Mon 130610 これから知多半島を南下します 名古屋マリオットで、人生の80分の1 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 130610 これから知多半島を南下します 名古屋マリオットで、人生の80分の1

 何しろ今年は、5月末にもう「梅雨入りです」ということになっちゃったので、ホントに梅雨が長い。そもそもアジサイが色づきもしないうちから、ニュースキャスターが「鬱陶しい梅雨になりました」と連呼することに、大きな違和感があった。
 その後の約2週間は「カラ梅雨ですねえ」「水不足が心配ですねえ」が毎日のの挨拶になり、やっとアジサイがキレイに染まったと思ったら、今度は「大気の状態が不安定」「ゲリラ豪雨にご注意」が始まった。
 要するに、マスメディアに踊らされて国民が右往左往しているだけのように思うのだが、梅雨入りから40日間も「鬱陶しいですねえ」と挨拶し続けているのだから、そっちのほうがよっぽど鬱陶しいのである。
どこいくのな
(今日はどこに行くんです? by ナデシコ)

 「西日本から北陸にかけて、ゲリラ豪雨に注意」という予報が出る中、今井君は今日も今日とて遠くにご出張。今日の目的地は知多半田である。「は、そりゃどこですか?」という人の方が多いと思うが、「知多」で察しがつく通り、愛知県の知多半島を先っちょに向かって名古屋から30分ほど南下すれば、そこが知多半田の街である。
 男子校出身なら、中1から高2にかけて、誰かが「知多半島と渥美半島」と言っただけで、何故かみんなで笑い転げた記憶があるだろう。別に男子校である必要はないが、とにかく大人になる前の男子にとって、「知多半島と渥美半島」はマコトに感慨深い地形をしているのだった。
どこいくのにゃ
(今日はどこに行くんです? by ニャゴロワ)

 どう感慨深いのか、サトイモ君はこの場で説明するつもりはない。さすがに男子でも高3になって受験が迫ってくれば、精神的にもググッと大人になるから、そんなことでクスリとでも笑おうものなら、「オマエ、いつまでもガキみたいなこと言ってないで、少しはオトナになれよ」と友人たちからたしなめられる。
 どんなに成績優秀な男子でも、小5とか中2のころにそういうのを経験していないと、チャンとしたオトナになれない。オトナになるのにも、上品な紳士になるのにも、「知多半島と渥美半島」で笑い転げる世界をキチンと通過するのが、意外に重要なのである。
 さすがに年齢789歳の古老・サトイモ男爵だ。今から780年も前、鎌倉時代のまっただ中にそういう世界を乗り越えた。執権・北条泰時の頃、御成敗式目の頃のことである。「乗り越えおわんぬ」な感じでござる。だからこそ、こんなに上品で♡、もの静かで♤、頼りがいのある♢、サイコーのサトイモに成長したのである。
チケット
(知多半田ゆき、名鉄チケット)

 で、知多半田であるが、「半田」の発音がちょっと独特であって、なぜか「はんだ」の「は」にアクセントがある。ボクら東京人♡がキレイな標準語♨で発音すれば、半田は「は」よりも「んだ」のほうにアクセントがくるはずであるが、地元の正しいアクセントは「は」のほうにあって、「んだ」は「仕方なくしがみついてます」という付属品みたいな弱音になってしまう。
 ボクチンはこういうとき、地元の発音を優先する。窓口で特急券を買うときも、「は」に力を込め、「んだ」は弱音で付け足しみたいに流し込む。秋田とか青森とか、昔の東北では「Yes」という時に「んだ」と言ったが、まさにその要領でいい。
 まず「はー…」と躊躇し、その直後に思い切って「んだ」と肯定する。そういう気分である。「はー…んだ」。おお、うまいじゃないか、サトイモ君。
 なお、今井君は、昔の東北弁の「んだ」と、ロシア語の「Yes」→「Да=ダー」の間の密接な関連を疑わない。もっと言えば、ロシア語の「No」→「Нет=ニェット」だって、むかしむかしの山形弁「んねぇー=ちがいます」と何らかの関係があると信じている。
マリオット
(名古屋駅から見上げるマリオット)

