Fri 131115 予讃線と豊肥線 新居浜で今日も大活躍(第1989回 カウントダウン11) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 131115 予讃線と豊肥線 新居浜で今日も大活躍(第1989回 カウントダウン11)

 12月5日、サト助は今日も朝からお仕事に出かけた。お仕事の場所は、愛媛県新居浜。羽田から松山空港に飛び、松山駅までタクシー、松山からJR四国の特急「しおかぜ」または「いしづち」に乗って1時間とちょっと。新居浜は、なかなか遠い。
 松山からのJRは「予讃線」である。伊予の「予」と讃岐の「讃」を単純につなげて、予讃線。四国には、土佐の「土」と讃岐の「讃」で「土讃線」とか、高松と徳島だから「高徳線」とか、マコトにストレートなネーミングが多い。
 うーん、「よさんせん」に「どさんせん」、何となく響きがパッとしないが、鉄道の路線名というものは、別にパッとするためにつけているんじゃないから、そんなことに頓着する人はいなかったのだ。
新居浜1
(愛媛県新居浜でのお仕事 1)

 とは言うものの、九州にある「豊肥線」などというのは、やっぱりちょいと困る気がするのだ。豊後の国・大分と肥後の国・熊本を結ぶから、豊肥線。なるほど予讃線や土讃線と同じ発想であるが、「ほうひせん」という発音に何の違和感も覚えなかったとしたら、名付け親はなかなか大胆な御仁である。
 試しにMac君に「ほうひ」と入力してみる。すると案の定、ディスプレイには「放屁」の文字が現れる。発音を聞いて何よりもまず「放屁」を思い浮かべるようなネーミングは、避けて通ったほうがよかったんじゃないか。
 沿線のヒトビトは、連日連夜「ほうひ」という発音にさらされて、苦しむことになるんじゃないか。大むかし内田百閒が長い顔でニヤニヤしながらそういう心配をしていたが、それが杞憂でなかった証拠に、今では豊肥線と呼ばずに「阿蘇高原鉄道」という愛称がついた。
しおかぜ
(特急「しおかぜ」。瀬戸大橋をわたって、岡山まで行く)

 そういうことを考えながら、特急「しおかぜ」に乗り込むと、松山から今治までは左の車窓に穏やかな瀬戸内海が眺められる。しかし諸君、いかにも「ひねもすのたりのたりかな」な感じのはずの瀬戸内海は、予讃線の窓から眺めると、何となく物悲しい気分を誘うのである。
 もちろん、目の前にあるのが春の海ではなくて真冬の海だからかもしれない。しかしどうやら、太平洋戦争開戦の日の直前だったことも、物悲しさの原因のようである。
 予讃線の列車に乗って、どれほど多くの若者が出征し、戦場に旅立ったことか。この風景を眺めながら「おそらく2度とこの穏やかな海を見ることはないだろう」と、固いコブシを握りしめたに違いない。
 実際、伊予北条駅を過ぎた岬のあたりに小さなお墓があって、ゆっくりと走る列車の窓から「陸軍一等兵…之墓」の文字が読めた。作り話でも何でもない。伊予北条を通過して5分ほど、ここまで北に向かっていた列車が、今治を目指して東に向きを変えたあたりの、寂しい岬での出来事である。
新居浜駅
(新居浜駅に到着)

 新居浜は、これで4回目である。新居浜には我々の校舎が2つあって、1つが「中萩校」、もう1つが今日のお仕事を主催する「新居浜西校」。新居浜の名門・新居浜西高のすぐ近くである。
 「中萩校」の方には、ちょうど昨年の今ごろお邪魔したばかり。「ワタシが小学生のころ、甲子園で新居浜商が準優勝して、そのセカンドの名手・大麻選手に憧れたものです」という話を生徒たちに披露したところ、何と保護者の中に当時の大麻選手がいらっしゃった。そういう奇跡のような出会いがあった。
 諸君、新居浜の駅に立ってビックリするのは、駅前の閑散ぶりである。人口12万、別子銅山を出発点として、住友の企業城下町として繁栄を続けてきた街のはずだが、少なくともJR駅前にはその片鱗さえ見えない。
 こういうのは、欧米にはよくある現象である。鉄道の駅は街の中心から大きく離れていて、鉄道で到着した瞬間、駅前の閑散ぶりに呆然とする。欧米に限らず、日本国内でも西日本にはよくこういう街が少なくない。
新居浜2
(愛媛県新居浜でのお仕事 2)

