Tue 130723 ダジャグ/ッコ/コギの徹底解説 「こく」のこと サルヒコ伝説はまた明日 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 130723 ダジャグ/ッコ/コギの徹底解説 「こく」のこと サルヒコ伝説はまた明日

 「だじゃく」を辞書で調べてみると、「惰弱」または「懦弱」の字が当てられ、意味としては
「意気地がなく、だらけているさま」
「勢力が弱く、戦いに勝てそうもないようす」
「体力も持久力も気力も弱々しく、もろく崩れそうな様子」
と表現されている。おやおや、夏休み後半に入り、中ダルミ真っただ中の受験生そのものである。
 昔のサトイモ君はよく授業中に「中田ルミちゃんに負けないようにね」と発言して受験生に注意を促し、冷たい笑いが教室に広がっていった。しかしそのたびに「万が一『ナカダルミちゃん』が教室の中にいたらどうしよう?」という冷たい恐怖が背中を走りぬけ、今はもうすっかりヤメにしている。
 だってナカダ・ルミちゃんなら、全国に相当数が存在するはずだ。大学生のころバイトしていた塾の名簿に、「オカ・シイナ」とか「オオバ・カナコ」とか、読みようによっては本人を傷つけてしまいそうな名前を発見して、たいそう驚いたものである。慎重に行動するに越したことはない。
目覚める
(目覚めるニャゴロワ)

 さて、東京語の「だじゃく」は上記のように「ダラけた」「デレデレした」「グニャグニャの」という感覚なのであるが、それがいったん秋田弁の世界になると、意味も発音も一変する。ネットに出ている「秋田の方言辞典」みたいなのを検索してみると
「ワガママで、意地っぱりで、乱暴なようす」
「ダダをこね、意味もなく暴れ回ること」
であり、今井君がもっと詳しく解説すれば
「ムリを承知で、意地悪なほど強情に、『ムリが通れば道理が引っ込む』とばかり、意地でも自説を通そうとする様子、またはそれを日常としている人物」
ということになる。
 もう1度、上のニャゴロワ写真を見てくれたまえ。これこそが秋田版ダジャグの具象化であり、クマ蔵のダジャグぶりが一緒に生活しているネコにまで伝染したナレの果てである。
箱で眠る
(箱を占拠して眠るニャゴロワ)

 類義語に「オガ・キガネェ」というのがある。「オガ」は「突出している」または「very」とか「much」の意。海に向かって突出している半島だから「オガ半島」だというのが今井君の新説であるが、ぜひ研究論文でも書いてみてくれたまえ。もちろん学界の評価なんか、全くアテにしてはならない。
 「キガネェ」のほうは、「きかない」のナマリ。「言うことをきかない子だなあ」→「きかない子だね」→「キガネ子だごど♨」というわけだ。東京語「きかんぼう」→「親や教師の言うことをなかなかきかない、勝ち気で腕白な様子」の類義語と思われる。
 英語なら「オガ・キガネェ」は「very naughty」または「very mischievous」というマコトにつまらない訳になる。「腕白小僧」はurchinであり、sea urchinとはトゲトゲのウニであって、オガ・キガネェは「秋田の陸ウニ」と訳してもいい。陸は「オカ」とも発音できるから、「オガ・ウニ」ということである。
 では、その発展形「ダジャグッココギ」を説明しておこう。「ッコ」とは、ある名詞の何とない可愛さを表現する接尾辞。単に「まんじゅう」ではなく「まんじゅうッコ」、「べこ」じゃなくて「べごッコ」、「酒」ではなくて「酒ッコ」。英語にもetteという同様の接尾辞があって、cigarとcigaretteの関係がこれに類似する。
迷惑する
(ダジャグネコ・ニャゴに迷惑するナデシコ)

