Thu 140227 九十九が何故ツクモか 遊覧船で竹輪と蒲鉾を満喫 松島と象潟と九十九島 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 140227 九十九が何故ツクモか 遊覧船で竹輪と蒲鉾を満喫 松島と象潟と九十九島

 昨日書いた通りの経緯で、3月15日の今井君は長崎県の西海国立公園・九十九島にいた。九十九島と書いて「くじゅうくしま」と読む。おお、これ以上ないぐらい当たり前の読み方だ。
 ボクチンは長い間、九十九島を「つくもしま」だと思っていた。九十九と書いて「つくも」と読むのは日本人の常識。1980年代には「九十九一」と書いて「つくも・はじめ」という芸人も大ヒットしていた。
 九十九一、今はどうしてるのかねえ。一時はTBSラジオの深夜放送「パックインミュージック」のパーソナリティも務めていたが、この10年ほど、おそらく今井君の不勉強もあって、とんと九十九一の消息を聞かなくなった。
 しかし諸君、「九十九」と書いて「つくも」と読むとすれば、その異常事態について誰かがハッキリした説明をつけてくれなければ困るじゃないか。そしてその説明をしっかり分かりやすく書いてくれるとすれば、それは今井クマ蔵をおいて他にありえないんじゃないかね。
猫岩
(長崎・九十九島の「ねこ岩」。猫どころか、横たわる雄々しいライオンさんにも見える)

 さて、そこでその説明であるが、全ては
   100-1=99
という余りにも単純な数式から始まるのである。諸君、「百」という漢字から「一」を引いてみたまえ。残るのは「白」の字である。いやはや、マコトに下らないパズルでござるね。
 そこで伊勢物語の作者(おそらく在原業平といふことになっている)は、以下のようなバカバカしい歌を作ってみることになる。
「百年に一年足らぬツクモ髪 我を恋うらし面影に見ゆ」
諸君はもちろん「百年」と「ももとせ」、「一年」を「ひととせ」と読めるぐらいの常識は持ち合わせているだろうが、100-1=99歳になれば、アタマの髪は当然ボーボーの白髪である。
 そのボーボーの白髪に似た植物に「ツクモ」というのがあった。ツクモがどんな植物かを知りたかったら、もちろんそれこそグーグル先生の出番であって、ちょっと検索してみれば、多くの人が「おおナルホド、ツクモとは老人の白髪のことなんだ!!」とつくづく納得してくれるはずである。
 そこで諸君、99歳になろうとするジーチャン&バーチャンのボーボー白髪を「ツクモ」に例えるのが平安期からの常識になった。そこから99=ツクモという短絡が発生。「九十九一」は何の不思議もなく「つくもはじめ」を名乗り、長崎の九十九島を「つくもしま」と思うサト助みたいなケーハクな誤解も生じるワケだ。
鯛
(夕食は長崎・思案橋横丁に出かけて、海産物を満喫することにした。この見事な鯛が、クマ蔵の手にかかると下の写真のようなアリサマに変貌する)

 午後3時、九十九島をめぐる遊覧船の最終便「パールクイーン号」が、サト助を乗せてゆっくりと岸壁を離れた。ホントはその30分前、海賊船タイプの遊覧船にも乗れたのであるが、海賊船のほうはいろいろなアトラクションに参加しなければならない。
 悪魔に操られた恐ろしいミイラ軍を相手に、コドモたちとともに戦いに参加し、ミイラ軍と戦って見事に打ち負かしたり、そういうマコトにメンドーなアトラクションに参加しないと、九十九島を堪能できないシステムになっている。
 もしそういうことなら30分ぐらいゆっくり待って、おとなしく夕暮れの島々の風景を満喫できる船のほうがいい。やがてやって来たパールクイーン号に乗り込むと、サト助はさっそく売店で生ビールと名物「高島ちくわ」を購入して、春の夕暮れの航海を満喫することにした。
残骸
(クマ蔵によるタイの残骸)

