Thu 140102 のほほん♡のほほん 大石泰彦教授、死去 ブロワに向かう(マタパリ25) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 140102 のほほん♡のほほん 大石泰彦教授、死去 ブロワに向かう(マタパリ25)

 1月26日、気がつけばすでにセンター試験から丸1週間が過ぎている。
 時の流れというものはマコトに容赦のないもので、あんなに「センターだ♨」「センターだ♨」と騒いでいた受験生諸君が、「ちょっと疲れたな」「センターも終わったし、今日ぐらい身体を休めてもいいだろう」と、思わず気を緩めているうちに、あっという間に1週間が過ぎてしまった。
 気がつけば、国公立2次までちょうど1ヶ月を残すばかりである。いやはや、センターから1週間が瞬く間に終わってしまったとすれば、ここからの1ヶ月だってやっぱり瞬く間に過ぎるはずだ。
 ノンキにお正月の残りのオモチを頬張ったり、デコポンなんかをムシャムシャやっていたりすれば、気がつかないうちに関関同立や早慶上智の入試もみんな終わって、「さあ、国公立の本番だ」という朝を迎えることになる。
 それはいま高2や高1の諸君だって同じことで、1年の過ぎるのはビックリするぐらい早い。だって、2014年に入ってからもうすぐ1ヶ月が終わる。1ヶ月が夢のように過ぎるなら、1年もやはり夢のように早い。
 ついでに言えば、今井君が代ゼミから移籍してきてすでに9年が経過する。2014年が移籍10年目。1ヶ月は飛ぶように過ぎ、1年も飛ぶがごとくであり、「10年」という単位にすがってみても、やはりあっという間に過ぎてしまう。
 そうやって日々は過ぎ、ノホホンとしているうちに、
「あれれ、予備校講師になってもう25年も経過した」
「あれれ、新年会に明け暮れているうちに、もう新年は25日も過ぎてしまった」
ということになる。ご用心&ご用心であるね。
機関車
(パリ、朝のオーステルリッツ駅にゴツい機関車が並ぶ)

 そもそも「のほほん」とは、どんな意味なんだろう。というか、もともとの語源はいかに? 辞書をみると、「何もせず、何も気にしないで暢気にしているさま」であって、
「毎日のほほんと暮らしています」
「お嬢さま育ちで、のほほんとした女性」
「親の苦労も知らず、のほほんとしている」
など、つまらん例文がくっついている。
 語源のほうは、辞書をひっくりかえしてもよく分からない。「擬態語の一種」とあって、広辞苑は「江戸時代の俗謡の囃子詞」と説明する。は? 俗謡の囃子詞? 囃子詞ということは、よく民謡なんかで
「ああ、どうしたどうした」
「ああ、どっこいしょどっこいしょ」
みたいに挿入するヤツだ。
「草津よいとこ一度はおいで、ああ、どっこいしょ」
「お湯の中にも花が咲くよ、ああ、どっこいしょ」
あれと同じように
「予備校よいとこ一度はおいで、さあ、のほほん♡のほほん」
「講師も生徒も陽気なもんだ、それ、のほほん♡のほほん」
みたいになるんですかね。
ブロワ着
(朝9時半、インターシティはブロワの駅に到着する)

 イプセンの超有名な戯曲「人形の家」では、女主人公ノラを夫のヘルマーが「のほほん鳥」と呼んでからかう。若く美しい妻ノラをお人形あつかいにして可愛がり、やがてノラはそのお人形あつかいに愛想をつかして家出してしまうのだが、最後の最後までヘルマーはノラの苛立ちに気づかない。
 ま、19世紀の戯曲だ。日本に紹介したのは森鴎外に島村抱月。「ノラくん、ボクの可愛いのほほん鳥さん」じゃ、いくら何でもさすがにヒドすぎて、21世紀の若い読者諸君にはどうかと思うが、それでも「のほほん」がどんな形容なのかはよく分かる。
ブロワ駅
(ブロワ駅。古城の雰囲気をこわさない、静かな趣きの駅である)

