Fri 140103 大昔の知り合いの著書 ヒトケないブロワ 馬で城めぐり(マタパリ26) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 140103 大昔の知り合いの著書 ヒトケないブロワ 馬で城めぐり(マタパリ26)

 本屋で歴史の本を漁っていたら、あくまで今井君個人にとってであるが、何とも言えず懐かしい名前を発見した。歴史関係の出版で有名な「吉川弘文館」から、30年近くも昔の知り合いの新刊書を発見したのである。
 おそらく彼は今井君のことを記憶していないと思う。というか、もし何かの拍子にこのブログを見ることがあったとしても、「何で今井サンはボクのことなんか記憶しているんだろう」と不思議そうに首を傾げるに違いない。
 彼と話したことは3度か4度。それもホンのお愛想で笑顔を交わしただけである。サッサと電通をヤメてしまった後、アルバイト気分で働いていた塾の講師室で、彼と交わしたコトバは「海外旅行、行きたいですね」と「オウムの麻原彰晃、どう思います?」という程度。ホンの世間話に過ぎなかった。
 中学生主体のチェーン塾の南浦和校。駅前に5階建ての独立校舎があり、高校生も3学年で合計100人ぐらいが通っていた。彼はその日本史担当。今井君は、英語と現代文を細々と教え、ついでに校舎全体の統括もやらされた。正直に言って、人生で最もツラい時期だった。
ブロワ城1
(ブロワ城。正面がガストン・ドルレアン棟。向かって右、階段のついているのががフランソワ1世棟)

 1年半ほどそこで頑張ったけれども、「もうこれ以上はとても無理」と決意。生活の場を河合塾や駿台に移した。当時の巨大予備校は講師の生存競争が今とは比較にならないほど激しくて、「今井なんかがそんな所で戦えるはずがない」と、周囲の人々にせせら笑われた。
 その後も、彼はあの塾にとどまって日本史を教え続けたはずであるが、まもなく南浦和校は消滅。「居抜き」という形で別の塾に取って代わられた。代わりに駅前ビルを占拠したのは当時の超有名塾「TAP」だった。
 今やTAPは影も形もないが、TAPからSAPIXが分離独立する騒動を経て、あの頃はまだまだ「腐っても鯛」な感じだった。しかし試しにググって見ると、「TAP」で検索して出てくるのは「ポルトガル航空」ばかり。世の中の変遷はマコトに早い。
 何しろ昔のTAPは、東京駅のそば・八丁堀に大校舎を構え、神奈川や埼玉や千葉の奥のほうからでも、優秀な小中学生が無理して八丁堀に通った。時の経過は恐ろしい。あれほど栄華を誇った塾でも、たった25年で消滅してしまうのであるね。
ブロワ城2
(ブロワ城、ルイ12世棟)

 当時の彼はまだ25歳になるかならぬかの青年であったが、今はもう堂々たるオジサマになっていらっしゃるはずである。この25年をしっかりと専門の研究に励んで過ごし、とうとう吉川弘文館から著書を出版された。マコトにおめでたい。
 「たゆまぬ努力」ほど素晴らしいものはなくて、25年も昔に「袖が擦りあった程度」というホンの知り合いでも、キチンと専門分野で成果を出しているのを発見するのは嬉しいものだ。今後ともご活躍を期待している。
 なお、彼の名前と著書名はここには書かないでおく。ホンのわずかではあるが、承諾なしに昔のことを書いてしまったので、気分を害されるかもしれない。関心のあるヒトは、本屋さんで吉川弘文館の本を手に取りながら、「この人かな?」「この本かな?」と想像する程度にしてくれたまえ。
 薄暗い塾の講師室で、未来の歴史学者と「海外旅行、行きたいですね」と笑顔で語り合ってから25年。サト助はすっかり海外旅行マニアになって、1年のうち6~8週間を外国で暮らすようになった。
 2005年から、もう9年もそれを続けている。南の島ぐらいしか出かけなかった当時がウソのようである。もしかしたら、25年前に彼とああやって軽い雑談に興じたのが全てのキッカケだったかもしれない。
ガーゴイル
(ブロワ城、不気味なガーゴイルたち)

