Tue 130730 高校野球が終わってオジサマたちは寂しい 応援歌の変遷と進軍ラッパの復活 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 130730 高校野球が終わってオジサマたちは寂しい 応援歌の変遷と進軍ラッパの復活

 さてと、ずいぶん長く甲子園の高校野球に夢中になっていたから、このあたりでチャンと〆ておかなきゃいけない。8月23日の段階で「まだ夏休み」というパパは少ないだろうが、夏休みを時間差でとった日本中のパパたちが、今日はスゴく寂しい思いをしているころだ。
 だってこの2週間、朝でも昼でもテレビをつければ必ず野球をやっていて、冷えたビールの栓をシュポンとやれば、3時間でも4時間でも野球を見ながら寝転がっていられた。
 あの特権は昨日で終わり。今日からはもういくらチャンネルを回しても、高校野球はナシ。どこもかしこもバラエティとニュースショーで、芸人さんたちが内輪ネタで笑い転げるか、凶暴なスズメバチのVTRでキャスターの額に深いシワが刻まれるか、そのどちらかである。
 群馬県チームの全国制覇は、1999年、好投手・正田樹のいた桐生第一高以来の快挙である。いやはや、桐生第一高ではその後いろいろな事件があったらしいので、その辺はあまり語りたくないが、優勝投手・正田樹にも、やっぱり波瀾万丈の人生があった。
 1999年、日本ハムから1位指名を受けて入団。新人王に輝くなど、順風満帆の時期もあったが、やがてダルビッシュの入団とともに正田に脚光はあたらなくなり、阪神に移籍。その後、台湾→アメリカマイナーリーグと渡り歩いて、今はヤクルトで中継ぎを担当しているらしい。
 今井君なんかは、こういう人生も素晴らしいと思うのである。脚光を浴び続ければ、ヒトは疲れ果ててしまう。一度スポットライトを浴びてしまうと、平凡な舞台で汗を流すのがバカバカしくなって、つい身を持ち崩してしまうものだが、甲子園優勝から15年、正田はチャンと中継ぎの仕事を果たしている。
琉球酒場
(今日もゲリラ豪雨。晩飯に「琉球酒場」に出かけた。モト生徒の店員さんがいて、サト助の待遇も上々である)

 今年の甲子園は、2年生の好投手が目立った。優勝した前橋育英のピッチャーも2年生。我が秋田県代表・秋田商のエースも2年生だった。秋田商伝統のアンダーハンドから、90km台の超スローボールを繰り出して凡フライの山を築くスタイルは、なかなか悪くなかった。
 ただ、さすがに「最速120km」というのでは、来年の活躍は難しい。アンダーハンドでも、他校のエースたちは平気で130km台後半を出していた。この4~5年、サトイモ男爵が心配でならないのは、「どうして秋田のピッチャーは球速が出ないの?」ということである。
 一昨年、超スリムな左腕エース・保坂君の活躍で能代商が勝ち進んだ時も、保坂君が全力投球したスピードボールが130km。ところが、相手チームの控えピッチャーが軽く投じたスライダーが132kmだったのである。
 スピードが全てとは言わないし、ソフトな投球術の味わいもいろいろあるんだろうが、「うにゃにゃ、こりゃシャレにならんな」と、さすがに今井君はどこかでヒトコト言いたくなった。
朝日新聞夕刊
(朝日新聞夕刊。「バドミントンで鍛えて球速120kmを超えた」という経緯が詳述されていた)

 2013年8月14日、秋田商敗戦の日の朝日新聞夕刊に、以下のような記事が掲載された。
「練習での投球数が増えすぎると、ピッチャーが肩をこわすおそれがある。そこで監督が思いついたのが、バドミントン。冬場にバドミントンで徹底的に鍛えた結果、最速116kmだったエースの球速は、5km増して120kmを超えた」
 諸君、この辺の数字について、サト助は真剣に心配するのである。今年の甲子園に進出したチームは、ほとんどが主戦級のピッチャーを2枚も3枚もそろえていた。2番手とか3番手が登板しても、どのピッチャーも130km台はチャンと確保していたのである。
 そういう大会に出てきて、秋田県代表だけ「やっと120kmに届いた」というんじゃ、やっぱり「投球術に頼り過ぎ」なんじゃないか? 確かに試合前半は「凡フライの山」を築いていたけれども、6回7回と回が進むにつれ、「これ以上はもう抑えきれない」という危機感が募って、もう心配で心配で見ていられなくなった。
 クマ蔵は、とりあえず今後に期待したい。秋田商の2年生エースも「バドミントンでもっと鍛えて、どんどん球速をつけていきたい」と語っているし、試合終盤に救援して8回9回をゼロに抑えた1年生・成田君には、25年前にベスト4に進出した秋田経法大付・中川の面影も見えた。大いに切磋琢磨してくれたまえ。
ゴーヤちゃんぷる
(幡ヶ谷「琉球酒場」のゴーヤーチャンプルー。半月前の那覇の店ほどではないが、なかなかの美味である)