 もちろんこの閑散ぶりには、「失われた20年」の影響がないこともないのだ。昭和の高度成長期、新居浜には「南海デパート」「大丸」「ニチイ」の大きな店舗が立ち並んでいた。平成になってその多くが撤退し、今は駅からクルマで10分の「イオン」超巨大店舗に集約されてしまった。
 そのお隣の「リーガロイヤルホテル」が今日の宿泊先である。宿泊ばかりではない。お仕事もやっぱりリーガロイヤルホテルの結婚式場。前回も、前々回も、とにかく新居浜に来たら、イオンとリーガロイヤルの周辺をウロウロするしかないのである。
 今井君はとっても覚えられやすいのか、1年に1回しか来ないはずなのに、ホテルマンの皆さんはチャンとサト助のことを記憶してくれている。タクシーを降りて、ホテルのロビーに入った瞬間、「いらっしゃいませ、今井様」のヒトコトに度肝を抜かれた。フロントのオネエサマも、たいへん感じのいい笑顔で「よくお越し下さいました、今井様」とお辞儀してくれた。
 いやはや、これはマコトに素晴らしい歓待ぶりである。確かに、宿泊するだけでなく、今夜ここに約110名もの高校生が集まってサト助の話を聞くというんだから、なるほど&なるほど「今井様♡」と呼ばれるだけのことはあるのかもしれない。思わずふんぞり返るほど嬉しくなり、ふんぞり返りすぎて後ろにひっくり返りそうだった。
楽しいサト助
(今夜もたいへん楽しゅうございました)

 ホテルで3時間ほどゆっくり休んだ後、18時半にスタッフと待ち合わせ。2階の控え室で打ち合わせを終え、今日の準備を手伝ってくれた生徒諸君にサインを書きまくり、彼ら彼女らと写真に収まって、19時半、1階の大広間に移動。いよいよ今日のお仕事が始まった。
 19時40分に開始、21時10分終了。いかにも野球どころ♡愛媛県であって、野球部の練習で遅刻した男子が10人ほどいたけれども、そんなのは全然かまわない。文武両道、素晴らしいことじゃないか。遅刻者が少しぐらいいたぐらいで機嫌が悪くなったりしたのは、あれは20年も前の未熟なクマ蔵であった。
 冒頭からまず自分のハードルを目いっぱい高く設定し、聞いているヒトたちでさえ「そんなにハードルをあげて大丈夫なの?」と心配になるぐらいハードルを高くしておいて、しかも軽々とそのハードルを超えてみせる。
 「こんなに楽しい授業をしてくれるなら、どうしても今井先生の授業を受講しなきゃ」と、ほぼ全員が熱望し、そして実際に申し込みをして帰る。「明日からすぐに!!」という生徒もいれば、校舎によっては「明日と言わず、今晩からでも!!」と燃える生徒だって出ることがある。
 何しろ生徒のほうは「早く真剣に勉強を始めたい」と、内心ではずっと熱望してきたのだ。今井君としては、ムズカシイことは何一つしていない。ムズムズしていた生徒の背中を押しながら、「躊躇している必要はありません」とニンマリ、クマ笑いして見せるだけでいいのである。

1E(Cd) Yohichi Murata:SOLID BRASS Ⅱ
2E(Cd) CHET BAKER SINGS
3E(Cd) Art Pepper:SHOW TIME
4E(Cd) Maceo Parker:SOUTHERN EXPOSURE
5E(Cd) Max Roach:DRUMS UNLIMITED
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