Sun 140302 陽気な運転手さん 長崎ウォークとピエール・ロティ ババベラとトルコライス | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 140302 陽気な運転手さん 長崎ウォークとピエール・ロティ ババベラとトルコライス

 3月16日、長崎祝勝会からの帰りのタクシーで、今井君はマコトに明るい性格の運転手さんに出会った。どのぐらい明るいかというに、クマ蔵と話が弾んだその頂点において、彼は思わず両手を打ち鳴らしたのである。
 諸君、「運転手さんが運転中に両手を激しく打ち鳴らす」という事態について、ちょっと考えてみたまえ。それも夜の長崎の繁華街の真っただ中、右にも左にも、前にも後ろにも、時速数十キロで走るクルマが存在したわけである。
 それは本来なら世間の叱責を浴びるべき行為であって、「プロがそんなことじゃダメだろ?」ではあるが、まあたった1回だけのことだ、許して上げてくれたまえ。そもそも、そんなに激しく話を弾ませてしまったサト助も悪いのだ。
長崎猫
(翌朝クマ蔵は長崎ウォークに出た。長崎はネコの街。そこいら中でネコが日なたぼっこしていた)

 では、いったいどんな話がそんなに弾んだのであろうか。冷静に思い出してみると、そんなに激しく両手を打ち鳴らさなければならないほどの強烈な話題ではなかったのだ。「お客さんは、東京からですか?」から会話は始まった。
「はあ、東京から仕事で来ました。明日帰ります」
「ワタシも、大学生時代は東京でしてね」
「ほお、どこにいらっしゃったんですか?」
「日大だったんですけど、下宿は笹塚でした」
「へえ、笹塚ですか。私はお隣の代々木上原ですよ」
「は、そうですか。偶然ですね」
「学生時代は楽しかったですか?」
「勉強なんか全くしませんでしたけど、アルバイトはタップリしてましたよ。新宿の歌舞伎町に『穂高』って喫茶店がありましてね」
「ははあ、『穂高』なら何度か私も行きましたよ。確か24時間営業でしたよね」
「終夜営業の、深夜から早朝を担当してました。喫茶店って言っても、お客はみんなタバコ吸うか寝てるか。そんな店でしたけどね」
「新宿で遊んでて、終電に遅れて帰れなくなると、『穂高』か『マイアミ』しか頼るところがありませんでしたよね。みんな貧乏でしたから。高田馬場に『白ゆり』なんてのありました」
「高田馬場の『白ゆり』を知ってらっしゃるということは、お客さん、早稲田のご出身ですか」
「はあ、怠けて東大に落ちちゃいましてね」
「あの頃の早稲田って、悪いヤツが多かったですよね。酒ばっかり飲んで、麻雀ばっかりして、蒸気機関車みたいにタバコのケムばっかり吐いて」
「確かにそうかもしれませんね」
「ワタシの『穂高』の仲間にも、いましたよ、早稲田。あと、慶応なんてのもいて、悪いヤツらでね。マージャンがものすごく強い」
「ははあ、かなり麻雀でやられちゃいましたね?」
「やられたなんてもんじゃないですよ。1度なんか、給料日の夜に麻雀して、1ヶ月分の給料をぜんぶ奪われましてね。電車賃もなくなって、新宿から笹塚まで歩いて帰りました」
「いけませんね、賭け事なんかしちゃ」
「いいじゃないですかぁ、もう時効なんだから」
「いやはや、ヒドいヤツらですね。でも、いい時代でしたねぇ。みんなニコニコして、陽気で、何かと言えばガハガハ笑って、お酒を飲みまくったもんでした」
と、ほぼ正確に再現すれば以上のような会話である。
オランダ坂
(長崎・オランダ坂)

 運転手さんが激しく両手を打ち合わせたのは、「やられたなんてもんじゃないですよ」のくだり。電車賃まで奪い取られて、新宿から笹塚までトボトボ歩いて帰った思い出が、彼にはそれほど楽しく懐かしい思い出だったといふことである。
 まあ諸君、今井君としても運転手さんがこんなに興奮するとは思わなかったし、これほど喜んでもらえば、聞き手としても本望である。ただし、さすがに「運転中に両手を打ち合わせる」という状況に至って、若干ではあるが命の危険も顧みざるを得なくなった。無事にANAクラウンプラザホテルに到着したのは、ちょうどその時であった。
長崎港
(グラバー邸から長崎の港を望む)