 全出場校のブラバン諸君の大健闘についても、サト助は大いに讃えたい。涼しい百葉箱の近くですら、38℃の猛暑が2週間続いたこの夏、甲子園のスタンドは45℃とか50℃とか、目玉焼きを焼こうと思えばそんなに難しくないような、ほとんど非常識と言っていい炎熱の世界だったはずだ。
 それほどの炎天下、トランペットでもトロンボーンでもホルンでも、あんなに体力を消耗する楽器を2時間も3時間も絶え間なく演奏し続けたんだから、グラウンドの選手たちに勝るとも劣らない大活躍と言っていい。
 曲目を見てみると、やっぱり20年前とは大きく様変わりしている。昔は何と言っても早稲田大学のコンバットマーチだったが、いやはや、今やどこもかしこも「アフリカン・シンフォニー」。あとはX JAPANの「紅」と、「We Will Rock You」「夏祭り」の花盛りだ。
 「ダッシュKEIO」は散見されるが、早稲田実業が出ていないせいか、早大コンバットマーチはすっかり影が薄くなった。うーん、東京6大学、やっぱり旗色が悪いようでござるよ。
シーサー
(店の前では巨大なシーサーが暢気にゴハンを食べている)

 そんな中で「サウスポー」「狙い撃ち」「ルパン3世」「暴れん坊将軍」の健闘はなかなかでござるね。昭和生まれの今井君から見ると、
「いったいいつまで、山本リンダなんだ?」
「いったいいつまで、『ウララー♡ウララ、ウラウラで』なんだ」
「いったいいつまで、『背番号1のスゴいヤツが相手』なんだ」
ではあるが、その他にも「ポパイ・ザ・セーラーマン」「宇宙戦艦ヤマト」なんかも健在。昭和という時代の偉大さを感じる。
 「秘密のアッコちゃん」のエンディングテーマ「スキスキソング」などというのがチャンと生き残っているのにも驚くが、「あまちゃん」の人気急上昇ぶりもまた素晴らしい。さすがにじぇじぇじぇであって、じぇじぇじぇの勢いは夏の盛りを過ぎても一向に衰えを見せないようである。
島らー
(島らー豆腐。タップリのラー油が、マコトに辛くて美味である)

 最後に、今年の甲子園大会をずっと観戦していて(おそらく今井君だけが)気づいたのが、旧日本軍の進軍ラッパの復活である。
 ヒットで出塁するたびに、旧日本陸軍の「突撃ラッパ」や「速歩行進ラッパ」がスタンドに鳴り響き、海軍陸戦隊の突撃ラッパで応援団が乱舞する光景に、サト助はオドロキを感じた。あれれ、ボクチンの聞き間違いかねえ。
 こういう情景は昭和40年代に消滅したと思ったのだが、おそらく先生方の世代交代によって復活したのである。考えてみれば、いま30歳代の先生方は1970年代生まれ。古めかしい突撃ラッパを聞いても、あまり特別な思いは湧き上がらないだろう。というか、どういう種類のラッパなのかご存知ないままに採用を決めた可能性だってある。
 しかし、何しろこの大会の主催はあの朝日新聞社だ。応援席での進軍ラッパや突撃ラッパの復活について、新聞社としてどんな反応と対応をなさるのか、天声人語はどんな発言をするのか、ぜひ今後を注目したいと思っている。

1E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES4/6
2E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 5/6
3E(Cd) Solti & Chicago:BEETHOVEN/SYMPHONIES 6/6
6D(DMv) THE NEGOTIATOR
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