 乗り込む直前、キップを切ってくれる地元のジーサマに「右と左、どっちが景色がいいですかね?」と尋ねてみた。観光地のサト助は、いつでもそういう質問をするのである。ところが諸君、ジーサマの答えは「上ですね。上」であった。
 ま、メンドーだったのでござるかね? 「右ですか左ですか?」という質問に「上ですね」と答えるのは、「タイですか、ヒラメですか?」に「カンボジアですね」と答えるのに等しい。マコトに頓珍漢であるが、トンチンカンって「頓珍漢」と書くんだと分かっただけでも素晴らしいじゃないか。
 松尾芭蕉どんは、松島の海と出羽の国・象潟(きさかた)の海を比較して「松島は笑うがごとく、象潟は恨むがごとし」と「奥の細道」に書いた。うにゃにゃ。さすがでござるね。芭蕉どんが訪れた50年後、象潟は地震が原因の地盤隆起ですっかり風景が変わってしまったが、芭蕉どんの名句
「象潟や 雨に西施が ねぶの花」
で今も有名。秋田県の小学生は3年生か4年生の遠足で必ず象潟を訪れる。
団扇海老
(長崎名物、ウチワ海老の姿造り)

 「何なんだ?西施って?」という諸君、もうちょい古文常識ぐらい勉強しようぜ。「西施」と書いて「せいし」は、中国・周代の越の国の美女。胸を病んで、たえず眉をひそめていたが、つらそうに眉をひそめている姿もまた美しい。ツラそうな美しさに王様がすっかりイカれてしまい、西施の美しさにウツツを抜かしている間に国が傾いた。
 芭蕉どんは、ツラそうに眉をひそめている西施の姿を、夜になって花を閉じたねぶの花に例え、しかも両者に共通の恨むような美しさを象潟の海に例えたのだが、諸君、さすが我ら日本人の誇る天才・バセオどんでござるね。
 その象潟の海も、地震で地盤が隆起するまでは「九十九島」と呼ばれていた。今から数百年前、小学生だったサト助も遠足で象潟を訪れ、タップリの水を湛えた水田の中に浮かんだかつての九十九島に、バセオちゃんがかつて眺めた西施の美しさを思い浮かべたものである。
思案橋
(長崎・思案橋横丁の光景)

 しかし諸君、今日の長崎の九十九島は、まさに「眠るが如し」である。松島は笑うがごとく、象潟は恨むがごとく、長崎九十九島は眠るがごとし。「眠る」というよし「まどろむ」のほうがピッタリかもしれない。
 「九十九島はまどろむがごとし」。春の陽光の中で、すべてを忘れてまどろむヒトを想像してみたまえ。今井君なんかは、マコトにノンキな審美眼の持ち主であるから、病気でツラそうに眉をひそめている美女よりも、ちょっとダラしなくお昼寝してヨダレでも流しそうな人物のほうがいい。
 ということになれば、こちらも完全に油断できるじゃないか。ツラそうに眉なんか顰められたんじゃ、こちらもいつ叱られるか分からないからダラしないことは一切できない。相手がヨダレぐらい垂らしてくれなきゃ、生ビールの追加も買いにいけないでござるよ。
 というわけで、「松島は笑うが如く、象潟は恨むが如く、九十九島はまどろむが如し」に決定。サト助は安心してデレデレお酒を飲むことに決め、①高島ちくわ、②アオサ鯛など、長崎ご自慢の煉り物を次々と売店で購入。「長崎や 船で竹輪を もーぐもぐ」と、芭蕉に負けない名句を吐いて、それから意気揚々と長崎に向かうことにした。

1E(Cd) Perlea & Bamberg:RIMSKY-KORSAKOV/SCHEHERAZADE
2E(Cd) Chailly & RSO Berlin:ORFF/CARMINA BURANA
3E(Cd) Pickett & New London Consort:CARMINA BURANA vol.2
4E(Cd) Menuhin & Bath Festival:HÄNDEL/WASSERMUSIK
5E(Cd) Diaz & Soriano:RODRIGO/CONCIERTO DE ARANJUEZ
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