 12月27日、ちょうど1ヶ月前になるが、外国旅行マニアのサト助はブロワとオルレアンを訪ねることにした。朝9時すぎ、冷たい雨の降るブロワの駅に降りると、観光客はおろか一般のヒトの影もまばらである。
 駅前は、ベストウェスタンチェーンの3階建てのホテルが1軒ポツンとあるだけ。飲食店のたぐいも、そのホテルの1階の店しか見当たらない。うーん、外国旅行マニアにとって、この静けさ、この閑散ぶり、このヒトケのなさがたまらないのである。
 なお、諸君の知恵を貸してほしいのだが、「ヒトケがない」という文字をどう書いたらいいものかね。Mac君にお願いして普通に変換してもらうと、どうしても「人気がない」としか出てこない。Mac君ばかりか、ウィンドウズちゃんでもやっぱり「人気がない」だし、広辞苑さまも「人気がない」だ。
 すると、どうしてもボクチンには「ニンキがない」にしか見えないのだ。「ヒトケがない」と書いたつもりが「ニンキがない」と読まれてしまうのは、その可能性がホンの少ししかなくても、サト助はイヤなのである。
 新聞や書籍では、気にする筆者たちはルビをつけてゴマかしている。「人気がない」と書いた上で、「ありゃりゃ、これじゃニンキがないみたいじゃないか」と気がつき、慌てて「ひとけ」とルビをふる。
 うーん、しかしサト助はそれじゃイヤなのだ。ルビに頼らず、「ないのはニンキじゃなくてヒトケなんですよ」と読む人みんなに分からせたい。諸君、ぜひ知恵を貸していただきたい。
王の寝室
(ブロワ城、王の寝室。ずいぶん広い割に、ベッドが何だか狭苦しいでござるね)

 さて、ヒトケのない駅前からヒトケのない道を10分ほど歩いて右折すると、ヒトケのないブロワ城はすぐに見つかった。城の前にもヒトケは全くなくて、今日もまたサト助はヒョウロクダマ状態であるが、このヒョウロクダマ感がまた外国旅行マニアにはたまらなく楽しいのである。
 「このお城って、ヒトケもニンキも両方ないのかな」とニタニタしながら、案内所でチケットを購入。ヒトケもニンキもないクセに、10ユーロも払わなきゃ中に入れてくれない。おお、ニンキもヒトケもなくなった予備校より、ヒコーキ代がかかっているぶん、遥かに割高な感じであるね。
 しかし諸君、ブロワ城の背後には、やっぱり輝かしい歴史がある。1980~90年代に雨後のタケノコのように支店を増やし、ターミナル駅の駅前を巨艦校舎で占領していった巨大予備校とは、その歴史の厚みが違うのだ。
 1498年、王ルイ12世はブロワ城をフランス第1の城と決める。アンリ4世が「やっぱりパリに戻るんべ」と決めるまで、約100年間は、このブロワこそフランス王の居城だったのだ。
 1515年にはフランソワ1世が「フランソワ棟」を造営。城の中庭に立つと、美しい八角形の「フランソワ1世階段」が目につく。冷たい雨を避けて城館の中に入ると、フランソワ1世のシンボル・サラマンダーの装飾がたくさん、不気味なガーゴイルたちとともにサト助を迎えてくれた。
ブロワ城3
(フランソワ1世階段)

 ブロワは「ロワール河古城めぐり」の起点となる街であって、近くにはシャンポール城やシュベルニー城もある。夏のシーズン中にはブロワから巡回バスが出てシャンポールとシュベルニーを回ってくれる。貸し自転車で回ることもできるらしい。
 驚いたことに、「馬で城めぐり」という方法もあるんだそうだ。馬を借り、馬専用の散策路を通って、ロワール河流域に次々と現れる城をめぐる。見学中に馬を預かってくれる場所もあって、おお、そりゃマコトに優雅なお話だ。
 乗馬服に乗馬靴、片手でムチをシュンシュン鳴らしながら、16世紀のお城をめぐれば、それはもう完全に宝塚な気分。お城の陰のバラ園から、ピンク色のお姫様なんかが恥ずかしげに目を伏せながら登場すれば、クマ蔵もサト助も、あっという間にクロードとかドミニクとかオーギュスタンとかに改名して、「どうしました、お嬢さん?」とか、恐ろしいセリフを吐いてしまいそうである。

1E(Cd) Shiff:BACH/GOLDBERG VARIATIONS
2E(Cd) Shiff:BACH/GOLDBERG VARIATIONS
3E(Cd) Holliger & Brendel:SCHUMANN/WORKS FOR OBOE AND PIANO
4E(Cd) Indjic:SCHUMANN/FANTAISIESTÜCKE CARNAVAL
5E(Cd) Argerich:SCHUMANN/KINDERSZENEN
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