Sat 130727 秋きぬとおどろかれぬる アリとキリギリスがキライ 素晴らしいアリとセミ | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 130727 秋きぬとおどろかれぬる アリとキリギリスがキライ 素晴らしいアリとセミ

 秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる。感性豊かな歌人は風の音に小さな秋を感じ取ったのであるが、そんなに豊かな感性を持たないサトイモ君でも、8月下旬に入った東京に小さな秋を発見することは容易である。
 まず諸君、一度でいいから朝早く起きてみたまえ。今朝もまたうだるような熱帯夜のまま朝を迎えたのであるが、午前4時、あるいは午前4時半に起きてみれば、「おお、日の出の時間が遅くなったな」と実感するはずだ。
 7月中旬から8月上旬、午前3時半を過ぎればもう「あーあ、今日も38℃以上か」「アポロどん、そろそろ勘弁してもらえませんかね」という猛暑&酷暑の予感を漂わせながら、焦げ臭いほどの太陽が地平線にジリジリ迫る気配があった。
 しかし8月20日午前4時、何だかお日サマが遅刻したみたいで、「おーい、だれかお日サマ迎えに行けよ。きっと夏休みの登校日うっかり忘れちゃったんだ」「太陽クン、部活の朝練あるのに、きっと寝坊しちゃったんだ?」というぐらい、太陽の訪れは遅くなっていた。
とける
(暑い日の連続で、ニャゴの顔が融けはじめた)

 ただしごく正直に言えば、怠け者の今井君が「午前4時に起きました」と高らかに宣言するのはもちろんウソになるので、正確には「午前4時半まで映画を観ながら起きてました」というだけのことである。
 そんな深夜&早朝まで観ていたのが「ボーン・アイデンティティ」シリーズ4部作だったというのがまた恐れ入るが、ジェイソン・ボーンの死闘がついに伝説に変わった午前4時、「おやおや、まだ明るくならないんだな」と、サト助は「秋きぬとおどろかれぬる」をやったわけである。
 全く同じことは、日の入りの時間をみても感じることができる。午後6時半にもう薄暗いんじゃ、そりゃいくら鈍感なサトイモ君でも、「秋きぬとおどろかれぬる」ぐらいはできる。
 日没の時刻、その時刻の夕焼けの鮮やかな赤、夕立が去った後の風の冷やかさ、いちいち「おどろかれぬる」をやっていたら、それだけで1日が過ぎ去ってしまうほどである。
でない
(あんまり暑いので、「出ない順 試験に出ない英単語」(飛鳥新社)を購入。著:中山、イラスト:千野エー。この数年で一番笑える本かも)

 セミの主役も変わった。少なくとも東京都渋谷区ではアブラゼミは脇役に交代したようである。先週末からの主役は、ツクツクボウシ。確かに諸君、東北地方では昨日で夏休みが終わって、今日から2学期開始というところが多い。
 2学期が始まったのに、まだ東北の高校が2校も甲子園の準決勝に勝ち残っていて、こんなことは4半世紀ぶりのこと。マコトにおめでたいが、ほとんどの高校では今日から秋の文化祭の準備が始まり、合唱コンクールもあれば体育祭もあって、高3生と言えどもまだまだ「文武両道」だ。受験一色などということになかなかならないのが、伝統校の楽しいところである。
はらわた
(サト助のお気に入りは「はらわたが出てるわよ。中に入れなさい」。この本は日本人すべてのMustと言っていい)

 ツクツクボウシが鳴き始めると、今井君が思い出すのは「アリとキリギリス」である。諸君、もともとのお話は「アリとセミ」であって、キリギリスは実は代役に過ぎないのを知っているかね?
 夏の間、アリさんたちが懸命に働いているのに、暢気に歌ばかり歌って遊んでいたのは、もともとの寓話の中ではキリギリスじゃなくてセミさんたちだったのである。ウソだと思ったら、ぜひ「アリとセミ」でググってみたまえ。2013年、国立・三重大学の英語長文読解問題にも出題されている。
 セミがキリギリスに代えられたのは、セミという生き物がヨーロッパでも気温の高い南欧地域にしか存在しないから。ドイツとかイギリスとかカナダとか、この寓話がいかにも好きそうな北方のマジメな国民には、「セミって、何?」というヒトが多い。
 確かに、フランスのプロヴァンスではセミの土産物が名物。イタリアにギリシャにキプロス、ポルトガルにスペイン、そのあたりまで南下しないと、セミという昆虫を目撃することは少ない。西欧と北欧ではキリギリス、南欧ではセミ、寓話もそういうふうに分かれているようである。
マリブ
(暑いので、近所のファミレスに行ってみた。代々木上原駅ビル「マリブ」。ここのフィレステーキと焼き牡蠣はなかなか旨い)