 「だじゃぐ」にだって、可愛さを感じるヒトは存在する。優等生とか生徒会長タイプにキュンとなる女子ばかりじゃないだろう。ヤンチャにキュン、キカンボにキュン。サト助の長い人生経験では、むしろそっちの方が多数派なんじゃないか。
 すると「ダジャグッコ」という感覚が発生するのは、マコトに合理的な成り行きである。こうして諸君、あとは「コギ」さえ説明すれば、「ダジャグッココギ」の全体像が明確になり、いよいよ昨日予告した名選手・サルヒコの伝説に移って行けることになる。
 ところが、「こく」は別に秋田方言でも何でもない。国語辞典にもキチンと掲載されているのである。「明鏡」でもいい、「広辞苑」でもいい。今すぐ辞書で「こく」を引いてみたまえ。「うぉ、『こく』だけでこんなにあるの?」と、日本語の豊かさを実感するスバラシイ経験になる。
 で、問題の「こく」であるが、これは動詞。漢字では「放く」と書く。他動詞、古語なら4段活用で、「こかず・こきたり・こく・こくとき・こけども・こけ」と活用する。どういう意味か、誰でもだいたい分かるざんすね。
 広辞苑では「体外に出す。はなつ。ひる」とあって、ある種の行動を卑しめて表現する動詞であることがハッキリする。「明鏡」はもっと直截に「排泄物を体外に出す」ときた。うにゃ、何もそんなにハッキリ言わなくても💦
むさぼる
(ダジャグネコ、むさぼる)

 なお、直截と書いて「ちょくせつ」と発音する。広辞苑には「ためらわず、まわりくどくなく、キッパリしているようす」とある。確かに「明鏡」の定義はマコトに直截的でキッパリしている。
 最近これを「ちょくさい」と間違って読むヒトが増えた。国語の先生方が怒り狂っているから、模試や入試本番に出題される可能性も高い。夏の東大模試を受験する優秀な諸君、ぜひ気をつけてくたまえ。
 こうやってどこまでも話題がそれていくと、この世の中にはたいへんマジメで難しいヒトがいて、
「今井のブログは話がどこまでもそれていき、焦点がちっとも定まらない」
「長すぎる」
「もっとイイタイコトを直截的に述べるべきだ」とか、
「ダラダラ書いて、文章の悪い見本だ」
みたいな陰口を口にする。
 しかし諸君、悪口や陰口をたたくこと自体、人生そのもののこの上なく悪い見本であることに、そういう難しいヒトたちは気づかない。いやはや、この世はホントに難しい。「草枕」で漱石が嘆いてみせた通り、「とかくこの世は住みにくい」なのである。
 というわけで「こく」の対象となる目的語の実例は、広辞苑では「屁」と「ウソ」になっている。「屁をこく」「ウソばかりこきやがって」などであるが、ウソ以外に暴言・放言・居眠り・大言壮語など、本来は我慢しなきゃいけないダラしないこと全てが「こく」の目的語になりうるわけだ。
おびえる
(ダジャグネコに怯えるナデシコ)

 こうして「ダジャグッココギ」について説明して、すでに今日のブログは自ら課した制限枚数を超えてしまった。それなのにまだ「コギ」の説明が終わっていない。ホントにこの世は住みにくい。
 しかし、最後の締めくくりはカンタンだ。動詞の連用形が、何故かその動詞の名詞形として使われるのが、日本語の不思議なところ。「野菜を売るヒト」を「野菜売り」、「ウソをつくヒト」は「ウソつき」、「ボールを拾うヒト」も「ボール拾い」である。ならば「ダジャクッコをこくヒト」が「ダジャクッコこき」であるのは当たり前だ。コキのキに濁点がつく訛り方は、北方方言に共通の特徴である。
 どうだい諸君、たった1語の方言も、丁寧に分析すればブログ1日分が出来上がる。立派なもんじゃないか。しかし問題は「あれれ、甲子園での秋田商の戦いぶりと、名選手・サルヒコの伝説はどうなったの?」である。
 しかし、人生は長い。まあそんなに話を急ぎなさんな。サルヒコ伝説は、また明日でいいじゃないか。ジャイアンツの元エース・新浦投手まで登場するサルヒコ伝説は、ホンの5~6行でパッパと済ましちゃうわけにはいかないのだ。

1E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 4/5
2E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 5/5
3E(Cd) Jandó:MOZART/COMPLETE PIANO CONCERTOS vol.4
6D(DMv) A BEAUTIFUL MIND
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