Fri 140307 「いいとも」とmy苦闘史 パリ紀行は続く オランダ紀行予告(マタパリ32) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 140307 「いいとも」とmy苦闘史 パリ紀行は続く オランダ紀行予告(マタパリ32)

 ついに消費税8%の時代が始まり、お昼のテレビをつけても、もう「いいとも!!」は見られない。日本中、今日のブログはそのことに対するコメントだろうから、今井君も無理に逆らわないでおんなじことを書いてみようと思う。
 しかし諸君、「いいとも!!」が始まったころの今井君は、全てがあんまりうまくいかなくて、思わず天を仰いで苦笑していた時代である。いま思ってみても、すること&なすことあれだけ連続して失敗するヤツも珍しいんじゃないか。
 東京大学は、怠け者のサト助を合格させてくれなかった。副鼻腔炎を患って、鼻呼吸すらできない(何なんだMac君、「花子級」ってのは?)。鼻呼吸ができなければ、やむなく口で呼吸するしかないから、いつでも口を半開きにして、見るからに賢くなさそうな顔でいなければならない。
 口を半開きにして呼吸を続けていると、歯にたくさんの雑菌がつく。どんなに頻繁に歯を磨いたって、口呼吸では虫歯もできやすい。何しろ眠っている時間も全て口を半開きにしていなきゃならない。雑菌の大軍がサト助のお口にどっと攻め込んできたと思ってくれたまえ。
パリ1
(2013年12月下旬、パリの今井君は自分撮りに夢中である)

 虫歯ができたとしても、すぐに治療できるほどの資力もない。千葉県松戸の築25年のアパート「松和荘」に逼塞して、やっと生きながらえている状態で、「1本5万円」「いや、1本10万円」みたいな治療にはとても手が届かない。躊躇しているうちに、虫歯の状況はどんどん悪くなっていった。
 だから一時は、お口の中にヒドい虫歯が4本も5本も同居しているアリサマ。コワくてリンゴも食べられない。オモチなんかもってのほか。いつ激痛が走るか、それだけを心配しながら、口半開きの人生が続いていた。
 そこに加えて、「ぜんそく」という大敵も加わっていた。もともとは「小児ぜんそく」であるが、狭く不潔なアパートに男の1人暮らしでは、お掃除だって行き届かない。オトナになって消えかけていた小児ぜんそくの発作がたびたび復活して、呼吸が困難になることももしばしばであった。
 「いいとも!!」が始まった頃の今井君は、ほぼそんな状況である。鼻呼吸ができず、口は半開き。お口の中には虫歯が4~5本。副鼻腔炎だから、両方の鼻の穴から絶えず鼻水がタラタラ垂れてくる。小児ぜんそくの復活で、苦しい息をゼーゼー繰り返すのに四苦八苦。とても「いいとも!!」と叫ぶ気力はなかった。
 そういう事情で、サト助は「いいとも!!」を心から楽しむ気分になれなかった。オープニングが始まると同時に、今でもあのころの苦しみがみんな蘇ってくる。苦闘はさらに10年近く続いた。
メレンゲ菓子
(エスプレッソを注文すると、生クリームの形のクッキーがついてきた)

 消費税3%が導入された1989年あたりを境に、クマ蔵の生活は一気に好転する。日本経済はその後のバブル崩壊とともに暗転していくのだか、クマ蔵バブルはそのあたりから始まった。「いいとも!!」はすっかり定着して、押しも押されもせぬフジの看板番組になっていたが、クマ蔵だって負けてはいないつもりだった。
 消費税が5%になった1997年、今井君は駿台から代ゼミに移籍。移籍と同時に経済状態も鋭角的に向上したので、
① 中学生時代から悩まされた副鼻腔炎の根本治療を決意
② どうしようもなくなっていた虫歯たちの根本治療も決意
③ 世田谷区下北沢の一戸建てに移転
ということになった。さすがに小児ぜんそくはとっくに治っていたが、今後のさらなる飛躍のためにも、①②③は全て必須だと感じていた。
パリ2
(そこでクマ蔵は、おそれず自分撮りにチャレンジする)