 さて、のほほんとしているうちにどんどん世の中は動いていって、本棚にはまだ自分の受験生当時の参考書が残っているのに、その著者の訃報に接したりする。それこそノホホンと新聞をめくっていたら、社会面のごくごく隅っこのほうに小さく「大石泰彦、死去」の記事があった。
 大石泰彦と言われてすぐに分かるヒトはそんなに多くないだろうが、東京大学経済学部教授、1970年ごろ東大経済学部長も務めた方である。ご冥福をお祈りする。その昔、
 彼の「現代経済学入門」(有斐閣双書)は、資格試験を目指す大学生のバイブルと言ってよかった。「経済学がどうしても分からない」というヒトビトにとって、たった250ページで経済学の初歩を理解させてくれるコンパクトな名著だった。
 受験生諸君、めでたく学部に入学した後も、まだまだいろいろ参考書のお世話にならなければ、世の中に出ることはできないのである。同じ有斐閣双書の「行政法概説」(杉村敏正)や「財政学要論」(肥後和夫)は、公務員を目指した昔の大学生必須の1冊。こういう本でテキパキ&サッサと勉強した人が、霞ヶ関の高級官僚として21世紀の日本を牛耳っているのかもしれない。
有斐閣双書
(昔の大学生のバイブル、有斐閣双書。クマ蔵はこの3冊で学部の期末試験を乗り切った)

 さて、こんなふうに時の流れはマコトに厳しいものであるから、クマ蔵どんものほほん&のほほんとはしていられない。せめて「マタパリ」の話ぐらいはテキパキ進めておかないと、記憶のほうも薄れていく。12月26日のパリでサーカスを見に行った話まで書いたが、それももう1ヶ月前のこと。時の経過はホントに速いものでござるね。
 12月27日のサト助は、「今日は午前中にブロワ、午後からオルレアン」と、サト助らしくもなく奇妙に張り切っていた。この日が2013年冬のパリ滞在最終日。「明日は東京に戻らなきゃ」という日であって、要するに少なからず焦っていたのである。
 ブロワまでは、オーステルリッツ駅からインターシティで1時間とちょっと。まだ暗い朝7時にホテルを出て、8時のインターシティに乗り込めば、ようやく夜が明けた9時チョイすぎにブロワの駅に到着する。
ブロワ城遠景
(ブロワ駅前の通りを直進。徒歩10分ほどで右折すると、雨の中にブロワ城が見えてきた)

 この日のパリもまた朝から冷たい雨が降って、ぶるぶる震えながらのブロワ観光になるが、そのぶん他の観光客に悩まされることがないから、クマ蔵みたいな天邪鬼にとってはむしろ雨の日は嬉しいぐらいだ。
 特に「団体さん」がいるかいないかは重要である。中国のヒトビトでも、日本や韓国のヒトビトでも、大型バスでワアーッと襲ってきて、写真を撮りまくりオミヤゲを買いまくってワアーッと去っていく類いの団体さんには、まさに唖然とするしかない。
 昔ならそういうのはヴェネツィアやフィレンツェに限られたものだったが、最近は静かな田舎町でも騒がしい団体さんに遭遇する。一昨日のストラスブールやコルマールでもそうだった。オンフルールなんかは、「モン・サン・ミシェルに行く途中のトイレ休憩」みたいな、困った訪れ方をするようなのである。
 こんな冷たい雨ならば、その類いのヒトビトに巻き込まれてウンザリすることはなさそうだ。寒々しいけれども、ロワール河の古城「ブロア城」をゆっくりと満喫できそうである。

1E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 2/2
2E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 1/2
3E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN 2/2
5E(Cd) Shiff:BACH/GOLDBERG VARIATIONS
5E(Cd) Shiff:BACH/GOLDBERG VARIATIONS
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