Mon 131216 ストラスブールの長い歴史を思う 天文時計とメメント・モリ(マタパリ14) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 131216 ストラスブールの長い歴史を思う 天文時計とメメント・モリ(マタパリ14)

 こうして(スミマセン、昨日の続きです)、朝早くパリを発ったサト助君は、11時にストラスブールに到着。TGVで2時間以上かかるんだから、パリからなら、ブリュッセルやルクセンブルグのほうがずっと近いことになる。
 フランスは6角形の太った星の形であるが、その6角形の北東側の頂点がストラスブール。「えーっ、フランスが6角形?」「お星さまの形?」と驚くヒトは、フランスの地図をまだよく見たことがない証拠だ。ぜひすぐに地図帳を出して、「6角形の星の形」を確認してほしい。
 話は大きくそれるが、最近サト助どんは「星くんダンス」というワザを編み出した。2014年に収録する授業や、全国各地を回るお仕事の際には、かなり頻繁に「星くんダンス」が登場するはずだから、来年度の受験生諸君は覚悟していてくれたまえ。
天文時計全体図
(ストラスブール大聖堂、天文時計の全体図)

 さて、ストラスブールは、世界史の授業で頻出の「アルザス・ロレーヌ地方」の中心である。近代ヨーロッパが戦争に明け暮れていたとすれば、その多くが「アルザス・ロレーヌを取ったり取られたり」であった。それを考えれば、誰でもこの地方の豊かさが理解できるはずだ。
 まず登場するのは、30年戦争である。うへ、世界史の超頻出テーマじゃないか。そこを復習するだけで、センター世界史の得点は飛躍的に向上しそうだ。活躍するのが、ルイ14世にリシュリューにマザラン、グスタフ・アドルフにワレンシュタイン、結果がウェストファリア体制。ほとんど「第0次世界大戦」と言っていいほどのスケールである。
 で、この大戦争の結果としてフランスがアルザス・ロレーヌを獲得。ドイツ語ならエルザス・ロートリンゲンと発音するこの地域が、120年後の普仏戦争の舞台になる。ここで活躍するのがビスマルクにナポレオン3世。近代史の大スターたちが、ここで揃いぶみすることになるのである。
 普仏戦争の結果、フランスに勝利したドイツがこの地方を奪還。後はほぼ相似形の「取ったり取られたり」が連続するので、第1次世界大戦でも第2次世界大戦でも、いったんドイツが奪還してエルザス・ロートリンゲンに戻り、しかしフランスが再奪還してアルザス・ロレーヌに逆戻り。そういうことを繰り返して現在に至る。
街並み
(ストラスブールはドイツ文化圏のカホリ。フランクフルトのレーマー広場を思わせる建物が並ぶ)

 しかし、どんなに激しい争奪戦が繰り返されても、そこに住む者たちはドイツとフランスを巧みに融合させてきたので、21世紀のこの街はドイツとフランスが見事に融けあって、驚くべき一体化を達成している。クリスマスイブのこの日、大聖堂前のクリスマス市に集まったヒトビトは、ドイツ語もフランス語も英語も完全に理解し、誰が何語を話しても全く気にする様子がない。
 そういう素晴らしい融合を見守るのが、1176年から建築が始まったノートルダム大聖堂。完成まで250年を要した。ピンクの砂岩を全面に使った赤褐色の大聖堂は、「ゲーテも絶讃した」という荘厳な建築であって、東洋からはるばる訪れたクマ蔵君も、朝5時起床の眠気を忘れて思わず立ち尽くすほどだった。
 何しろ大聖堂の鐘楼からは、ドイツの「黒い森」=シュバルツバルトやネッカー河、モーゼル河まで見渡せるというのだ。最終的にフランスの領土になってはいるが、文化圏としてはドイツのカホリが強い。
 旧市街はライン河の支流・イル川の中洲。美しい深緑のモーゼル河に舟を浮かべて大人しくしていれば、やがてトリアーからコブレンツに至り、コブレンツでライン河に合流する。つまりフランクフルト・マインツ・ケルンなど、古代ローマの対ゲルマン軍団基地が置かれた由緒ある街とも、目と鼻の先なのだ。
 以上のような街の歴史を眠いアタマの中で辿りながら、クマどんはストラスブールの駅に降り立った。気が遠くなるほど長く複雑なストラスブールの歴史が、頭蓋骨の内側にジュワーッと滲み出してきて、メマイを感じるほどである。
大聖堂側面図
(ピンクの砂岩で建てられたストラスブール大聖堂・側面図)

