Sat140308 最後まで諦めない 粘り強く頑張りぬくサト助 ブタの足を目指す(マタパリ33) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat140308 最後まで諦めない 粘り強く頑張りぬくサト助 ブタの足を目指す(マタパリ33)

 むかしむかしの高校野球の世界では、「東北の高校生らしい粘りを発揮する」という定番のセリフがあった。光星学院や花巻東、東北や仙台育英の大活躍で、この10年のうちにすっかり様変わりしたが、昭和の時代までは「東北のチーム=弱小チーム」の固定観念が当たり前だった。
 だから、甲子園の組み合わせ抽選で「相手が東北のチーム」ということに決まると、全国どこでも地元紙の1面とか朝日新聞地元版なんかには「クジ運もよし!!」と大きな活字が踊った。つまり、「1回戦の相手は東北チーム。まあ間違いなく楽勝だろう」と、新聞記者たちまでが遠慮会釈なく記事を書いたのである。
 例えば昭和51年の夏、埼玉県代表の所沢商は、1回戦で宮城県代表・東北高校と対戦が決まった。この時の朝日新聞埼玉県版には、ホントに「クジ運もよし、行けるぞ!!」と印刷され、「相手は東北」の文字がそれに続いた。結果は7-1で所沢商が敗れるのだが、東北の弱小イメージはそれほど定着していたのである。
部屋
(2013年12月28日、今井君はパリのお部屋をチェックアウトした。おお、天井の高い部屋であった)

 そして実際、当時はホントにガッカリするほど弱いチームが多かった。「10点差をつけられて最終回の攻撃、まだヒットは2本しか打っていない」みたいなシチュエーションは珍しくなくて、まさにそういう場面でNHKの実況アナと解説者が
「しかし最後まで諦めずに、東北のチームらしい粘りを見せてほしいですね」
「ホントにそうですね」
と、いささか冷めた会話を交わしたものである。
 しかもそういう時でも、当時の東北チームはホントに最後まで諦めず、粘りに粘ったものである。1アウトからフォアボールで出塁。10点差がついているのに、バントで2塁に送る。相手のエラーに乗じて3塁に進む。打席には俊足巧打の1番バッター。盛り上がる応援席が画面に映し出され、まるで勝利でもしたように歓喜の声を上げている。実況アナも解説者も思わず興奮して、
「素晴らしい粘りを発揮しています。さすが東北のチームですね」
「そうですね。1点でも2点でも取り返して、今後につなげてほしいですね」
と叫び、日本全国の視聴者は10点差を忘れ、夢中で画面に声援をおくったものだった。
ブタさん
(チェックアウト後、酔ったブタさんが目印の名店を目指した)

 もちろん現実とマンガは違うから、俊足のトップバッターはボテボテのショートゴロに倒れ、それでも猛然と1塁ベースに滑り込んでユニフォームは真っ黒の泥だらけ。みんなが熱い涙にくれながらホームベース前に整列するシーンに、何しろ今井君自身も秋田県人だから、思わずもらい泣きをしたものだった。
 どこまでも粘り強く、どんなに不利な状況になっても、最後まで諦めない。本来、コドモのころの今井君が憧れなければならなかった態度は、まさにこれである。それなのに実際には、マコトに意志薄弱というか、粘り強さのカケラもないというか、苦難に出会うとカンタンに諦めちゃうというか、とにかくコドモたちの見本にはとても出来ないような、情けないオトナになってしまった。
 いや、もちろんこの辺はあくまで謙遜して言っているのであるよ。実際には予備校講師になってから1度もズル休みなんかしたことがないし、どんなに厳しいスケジュールでも確実に全てこなしてきた。
 たった1度、3年半前の網膜剥離の手術の時だけ、7日間の入院で迷惑を掛けたけれども、緊急手術からわずか9日後には、千葉県船橋でのお仕事を立派にこなしてみせた。
 だから、「怠け者で意志薄弱で粘り強さのカケラもない」なんて、余りに謙遜すぎて何だかイヤらしい発言であるが、今井君自身としてはもっともっと粘り強く、「アンタもずいぶんしつこいね」と苦笑されるほどに粘り強くありたいのだ。
ドア
(目指すお店は、どこまでも「ブタさんのアンヨ」がコンセプト。ドアもブタさんのアンヨであった)

