Tue 140128 感涙のクマ蔵 新神戸「みかど自由亭」 神戸から藤沢への旅 藤沢でお仕事 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 140128 感涙のクマ蔵 新神戸「みかど自由亭」 神戸から藤沢への旅 藤沢でお仕事

 2月20日朝、今井君はまだ神戸にいた。昨夜はコンビニで買ってきたカレーを食べながら、朝2時ごろまで赤ワインを飲み続けていたが、どこでどうベッドに入ったのか、よく記憶していない。
 午前7時、ちょっと朦朧とした気分で目を覚まし、とりあえずテレビをつけてみると、NHKのニュースキャスターが男女とも異様に暗い表情で、「これじゃお通夜の席のほうがずっと陽気じゃないか」と、思わず噴き出しそうになるぐらいであった。
 そのぐらい、浅田真央選手のSPの結果は衝撃的だったのだ。この日の午前から午後にかけて、日本の株価は急激に下がっていくけれども、これには間違いなくフィギュアSPの結果が反映されていたはずだ。我々日本人は、そのぐらい心の熱い国民なのだ。
藤沢1
(2月20日、神奈川県藤沢の大盛況 1)

 今井君なんかも、物心ついてから初めて熱い涙を流した記憶は、札幌オリンピックの70メートル級ジャンプで「日の丸飛行隊メダル独占」の日のことである。Mac君みたいに、「ひのまるひこうたい」→「火のマル秘交代」とオドロキの変換をするヤツとは違って、サト助は心の底から熱いヤツなのだ。
 あれは、確か日曜日のお昼ごろ。今井君の父・三千雄どんもお仕事が休みで、サト助の目の前で寝そべったまま涙を流していた。今は亡き父の涙を目撃したのは、あの時1回だけである。
 最初に飛んだ金野選手の銀メダル以上が確定。青地選手は風でバランスを崩したけれども、何とか銅メダルを確保。最後に飛んだ笠谷選手が「さあ笠谷」「さあ笠谷」「金メダルへのジャンプ!!」→「飛んだ決まった、見事なジャンプ」で、メダル独占が決まった。
 何故あのとき、NHKの実況は北出清五郎アナだったのだろう。北出サンと言えば、何と言っても大相撲中継のヒト。大相撲中継の世界では、杉山サンや向坂サンの大先輩である。大鵬も柏戸も、北の富士も玉の海も、琴桜も大麒麟も、北出サンのアナウンスがあったからこそヒーローになったようなものである。
 あのころの日本のフィギュアスケートを知っているヒトなら、浅田選手の活躍を眺めながら、あれからたった40年しか経過していないなんて、信じがたい思いだろう。
 オーストリアのシューバ(金)とか、カナダのマグヌセン(銀)とか、アメリカのジャネット・リン(銅)とか、そういう脚の長い欧米の選手の活躍を「指をくわえて眺めているだけ」というのが、あのころの日本だった。
藤沢DM
(藤沢では、こんなDMを制作してくれた)

 いいじゃないか、SPで大きく失敗したって。そのぶんフリーで取り返せば、全てが思う通りに運んで金メダルを獲るよりも、もっともっと激しく日本の人たちを感激させられる。国中のヒトを思い切り号泣させてくれたら、むしろそのほうが記憶に長く美しく鮮やかに残るかもしれない。
 というか、クマ蔵としてはこの段階で浅田選手が「棄権」などということを考えないか、そのことのほうを心配していたのである。揺るがぬ金メダル候補と認められていたトップ選手にとって、「前半16位」という結果がどれほどプライドをズタズタにするか、そんなことは誰にだって分かる。
 例えば、(あまりに話の次元が違うかもしれないが)東京大学理科3類を志望して、「アイツなら大丈夫だろう」と言われ続けた受験生がここにいるとする。数々の模擬試験でも最優秀の成績で、すでにその名は全国の受験生の憧れの的にさえなっている。
 ところがセンター試験の日に緊張しすぎて、英語でマークシートが1つずつずれてしまった。満点を狙った英語で、120点。彼または彼女の絶望の深さは、周囲の者でさえ覗き込むのが恐ろしいほどである。「こんなんで、2次なんか受けても仕方ない」と絶叫して、棄権を決断してもおかしくない。
 ボクチンは、ちょうど浅田選手の父親ぐらいの年齢であるから、朝7時のNHKニュースを眺めながら、思わず号泣した。「どんなにプライドが傷ついても、絶対に棄権だけはしちゃいけないよ」と、思わず画面に向かって語りかけそうなほどであった。
自由亭
(新神戸駅「みかど自由亭」のステーキカレー)

