Tue 131008 ジャケット君は生き残った ハロウィーンの夜 代々木上原の名店「すし勘」 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 131008 ジャケット君は生き残った ハロウィーンの夜 代々木上原の名店「すし勘」

 20年も前に買ったジャケットを、よくもまあチャンと保存してあるものだ。そのことには自分自身でも呆れるが、体型にもこの20年間それほど変化がなかったと見えて、「久しぶりに着て歩こうかな」と思って羽織ってみると、おやおや、何の苦労もなく着ることができた。
 20年前に住んでいた埼玉県春日部市にはデパートが1軒しかなくて、それが「ロビンソン」。ロビンソンは、札幌と宇都宮と小田原にも店舗展開して、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
 中でも春日部店は、埼玉県東部のヒトビトみんなの誇り。クレヨンしんちゃんに登場する「アクション百貨店」のモデルでもあるんだそうだ。今も「ロビンソン百貨店」でググってみれば、当時の勇姿を写真で眺めることができる。中には大きな映画館もあって、「何をするにもロビンソン」なのであった。
 Mac君に「ロビンソンデパート」と入力すると、チャンと「ロビンソンでパート」と変換してくれる。確かに埼玉県東部の主婦たちがパートで働くとすれば、何と言っても「ロビンソンでパート」だったわけで、平日はパート従業員としてロビンソンへ、土曜日曜にはお客としてロビンソンへ。その逆のパターンのヒトもいて、平日と土日で客と従業員が入れ替わる、マコトに楽しいデパートであった。
ロビンソン
(20年前に買ったジャケット君)

 そういうふうだから、駿台予備校で講師をすることに決まった時、若き今井君はすぐに「よし、ロビンソンでジャケットぐらい買わなきゃな」と思い立った。あれは確か早春の水曜日、優しいパートのオバサマに「このジャケットなんかいかがでしょう」と勧められて、あっという間に決めてしまった。
 そもそも今井君は着る物に余りこだわりがないので、買い物も驚くほど手っ取り早い。最近は新宿の伊勢丹で買い物をすることが多いが、「これなんかいかがでしょう」と店員さんが言い終わるより早く、「じゃ、それにします」と答えてしまっている。
 値段は、記憶にない。写真で分かるように、「Robinson’s」のブランド名が入っているぐらいだから、あんまり高くないに決まっている。しかしボクチンの性格として、一度買ったものはどこまでも大事にしたいから、出来るだけ丁寧に着て、手入れも怠らない。20年も経って、普段着としてならまだチャンと着用にたえる。
 最初にこれを着て授業をしたのは、駿台池袋校である。毎週木曜の1時間目が早慶理系スーパークラスの「長文問題演習A」。2時間目~4時間目が国公立セレクトクラスの「SELECT」。いやはや、たいへんな記憶力でござるね。
駿台
(90年代前半の駿台テキスト)

 1時間目は最初から30人しか在籍者のいない小さなクラスだったが、2時間目から4時間目はすべて250人教室が満員の大盛況。同じロビンソンで買った黒いズンボを合わせ、何だかヤタラにエラくなった気分で教壇に立った。
 講師室のテーブルの真向かいに「元祖マドンナ」の古文・高橋いづみ師が座っていらっしゃって、新人講師のサト助の緊張はたいへんなもの。ランチなんかも、ベテランの先生方は1500円もする豪華お弁当を注文したが、サト助は遠慮してお蕎麦かカレーにとどめていた。
 おお、懐かしい日々である。その後ロビンソンは次々と閉店し、今や日本にロビンソン百貨店は1軒もなくなってしまった。駿台の先生方も、1人減り、2人減って、各先生を「○○師」と呼んだ長年の習慣も消えてしまった。伊藤和夫師も奥井潔師も、往年の名物講師は多く世を去られた。
 それでも、このジャケットは生き残った。巨大なデパートが消滅し、予備校の長い習慣が消え、偉大な先生方が世を去られても、今井君のタンスの片隅でジャケット君はすり切れもせず、虫にも食われることなしに、辛抱強く生き続けたわけである。何と健気なヤツじゃないか。
 朝晩グッと冷え込むようになった10月末日、今井君が久しぶりにこのジャケットに腕を通したのは、ま、こういう経緯なのであった。夕暮れ、外に出てみると、大量のコドモたちがおかしなカッコでゾロゾロ歩き回っている。おお、忘れていたが、ハロウィーンの夜なのであった。
ナデシコ
(ナデシコ君もあったかいところで寝るようになった)

