Sat 140222 豊橋からの帰り道 二俣川でお仕事 都会の子の素直さに驚嘆 田舎の消滅 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 140222 豊橋からの帰り道 二俣川でお仕事 都会の子の素直さに驚嘆 田舎の消滅

 3月11日、久しぶりに丸1日の休みではあるが、目を覚ましたのは名古屋のマリオットホテル。お仕事はなくても、「名古屋から東京に帰る」だけはやっておかなくてはならなくて、疲労した中年オヤジの身には、その程度のことでも十分に厄介である。
 お昼近くまでホテルでゆっくりして、お昼ちょいすぎの「のぞみ」に乗り込んだ。移動のお楽しみはやっぱりお弁当であって、名古屋なら豪快に「味噌カツ」か「海老フリャー」が定番である。
 お弁当売り場を物色すると、意外に「海老フリャー」の人気がなくて、ズラリと並んでクマ蔵を手招きするのは味噌カツばかりである。お昼なら「天むす」も悪くないが、炭水化物の摂りすぎは中年グマの健康を害しやすい。
 素直に「味噌カツ」を選択して、ついでにビア1缶と、日本酒180mlを購入。ついでだから「六合ハム」のサラミソーセージも1袋。これはもちろん酒のツマミである。「お昼からそんな自堕落なことして大丈夫?」ではあるが、久しぶりのお休みなんだから、まあ許してくれたまえ。
富士山遠景
(新幹線、新富士駅付近からの富士山)

 「六合ハム」と書いて、「くにハム」と読む。「六合」で「くに」とは、何となく解せないが、日本の地名は難しい。何で「六合=くに」なのかは、郷土歴史かにお任せして、群馬県の山の奥深く、吾妻郡六合村というところにあった「群馬鉄山」という鉄鉱石の鉱山が、六合ハムのモトになっている。
 ここで鉄鉱石の採掘が行われたのは、昭和20年ごろから40年まで。閉山後、日本鋼管(現JFE)が鉱山跡地の自然回帰を進めた。やがてここの農場で「六合豚」というブランド豚が生まれ、ハムやソーセージになって全国に広まった。
 ま、そういう故事来歴は今日のクマ蔵にはどうでもよくて、旨いツマミで旨い酒が飲めれば、キライな新幹線移動にもハリが出るじゃないか。クマ蔵がこのサラミソーセージの存在に気づいたのは、今から15年前の代ゼミ講師時代。帰りの新幹線の中でこれをモグモグやるのを楽しみに、毎週1回、勤勉に名古屋に出張した。
 今日もまた、「のぞみ」に乗り込んですぐに「名古屋味噌カツ弁当」を開いた。前にも書いたけれども、その時サト助のすぐ後ろの席にいたのが「東大後期試験を受験に行きます」という賢げな受験生。東大後期関係の本をいろいろ窓際に置いて、図書館で借りたらしい英語の原書に読みふけっていた。
 お隣で週刊誌をめくっているのは、おそらく彼のママだったろう。前日の10日が東大前期試験の発表。後期試験は翌々日の13日だったから、11日のうちに東京に移動して、後期試験に万全の状況で乗り込もうというわけだ。
富士山
(3月11日の富士、拡大図)

 そういう受験生が真うしろの席にいるということになると、今井君なんかも暢気に味噌カツなんかモグモグやってはいられない。キャベツをサクサク咀嚼する音だって彼に迷惑がかかるだろうし、カツをゴクリと嚥下する音も、彼の最後の追い込みに悪影響があるかもしれない。
 いったんその種のことを心配すると、サト助はどこまでも神経質になってしまう。缶ビールを開ける「プシュ!!」はどうだろう。「グビグビ!!」「キューーッ!!」なんてのも、迷惑がかからないとは断言できないじゃないか。
 何よりいけないのは、レジでもらう白いシャカシャカ袋のシャカシャカ音。お弁当を出したり片付けたり、お酒を出したり片付けたり、六合ハムを出したり片付けたり、そうした行動すべてに苛立たしいシャカシャカ音がやむを得ず付随して、東大後期受験生をイライラさせてしまいそうだ。
 こういうふうで、お弁当を食べるのも六合ハムをかじるのも、ビールを開けるのもお酒をクイクイやるのも、全てがオッカナビックリになってしまう。味噌カツ弁当は豊橋を通過するまでに平らげ、おもむろに六合ハムを取り出し、お酒のほうも静岡通過とほぼ同時になくなった。
 クマ蔵がホッとすると同時に、左の窓に大きな富士が姿を現した。昨日の寒冷前線の通過とともに、日本上空の空気が一気に澄みきったらしい。黄砂もPM2.5も、スギ花粉もヒノキの花粉も、その存在が全く感じられない最高の富士である。
 昨夜の豊橋や名古屋でチラついた雪は、当然のように早春の富士山にも降り積もったらしい。まるで富士山の絵のお手本みたいに中腹まで白く雪に覆われて、「テルマエ・ロマエ」でお馴染み、むかしの銭湯の富士山並みの絶景であった。
二俣川1
(神奈川県二俣川の大盛況 1)