 諸君、「粘り強い」「頑張りぬく」「あきらめない」などを英語で言えるかね? もちろんその態度をプラス評価するかマイナス評価するかで英語表現もいろいろ考えられるだろうが、ごくごく普通のnever give up以外に、はて、以下のどれが正しく、どれがあんまり正しくないだろうか。
  ① die hard
  ② refuse to accept defeat
  ③ play to the last out
  ④ can’t be a tame loser
読者諸君の選択を珍しくマジメ→超マジメ→ウルトラマジメにお待ちしている。
 さて、では何でこんなことを書いているかと言うに、昨年12月末の「マタパリの旅」でもまた今井君は、die hardというか、「最後まで諦めはしないぞ」という悪あがきをやっていたのである。
 クリスマス直後の欧米人は、水彩絵の具みたいに崩れやすい。他人の行動についてはあんなに厳しくコメントする欧米人も、クリスマス直後ならビックリするぐらい甘くて甘い甘ちゃんな甘の助に変わるので、日本からノコノコやってきた我々にとって、入り込むスキはいくらでもあるのだ。
教会
(お店の近くの由緒正しい教会)

 「最後まで諦めない」「諦めずに粘り強く頑張りぬく」と決意した秋田グマとしては、ここはまさにクマの精神力の見せ場であると言っていい。最近は特にdie hardなツキノワグマになっているので、12月28日のクマどんは「9回裏2アウト。しかしまだまだいくらでも暴れますよ」という決意に満ちていた。
 確かに、ホテルはチェックアウトした。しかし諸君、フロントで「荷物を午後3時まで預かってもらえますよね」と、ニコニコ&ニッコニコなシツこい笑顔で確認すれば、まだまだここから3時間は、ゆっくりパリの街を満喫できる。
 おお、まさにdie hard。9回裏に向けてplay to the last outなクマであって、「東北のチームらしく、最後まで諦めずに粘り強く戦いますね!!」なのである。たかがホテルをチェックアウトしたぐらいで、しょんぼり日本を目指すサト助グマなんかじゃないのだ。
オニオングラタンスープ
(お店の名物、オニオングラタンスープ)

 そこで今井君は、酔っぱらったブタさんがトレードマークの名店「AU PIE DE COCHON」に向かった。前回のパリ滞在は、立ち食いの牡蠣の店と、立ち飲みのワイン屋で締めくくったけれども、今回はどうしてもこの店の生牡蠣と豚足を味わっておきたかったのである。
 お店は、ヴァンドーム広場からルーブル美術館に向かう道を、さらにしばらくマレ地区の方向に歩いたあたり。ノンキなブタさんがワインに気持ちよく酔っぱらったらしい看板が目印だ。すでに12月28日であるが、パリの街はまだまだクリスマス気分の真っただ中であって、ブタさんもヒトビトもまだいくらでも気持ちよく酔っぱらっている。
 お店は、サントゥスタシュ教会そば。カタカナで「サントゥスタシュ」と書くと何だかマコトに気難しいが、スペルはSt.Eustache。いろいろと由緒正しいこの教会の横の名店で、粘り強く最後まで諦めない昔カタギの東北人・サト助は、今回のパリ滞在ラストの3時間をどこまでもダイハードに過ごす決意である。

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2E(Cd) Karajan:BACH/MATTHÄUS PASSION①
3E(Cd) Karajan:BACH/MATTHÄUS PASSION②
4E(Cd) Karajan:BACH/MATTHÄUS PASSION③
5E(Cd) Akiko Suwanai:BRUCH/CONCERTO No.1 SCOTTISH FANTASY
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