター90%・パート2」の収録である。その直前はしっかり予習もしたいし、体調もチャンと整えたい。お花見にはお酒がつきものだから、収録前夜に「ぐびぐび」→「収録当日2日酔い」なんてのは、ベテラン講師としてもってのほかの行動である。
 そこで今井君の企画としては、
「今年のお花見は4月3日」
「収録終了後、いつもの千鳥ヶ淵で皇居のサクラを満喫」
「千鳥ヶ淵から赤坂に出て、飲み会は赤坂or西麻布」
と、まさに用意万端整えた気持ちで、4月3日を待ち受けた。
 ところが諸君、ようやく4月3日を迎えてみると、天気予報は「夕方から激しい雨」。前々日には「東京でサクラが満開」という発表があったばかりで、「早くしないと花が散っちゃうよ」と焦りながらこの日を待っていただけに、「夕方から激しい雨」の予報はクマ蔵をまさに絶望させたのである。
4月1日1
(サクラ、4月1日 1)

 4月3日、収録終了は18時半。スタジオから外に出てみると、「うわ、こりゃヒドいや」と絶叫するほどの雨である。お花見も何も、お花見しているヒトもクマもサトイモも、こんなんじゃドロドロに溶けて流れちゃうぐらいの亜熱帯性豪雨。サト助は直ちに2014年東京でのお花見を諦めた。
 このとき、ぜひ読者の皆さまに分かっていただきたいのは、今井君が諦めたお花見は「東京で」という前提つきだということである。千鳥ヶ淵のサクラが一番好きなのは間違いないことだが、それがこの亜熱帯性豪雨で散っちゃうというなら、場所を他に移せばいいだけのことである。
 何しろサト助は臨機応変の権化だ。東京がダメなら、角館も弘前もある。栃木には大平山もあるし、おそらく京都や金沢のサクラはこれからが本番だ。ヒコーキと新幹線を駆使すれば、サトちゃんのお花見は日本全国どこでもすぐに実現する。
 「日本全国」だなんてのが、そもそもミミッチイのだ。昨年の今井君は、お花見の場所を太平洋の東に移し、ニューヨーク・ワシントン・ボストンに設定。さすがにワシントンのサクラはもうとっくに終わっていたが、ニューヨークとボストンでは満開のサクラに間に合ったし、ニューヨーク最終日には八重桜の満開にも遭遇した。
 だからこれから数週間、キレイに咲いていさえすれば、サト助は世界中どこにでも参上する用意がある。そもそも自然をニンゲンに合わせようとする傲慢なスケジュール設定に問題があるのであって、ニンゲン今井は自然とサクラとに全てを合わせて、行動計画を策定する。
 若干のオカネがかかっても、そんなのは構わない。せっかくこの世の中に生まれてきて、「今年のサクラは散っちゃったからスゴスゴ諦めよう」などというスゴスゴ人生はイヤである。福島まで「三春の滝桜」を見に出かけたのは4年も前のことになるが、新幹線代ぐらい、また頑張って稼げばいいじゃないか。
4月1日2
(サクラ、4月1日 2)

 まもなく今井君は、このブログでオランダ旅行記を開始する予定。どんなタイトルにするかは未定だが、おそらく「おらんだサトン事件帖」になりそうだ。1971年から1972年にかけてフジテレビで放送されたのが、高橋英樹主演「おらんだ左近事件帖」。幼い宏君は、江戸時代の長崎でオランダ医術を学んだ左近の活躍に熱狂したものである。
 左近どんは、深川八幡を舞台に活躍。大刀と小刀を十字架の形に交差させて、一気にカタキ役にトドメを刺すのが決めワザ。「オランダ医術を学んだ男だから、決めワザもキリスト教っぽく」という脚本が、マコトにバカバカしくて好きだった。
 「しかしその前に」、と今井君は考えるのである。「おらんだサトン」の「サトン」とは、「左近」と「サト助」を引っ掛けたシャレに過ぎないが、ふと遥か天の高みから「その前に、もっと他にやるべきことがあるんじゃないでしょうか?」という野党のヒトビトの声が聞こえてくるのである。
 「その前に他にもっとやるべきこと」とは? 「おらんだサトン」の前に立ちふさがる者とは? 諸君。何を隠そう「2005年春・ヨーロッパ大周遊40日」の旅の記録である。
ヒレカク
(4月3日、サクラを諦めて丸の内「トラジ」で焼き肉。名物・ヒレカク、おいしゅーございました)

 2005年2月8日、冷たい雨の午後に代ゼミでの最終授業を終えた今井君は、翌2月9日成田12時発のスカンジナビア航空機に乗り込んで、コペンハーゲンに飛び立った。
 その後10年にわたるサト助の数々の旅の記録は、ほとんどこのブログに詳細を書ききってきた。たった2つ、2005年春の大周遊40日と、2005年9月の南仏2週間の記録だけが、「あんまり昔すぎる」「写真さえマトモに残っていない」という理由で手つかずになってきた。
 しかし諸君、2014年の今井君にとって、間違いなくほとんど全ての原点になっているのが、あの時のヨーロッパ大周遊である。2月9日に東京を出て、厳寒のヨーロッパをベルリン→ローマ→パリとグルリと回り、3月21日に東京に帰った。
 カメラといえば、売り出されて間もなかった写真つきケータイのカメラのみ。記録媒体「メモリースティック」はわずか512MB。それでも、何とかサイズを小さく小さくと努めながら、画質を極端に落として数百枚の写真を手許に残した。
ユッケジャンクッパ
(丸の内「トラジ」のユッケジャンスープ、おいしゅーございました)

 そこで諸君、「おらんだサトン事件帖」に取りかかる前に、サトンとしてはまず全ての原点♡ヨーロッパ大周遊40日を、記憶に残っているかぎり詳細にここに記録しておきたいのである。
 そういうわけだから、これからしばらくの間は写真の画質が劣化することをお許しいただきたい。「そんな昔の話、読みたくねえぜ」という短気な諸君も存在するだろうが、まあそんなにプリプリしなさんな。「10年前か。あのころ自分はどうしていたかな?」と、あの頃の自分を思い起こしながら読めば、おそらくこんなに面白い読書はないのである。
 いま部長の皆様。あのころはまだ課長補佐であったね。主任に出世したばかりの皆様、あの頃はまだ大学生で、シューカツ真っ盛りであったね。模試の成績が上がらなくてムカついている高3生諸君、あの頃はまだ幼稚園で、みんなとママゴトに夢中であったね。
 あのころは、PCは何を使ってましたか。ケータイはどんなんでしたか。あの頃の彼氏は? 彼女は? 何であんなクダランことで大ゲンカしたんですかね。10年前のサクラを、誰と、どこで、どんなふうに見たんでしたかね。そういうことをいろいろ思い出しながら、明日から始まる「ヨーロッパ大周遊記」をたっぷりエンジョイしてほしいのである。

1E(Cd) The Doobie Brothers:MINUTE BY MINUTE
2E(Cd) Grover Washington Jr.:WINELIGHT
3E(Cd) Kenny Wheeler:GNU HIGH
4E(Cd) Jan Garbarek:IN PRAISE OF DREAMS
5E(Cd) Karajan:BACH/MATTHÄUS PASSION①
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