 翌3月12日は、夕方から神奈川県二俣川でお仕事。「フタマタガワ」と言われても、あんまりピンと来る人は多くないだろうけれども、横浜から相模鉄道の急行でわずか10分。駅前も大いに栄えていて、元気な高校生のグループが夕暮れを過ぎても頻繁に行き交っている。
 出席者、約200名。借りた会場が「250名は収容できます」という大きな会場だったので、若干の空席が出来てしまったのは致し方ない。「二俣川」というピンポイントで、よく200名もの高校生が集まってくれた。感謝、感謝、また感謝である。
 昭和のむかしなら「田舎の子は素直だけれども、都会の子はみんなヒネくれている」というのが定番だった。田舎の子は「これをやりなさい」と言われればマコトに素直にその通りに励む。ところが都会の子は「でも…」「しかし…」「だけど…」と反論を試み、素直にアドバイスを受け入れようとしない。それが昭和の固定観念だった。
 しかし平成に入り、21世紀もすでに13年が過ぎて、こういう定番の固定観念は全く通用しなくなった。むしろ正反対に「都会の子は素直だけど、田舎の子はヒネくれている」と考えたほうがいい。
二俣川2
(神奈川県二俣川の大盛況 2)

 都会の子は、「単語と文法をやりなさい」「徹底的に音読しなさい」とアドバイスすれば、すぐに黙々とそれに取りかかる。逆に田舎の子のほうが「でもぉ…」「だけどぉ…」とグズグズ言いはじめ、それどころか「どうしてやらなきゃいけないんですか?」と顔をしかめてみせる。
 しかも諸君、誤解されないうちにハッキリと言っておくが、サト助が見るところ、日本から「田舎」というものが消えたようなのだ。日本中どこに行っても、受験生たちはマコトに見事な東京コトバを操り、昭和の終盤まで各地にあふれた方言や訛りは、少なくとも若者たちの世界ではほぼ絶滅してしまったようである。
 要するに今や、日本中がすべて都会なのである。受験生たちは例外なく都会の受験生であって、マコトによくオトナの言うことを聞く。「単語と文法」「音読徹底」など、今井君は特に基礎徹底にうるさい講師であるが、その大熱演に対する反論とか疑問みたいなものは、ほとんど感じられない。
 ましてや 今日の二俣川みたいに、「横浜まで電車で10分」などという恵まれた地域に来ると、受験生たちの素直さはいっそう見事なものになる。あんまり相手が素直だと、講師が甘やかされてよくないような気もするが、マコトにおめでたいことだけは間違いない。
二俣川3
(神奈川県二俣川の大盛況 3)

 終了後、電車で横浜に移動して大祝勝会。その前に、二俣川の駅前で「今井先生の授業、ぜんぶ受けました」という青年に挨拶された。無事に九州大学の理学部に合格して、これから福岡に向かうのだという。こういう挨拶は大歓迎だ。諸君、今井君を見つけたらどんどん遠慮なく挨拶してくれたまえ。
 夜10時近くなると、横浜駅前もかなりワイルドな雰囲気になる。ヨッパライの人口密度は新宿歌舞伎町や渋谷センター街に勝るとも劣らない。そういうヨッパライの間を縫って、「今まで塾で勉強していました」と一目でわかる高校生諸君が急ぎ足で横浜駅に吸い込まれていく。諸君、たちの悪いヨッパライにカラまれたりしないように、くれぐれも気をつけて帰ってくれたまえ。

1E(Cd) Lima:CHOPIN FAVORITE PIANO PIECES
2E(Cd) Muti & Berlin:VERDI/FOUR SACRED PIECES
3E(Cd) Reiner & Wien:VERDI/REQUIEM 1/2
4E(Cd) Reiner & Wien:VERDI/REQUIEM 2/2
5E(Cd) Mravinsky & Leningrad:SHOSTAKOVICH/SYMPHONY No.5
total m126 y281 d13201