 翌朝は8時に起きて、長崎ウォークに出かけることにした。ルートはマコトに平凡であって、グラバー邸→オランダ坂→ピエール・ロティ寓居跡→唐人屋敷とゆっくり歩いて回ろうと思う。
 グラバー邸の上の坂道で日なたぼっこしているたくさんのネコたちを撫で、汗を拭き拭きオランダ坂を登っていき、静まり返った朝の唐人屋敷をめぐった。「汗を拭き拭き」は少し大袈裟かもしれないが、この日の朝から急激に気温が上昇して、もう20℃を超えていた。「春がホントに来たんだ」という朝だったのである。
 ピエール・ロティというのは、19世紀のフランス人作家。世界中を旅し、タヒチやベトナム、イスタンブールや長崎を訪れては、その土地に溶け込んでそこに住む。そういう旅のやり方を人生そのものと考えた。
 「文学者だから」というわけでもないだろうが、ロティは女性にダラしないところがあって、「旅先の土地に溶け込んでそこに住む」と、当然のようにその土地土地に馴染みの女性ができ、まもなくその女性と生活をともにするようになる。長崎での日々は、彼の小説「お菊さん」に詳しい。
 イスタンブールの小高い山の上に「ピエール・ロティのチャイハーネ」というのがあって、ここにもまた彼がこよなく愛した光景がある。目の前にはブルーモスクやハギア・ソフィアの巨大な屋根と尖塔が並び、その向こうには金角湾とボスフォラス海峡のコバルトブルーが広がる。いやはや、大した御仁でござる。
ピエールロチ
(ピエール・ロティ寓居の地)

 サト助は唐人屋敷からさらに足を伸ばし、「中華街で皿うどんを食べてから帰京しよう」と考えた。しかし諸君、残念なことに時間が早すぎる。中華街のお店は、多くが「11時30分から」。中にはちょいと頑張って「11時から」という店もあるが、サト助の腕時計はまだ10時30分を指していた。
 それに春の長崎は修学旅行生ラッシュである。そこいら中に高校生の集団が渦巻いており、どの集団に目をやっても「あ、今井だ!!」「まさか、今井先生がこんなところにいるわけねえだろ!!」と目を輝かせている男子や女子が1人か2人はいる。ここはやっぱり諦めて、ホテルに逃げ帰ったほうがいい。
 それでも、ただ単に逃げ帰るのは面白くないから、サト助は目の前の道ばたに見つけたオバーチャンの屋台で、アイスを1つ食べて帰ることにした。秋田ではこの形式の店を「ババベラ」と呼ぶ。
 諸君、ググって見たまえ。「秋田 ババベラアイス」でクリックすれば、今井君の少年時代を彩ったババベロの光景を、キレイな画像で見ることができるはずだ。ババベロの正確な由来もグーグル先生が教えてくれるだろうが、我々秋田人は「ババが道ばたで売っているアイス。ヘラで盛って売るから」だと考えて納得していた。
トルコライス
(豪華トルコライス)

 さて、ババベラも食べた。皿うどんが食べられないのは何とも悔しいが、ならばホテルのレストランで「トルコライス」を貪り食って、皿うどんのカタキを討つことにしたい。チキンライス、スパゲッティ、トンカツという伝統のトルコライスに、このホテルではハンバーグもつけてくれる。
 こうしてサト助は今回もまた長崎出張を満喫した。お仕事は昨日のたった90分で終わったのだが、その前に九十九島観光、稲佐山の夜景、旨い竹輪にウチワ海老に鯛。終わった後は長崎ウォークにオランダ坂、長崎版ババベラに豪華トルコライス。「サトちゃん、これってホントに出張なんですかね」。自分でも、何だか人生をエンジョイしすぎているような気がする。

1E(Cd) Prunyi & Falvai:SCRIABIN/SYMPHONY No.3 “LE DIVIN POÈME”
2E(Cd) Knall:BRUNNER/MARKUS PASSION 1/2
3E(Cd) Knall:BRUNNER/MARKUS PASSION 2/2
4E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 1/6
5E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 2/6
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