 ホントに残念なことであるが、今回のストラスブール滞在はホンの3~4時間の予定。計画では、ストラスブールで2時間ほど滞在した後、電車でコルマールの街まで南下。コルマールを2時間ほど散策して→夕暮れのストラスブールに戻ってもう2時間過ごし→夜7時のTGVでパリに戻る。
 ま、仕方がない。ストラスブールほど歴史の長い街を、たった1日で見尽くせる可能性は最初からゼロなのだ。もし気に入ったら、遠くない将来に2週間まるまるここに滞在して、イヤになるほど見て回ればいい。今回はその偵察に過ぎないと考えればいい。
 こういうふうで、偵察部隊みたいに異様に忙しいスケジュールだったから、今井君は駅前からすぐにトラムに乗り込んで旧市街に向かった。普段なら駅から市内中心部へは徒歩で行くのだが、たった2時間しかいられないんじゃ、トラム利用しか考えられない。トルコのオジサマ3人組とトラム車内で向かい合わせに座って、賑やかなクリスマス市を眺めながら大聖堂前に向かった。
 しかし諸君、このトラムの経路は数学の不等号A<Bとソックリ。または部分集合を示すA⊂Bでもいい。要するにVの文字を横に倒したような路線なので、三角形の2辺を電車で行くよりも、Vの先端から先端へ走り抜ければ、トラムなんかよりずっと早く旧市街に到達できる形になっていたのだった。
 ま、いいか。大聖堂に到着したのが11時35分。すぐに長い列に並んで、サト助君はこれからストラスブール大聖堂内の有名な「天文時計」を見ようと思う。
 確かに、「モミの木のクリスマスツリーは、ストラスブールのクリスマス市が起源」と言われるほどであるから、街の象徴「コウノトリ」のぬいぐるみが無数にぶら下がっているクリスマス市を眺めて歩くのも悪くない。
 しかし諸君、この時期はヨーロッパのどこへ行ってもクリスマス市だらけで、クマどんはホットワイン(フランス語でヴァンショー/ドイツ語でグリューヴァイン)に少なからず食傷気味。甘いシナモンの香りが漂ってきただけで、胃もたれを感じるほどだ。
天文時計
(ストラスブール大聖堂、天文時計の拡大図)

 ならば、13世紀か14世紀から大聖堂の薄闇の中で休まず動き続けている、マコトに由緒正しい天文時計を仰いできたほうがいいじゃないか。2009年12月、クマ蔵はチェコのプラハでも、有名な天文時計を夜の寒さに震えながら見上げたものだった。
 プラハの天文時計は大聖堂の外側だったから、片手には朦々と湯気の上がるホットワイン。広場一面に甘いシナモンの香りが広がって、観光客はほぼ例外なく甘いホットワインを手にしていた。
 夜9時に動き出した天文時計のパフォーマンスは、正しくはホンの1分ほどで終わるはずだったのだが、中世の機械がいきなりの故障。いつまで経ってもパフォーマンスが終わらない。終わったかと思えばまた始まり、「今度こそ終わった」と安堵したのも束の間、また始まってしまう。
 15分経過、20分経過、30分経過。天文時計が動き出すのをあんなに押し合いへし合いして待ち焦れたはずの観光客も、やがて呆れて三々五々立ち去っていった。ヒトというのは、この上なく冷淡な生き物である。
 かく言う今井君は、最後まで天文時計を見守った数少ない現代人のうちの一人。ただしやっぱり呆れてしまったし、手にしていたホットワインもカラッポになってしまったので、天文時計の近くの店に入ってまたまたホットワインを注文してから、故障の直るのをひたすら待ったのであった。
メメントモリ
(ストラスブール大聖堂、天文時計の「メメント・モリ」な世界)

 今日のストラスブール天文時計は、故障も何もなく、マコトに見事なパフォーマンスであった。暗い大聖堂の片隅にギューギューに押し込まれ、押し合いへし合いを繰り返し、驚異的なズーズーしさで列に割り込んだフランス人のオジサマ一行に、場内騒然となるほどブーイングを浴びせ、そういうオシクラマンジューがまた楽しかった。
 パフォーマンスは、お人形のキリストさまの前を、これもまたお人形の十二使徒が挨拶しながら通過するというもの。残酷な時の経過を告げるニワトリさんが3度高く鳴き、十二使徒の通過する真下でコワーい死神が鎌をかかげながら鉦を鳴らす。
 おお、まさにメメントモリの重厚な世界。しかし「死を思え」「歳月はヒトを待たない」という残酷な運命の話より、「割り込みオジサンたちに大ブーイング、楽しかったよな」というクダラン喜びに、世界中から集まった市民の心はホカホカ暖かく満たされていたのである。

1E(Cd) Jandó:MOZART/COMPLETE PIANO CONCERTOS vol.4
2E(Cd) Jandó:MOZART/COMPLETE PIANO CONCERTOS vol.5
3E(Cd) Jandó:MOZART/COMPLETE PIANO CONCERTOS vol.6
4E(Cd) Jandó:MOZART/COMPLETE PIANO CONCERTOS vol.7
5E(Cd) Jandó:MOZART/COMPLETE PIANO CONCERTOS vol.8
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