 そして、「アリさんたちみたいに勤勉にコツコツ働くのはあんまり好きそうじゃないな」という南欧のヒトビトの間では、「アリとセミ」の寓話の中でもセミさんへの共感が遥かに熱いのである。それどころか、あの勤勉で意地悪なアリさんたちまでが、セミさんへの共感を口にする。
 サト助は、西欧系の勤勉なアリさんたちがあんまり好きになれない。冬になって、食べ物がなくなって、お腹をすかせたキリギリスさんがバイオリン片手にドアをたたくと、アリさんはマコトに冷たく嘲笑し冷笑し、失笑し罵倒する。
「キミは、夏の間ずっと遊んでばかりいたじゃないか」
「勤勉じゃなかったぶん、そうやって野垂れ死にするのも当然の報いじゃないか」
「冬にも同じように歌を歌って、楽しく歌いながら天国に行けばいいじゃないか」
 うーん。今井君なら絶対にそんなことは言わない。サト助は、因果応報なんか大キライだ。輝かしい夏には、輝かしい太陽を讃えて声が枯れるまで歌い続けることこそ、太陽に生かされ地球に生きる者の、最も正しい生き方。ボクチンなら、キリギリス君でもセミ君でも、背中を叩きながら中に招き入れる。
「おやおや、そりゃたいへんでしたね。すぐ中に入りなさい。お酒でも飲んで、大いに歌ってください。アリの仲間はどうもマジメすぎて陰気なんで、アナタが来てくれたのは幸いだ。大いに歌って踊って、みんなで楽しくやろうじゃありませんか」
ワイン
(夏のキリギリスよろしく、アルゼンチンの赤ワイン1本を痛飲する)

 幼い頃からそう考えて、いつも熱くコブシを握りしめてきたのである。南欧タイプの「アリとセミ」寓話では、まさに幼い今井君と同様に、アリさんが以下のごとくセミに語るのである。
「夏の真っ盛りには、われわれアリの仕事は食料の蓄積。せっせと食べ物を貯め込んで、冬に備えました。その間、セミさんたちの仕事は歌うこと。声が枯れるほど懸命に歌って、セミさんは私たちを励ましてくれました」
「生き物にはいろいろな働き方があるものです。アリは貯め込んで働き、セミさんは命のかぎり歌って他者を励ますことで働いた。冬になった今、夏のうちセミさんに励ましてもらったことに感謝して、みんなで大パーティーをやりましょう」
「さあ、遠慮しないで中に入ってください。みんなで楽しく冬を過ごし、また夏に備えましょう」
 クマ蔵は、圧倒的に南欧のアリさんが好きだ。汗水垂らして働いて、脇目も振らずにどんどん働いて、やがて「あんまり勤勉に働いているように見えなかったヒトビト」が落魄してドアを叩いたとき、決して嘲るのでもなく、冷たく追い返すのでもない。
 もちろん、ただ施し物をして済ませるのでもない。「恵んでやる」というイヤらしい発想じゃなくて、「歌ってくれてありがとう」「いよいよ一緒に歌って踊る時がきましたね」と、ナミナミと酒を注いだ大杯を掲げ、ともに爆笑しながらこれを飲み干し、神への讃歌を合唱する。うにゃにゃ、そういう秋、そういう冬になったら、ホントに素晴らしいと思うのだ。

1E(Cd) COMPLETE MOZART/DIVERTIMENTI・SERENADES 10/11
2E(Cd) COMPLETE MOZART/DIVERTIMENTI・SERENADES 11/11
3E(Cd) Harnoncourt:BEETHOVEN/OVERTURES
6D(DMv) JFK
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