 それでもやっぱり今井君は「いいとも!!」と叫ぶ気になれなかった。1980年代の悪夢のような日々と、「いいとも!!」の記憶はいつでも切り離せないもので、そう言えばあの頃、電気代滞納で東京電力どんはいきなり電気を止めにきたし、電話代も滞納で、あの頃すでに国宝級だったダイアル式黒電話はいきなり通じなくなった。
 今井君は大昔からタモリさんの大ファン。著作権問題で突然の販売中止になった「タモリ3 日本戦後歌謡史」(1981年)を、ラジオから録音したカセットテープをいまだに持っている。ま、苦しかった時代を忘れないでいるのには最高の素材である。諸君、今ではチャンとYouTubeで聞けるのであるね。
 こういうふうで、2014年3月31日の今井君は、ここまでの長い長い自分史をアタマの中でたどりながら、シミジミと1日を過ごしたのである。シミジミとすればするほど、ますますシミジミぶりは加速され、お外ではサクラがキレイに咲き誇っているが、シミジミ過ぎてお花見どころではない。
「The more shimi-jimi … , the more shimi-jimi … 」
な3月末日でござった。
ブタさん
(パリの別の店では、ブタさんのクッキーが登場した)

 しかし諸君、そんなにシミジミばかりもしていられない。長かった春シリーズが終わってホッと一息ついたのはいいが、いよいよ「センター英語90%・パート2」の収録も本格化してくる。ブログのほうだって、「センセー、『マタパリ』はどうしたんですか?」と意地悪なニヤニヤ顔で尋ねられれば、今井君は思わず返答に窮するのである。
 確かに、そうですな、「マタパリ」。昨年末のたった1週間のパリ旅行について、すでに30回を超える長大な旅行記を書いた。今井ブログは、1回が標準的な文庫本の6ページに相当する分量であるから、すでに200ページ近い長大さになっている。
 わずか1週間の旅について、200ページも旅行記を書くヒトはなかなか存在しないだろう。もし写真も掲載すれば、すでに堂々たる1冊にできるほどの量である。サト助は慎み深いクマであるから、あくまで慎み深く「量」のことだけ言っているが、実は「質」の点でもそれなりの自負を持っていて、滅多な旅行記に負けるつもりはないのである。
 それなのに、いつもの悪いクセで「尻切れトンボ」のまま。8日間の旅のうち、7日目の夜まで記録した。最後の1日を雨のオルレアンで過ごし、ちょっとした危機を何とかくぐり抜けて、冷たい雨に濡れる夜のパリに帰ってきたところまでは、何とか書き終わったのである。
 だから、残っているのはホントのホントの最終日のみ。うーん、今井君はいつもこうなのであって、「最終日、まだまだ書くことが残っているな」と思いつつ、日本全国行脚が始まると、どうしてもそっちの記録のほうを優先してしまうのだ。マコトに申し訳ありませんな。
パリ3
(するとクマどんはすかさずこんな自分撮りを試みた)

 進級と入学と入社の季節、サクラが咲き、満開を迎え、やがて花びらが散りはじめると、ブログの読者も大きく入れ替わる。これは致し方のないことで、やっぱり予備校講師のブログなんてのは、読者の中心は受験生なのだ。
 大学に入学したり社会人になったりすれば、「もう予備校講師のブログどころじゃない」と、ズバッとホンネをおっしゃるヒトも多いだろう。だから本来なら、いったん書きはじめた旅行記は、3月末日までに結末を書いておくべきだったんだろうとも思う。
 しかし諸君、マコトに幸いなことに、この今井ブログの読者については、そのへんの事情が異質なのである、大学生になっても、社会人になっても、30歳代♡40歳代♡50歳代の中にも、「大ファンだ」と言ってくれるヒトがビックリするぐらい多い。
 だから今回の「マタパリ」も、恐れずに年度を跨がせていただく。世間では「いいとも!!」がフィナーレを迎え、まもなく(あと1時間ちょっとだ)消費税率が8%に変わるけれども、少なくとも今井君だけは変わらずに、これからも長い長い旅行記を書き続けようと思うのだ。
 ついでに予告までしてしまえば、「マタパリ」の後には「オランダ紀行」が控えている。いささか地味なタイトルではあるが、江戸時代の日本を支えてくれた親友オランダを余す所なく回って、可愛らしいチューリップの写真をタップリ掲載しようと考えている。

1E(Cd) Karajan:BACH/MATTHÄUS PASSION②
2E(Cd) Karajan:BACH/MATTHÄUS PASSION③
3E(Cd) Schreier:BACH/MASS IN B MINOR①
4E(Cd) Bonynge:OFFENBACH/LES CONTES D’HOFFMANN 1/2
5E(Cd) Bonynge:OFFENBACH/LES CONTES D’HOFFMANN 2/2
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