 そんなに感涙している割には、昼がくれば腹が減る。クマとはどうしようもない生物であって、12時にホテルをチェックアウトしたクマどんは、神戸にくれば定番にしている新神戸駅構内「みかど自由亭」で、大好きな「ステーキカレー」を注文した。
 カレー1皿1100円は、ランチとしてはちょっと値段が張るかも知れないが、激務の連続する日々なんだし、まあいいじゃないか。許してくれたまえ。クマ蔵の大好きな「脂身少なめ」「肉質タップリ」の大きなお肉を、しっかり焼いてゴハンにのっけてくれる。
 カレーも、少し辛め。それでもサト助には辛さが不足するから、テーブルの上のコショーをタップリふりかけて、「これ以上、辛くすることは困難です」というぐらいに辛くしたのを思い切り頬張り、ダラダラ汗を流しつつ平らげた。
 もちろん、日本のグルメさま&カレー通さまたちが聞いたら「なんだ、そんな店で食ってんの?」と冷笑&失笑するのかもしれないが、クマ蔵どんは別にかまわない。いまのうちにシッカリ腹ごしらえして、夕方からの藤沢でのお仕事に備えなきゃいけない。
 神戸・三宮までは地下鉄で。三宮に河合塾現役館がオープンするらしくて、地下鉄も三宮駅もゴテゴテ&ベタベタ、広告ポスターが所セマシと貼られているけれども、元はと言えばこのポスター代もみんな生徒の授業料。もうちょっと効率的な広告にすべきだと思うのだが、残念ながら、ダメな落語家のヒトクチ話みたいなのばっかりだ。
藤沢2
(2月20日、神奈川県藤沢の大盛況 2)

 三宮からは高速バスで大阪伊丹空港へ。伊丹の空港ラウンジでブログを1本アップした後、3時のヒコーキで羽田へビューン。羽田から京急線で横浜、横浜で東海道線に乗り換えて、藤沢には5時半過ぎ到着した。藤沢でのお仕事は7時半からだから、ちょっと到着が早すぎたが、ま、こればっかりは致し方ない。
 出席者、200名強。藤沢は首都圏有数の予備校密集地域であり、湘南高校・鎌倉高校・平塚江南高校など、公立の名門高校が軒を並べて、生徒たちの学力も高い。昭和の終盤から一気に名声を高めた私立有名校だって、枚挙にイトマがないぐらいだ。
 「優秀な生徒がたくさん」ということで、クマ蔵のお仕事バージョンもいろいろ検討が必要である。諸君、何しろクマ蔵はもともと駿台・お茶の水本部校舎で「東大スーパー」を全クラス担当していた講師であって、「難しい話をしてください」と言われれば、即座に高級な話に切り替えることぐらい朝飯前だ。
 そこで早速、バージョンを「センター90%を確保するための戦略と戦術」にスイッチ。神奈川県有数の有名高校に通っているプライドの高い諸君を相手に、「いかにしてセンター90%を確保し、95%突破を狙うか」、90分間の大爆笑の連続の中、戦略編60分+戦術編30分、最後まで熱気は途切れなかった。
 9時10分、「花束を贈呈いたします」ということになった。「今井先生のおかげで、医師になる道がとうとう開けました」という卒業間近の高3生が、マコトに美しい花束を手渡してくれた。いやはや、学部に進学した後も、ぜひ素晴らしいお医者さまになるよう、たゆまず努力を続けてくださいませ。
藤沢3
(ラストに花束をもらう。これもまた感激の一瞬である)

 終了後、オジサマたち4人で大祝勝会へ。藤沢駅南口「花火」で23時15分まで、メニューにありったけの日本酒を次から次へと痛飲しながら、旨い焼き鳥を楽しんだ。
 「33歳です」というイケメンの店長をはじめ、店員さんたちも優しく巧みに中年4人を扱ってくれた。最近なかなかお目にかからない気持ちのいいお店である。藤沢周辺にお仕事で来ることがあれば、1人でも是非また立ち寄ってみたい。
 藤沢からは「品川行き・終電車」で帰った。品川からは、タクシー。最後に思いがけずオカネがかかっちゃったけれども、今日もまたホントに素晴らしい1日であった。
 チェッカー・タクシーの運転手さんとの会話は、やっぱりフィギュアの浅田選手の話題。このわずか4時間後に、日本中を感激と感涙にさそう歴史的な名演技が始まるとは、神ならぬクマ蔵なんかには、その気配さえも感じられなかったのである。

1E(Cd) Joe Sample:SWING SWEET CAFE
2E(Cd) Joe Sample & Lalah Hathaway:THE SONG LIVES ON
3E(Cd) Lee Ritenour:WES BOUND
4E(Cd) Marc Antoine:MADRID
5E(Cd) Shiff:BACH/GOLDBERG VARIATIONS
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