 代々木上原のあたりは、欧米人もたくさん住んでいるから、当然のことながらコドモたちにも欧米人が多く混じっている。ハロウィーンの行列も、日本語に英語がほぼ平等に入り混じって、マコトに国際色豊かなハロウィーンである。
 駅前もコドモたちがすっかり占拠している。サト助がコドモだった大昔、日本にこんなお祭りは存在しなかった。ましてコドモ時代を過ごしたのは秋田県だ。こんなオシャレな扮装なんかしてワガママを言っていたら、そこいら中でウロウロ目を光らせているナマハゲさんたちに叱られる。21世紀の東京のコドモは、間違いなく世界一幸せである。
 駅前の通りを埋め尽くしたコドモたちを踏みつぶさないように用心しながら、10月31日のサト助は「すし勘」に向かった。代々木上原駅から代々木公園の方に5分ほど行ったあたりの名店である。
 あんまり名店すぎるので、サト助なんかにとってはチョイと敷居が高い。なにしろ臆病なクマであるから、ちょっとでも敷居が高いと近寄ることさえオッカナクて、オウチからすぐ近くなのに、この10年で1度だけしか行ってみたことがない。
すし勘
(代々木上原・すし勘)

 ただし、強い味方がいるときは別である。元暴走族のウルトラ有名講師、「Mr.予備校講師」とはまさにこのヒト。そういう人物が「ワイン持ち込み」という、今井君なんかにはとても出来ない離れワザをやってくれるというなら、もともとデカい顔をもっとデカくして「すし勘」に乗り込めるという寸法だ。
 ウルトラ講師が今朝のうちにとっくにブログに写真をアップしてしまっているから、今さら秘密にしても仕方がない。代ゼミの東の正横綱として20年以上君臨する・富田講師と3人、「すし勘」のカウンターに仲良く並んだ写真を、ウルトラ講師にならって、サト助もアップすることにしたい。
 この3人が寿司屋のカウンターに並んだシーンを、10年前に代ゼミ生たちが見たら、いやはや、ハチの巣をつついたような大騒ぎになっていたはずだ。それも、ミツバチ・マーヤのような可愛いハチじゃなくて、キイロスズメバチみたいな獰猛なヤツらの巣をホーキの先でつついたみたいな、ほとんど「暴動」あるいは「騒乱」と呼んだほうが相応しいウルトラ騒動になっていたに違いない。
3人
(マコトに濃いメンバーであった)

 しかし、今井君が代ゼミを離れて9年。ウルトラ講師が代ゼミを離れてから、確か8年も経過している。サト助が代ゼミで教えた生徒たちはすでに27歳から35歳。すでに若手から中堅として日本の繁栄を支えている世代である。Mr. 代ゼミも、「がははは。一緒にメシを食った写真ぐらい、がははは、もう何の問題もないだろう、がはははははは」と呵々大笑。楽しい一夜になった。
 このジャケットを着た今井君の駿台での授業を受けた人たちは、もう40歳になろうとしている。彼ら彼女らが「保護者会」に顔を出して、「先生、20年前にはすっかりお世話になりました」とお辞儀してくれるような日は、もうそんなに遠くはない。サト助のオヒゲの中に白髪が何本も混じっているのも、その辺を考えれば何の不思議もないのである。

1E(Cd) Kiri Te Kanawa, Solti & London:MOZART/LE NOZZE DI FIGARO 1/3
2E(Cd) Kiri Te Kanawa, Solti & London:MOZART/LE NOZZE DI FIGARO 2/3
3E(Cd) Kiri Te Kanawa, Solti & London:MOZART/LE NOZZE DI FIGARO 3/3
4E(Cd) Akiko Suwanai:SOUVENIR
5E(Cd) Akiko Suwanai:DVOŘÁK, JANÁĈEK, and BRAHMS
total m40 y1902 d12097