 というわけで、「今日はどこへいくんですか?」と怪訝な顔で見送る2匹のネコたちに手を振り、タクシーで東京駅へ。13時10分ののぞみに乗って、15時前に名古屋に着いた。途中、小田原を通過する頃から激しい雨になって、静岡も雨、浜名湖も雨、名古屋も暗い雨雲の下、強い雨が降ったり止んだり。半田に向かう前に、いったん名古屋マリオットホテルにチェックインして、このブログを書いている。
眺望
(マリオットから名古屋駅南方向を望む)

 考えてみれば、名古屋との付き合いは長い。1991年に河合塾の講師になって、毎週月曜日に岐阜校に出講するようになって以来の付き合いである。
 あの頃は、日曜の夜10時過ぎまで別の仕事があって、「新幹線で名古屋入り→宿泊して岐阜へ」という常識的な行動が不可能だった。東京駅発23時40分の大垣行き夜行普通列車というのがあって、毎週それを利用した。若かったとはいえ、マコトに恐るべき1年を過ごした。
 しかも、新人講師のころである。「岐阜に出講」と言ったって、午前中の2コマで終わってしまう。今度は新幹線の自由席で東京に戻って、東京で別の仕事が待っていた。「名古屋からの自由席」とは=「座れないこともある」ということだったが、それでも丸1年何とか我慢して、月曜の岐阜に耐えた。
噴水
(マリオット、メインバー脇のゲロ・ライオン)

 その後しばらく名古屋とは縁がなかったが、1997年4月、駿台から代ゼミに移籍すると、1週間に1回の名古屋出講が始まった。その段階で「代ゼミ四天王」というスンバラシイ4名に入れてもらっていたから、待遇はスコブルつきの素晴らしさだった。おお、往復ともに、「当然」という感じでグリーン車でござる。おお、高級ホテルにも泊めてもらえる。
 もっとも、最初の2~3年間は、まだマリオットが出来ていなかったから、駅の南側の「名鉄ニューグランドホテル」だったが、それでも今井君には「夜行列車→徹夜のまま授業→自由席で帰京→そのまま次の授業」という河合塾のツラい思い出があるから、ホテルに宿泊できるだけで大満足だった。
名古屋駅西口
(懐かしの名鉄ニューグランドホテル。生活創庫はビックカメラになっちゃった)

 当時、名古屋の南口には「生活創庫」という名の雑貨屋があって、飛ぶ鳥も落とす勢い。どこのテレビ局だったか「マネーの虎」という番組に生活創庫社長が出演して、マコトに偉そうにビジネス成功談などを語っていた。
 生活創庫が名古屋駅前から消えたのは、いつだったかねえ。クマ蔵がまだ代ゼミにいる頃、生活創庫はいきなり消えて、建物は容赦なくビックカメラに変わった。おごれるものは、久しからず。うにゃにゃ、名古屋に来てビックカメラを見上げるたびに、今井君は平家琵琶でも習いたくなるのだ。
 と書いてから入った情報では、駅前から消えた「生活創庫」は「マネーの虎の生活創庫」とは別物なんだそうな。いやはや、しかし「おごれるものは久しからず」「盛者必衰の理をあらわす」については、情報が錯綜してもやっぱり変わらない。今日もまた祇園精舎の鐘は、ゴーンゴーンとこの世の諸行無常を教えてくれる。
お部屋
(マリオットのスタンダードなお部屋。この部屋で、どれほどの時間を過ごしたことか)

 結局、代ゼミ四天王をやっていた8年間、ずっと週1で名古屋に通った。平常授業だけで年間24回。春期講習4日、夏期講習5日、冬期講習5日、直前講習2日。合計すると結局1年40日、8年で320日を名古屋で過ごしたことになる。うぉ、のべ1年分にもなるじゃないか。
 その後も、岐阜や大垣、豊橋や岡崎、津や伊勢で講演会があるたびに必ず名古屋マリオットに宿泊する。すると、マリオットでのライフタイム滞在日数は、とっくに365日を超えている。もし平均寿命通り80年を生きるとすれば、人生の80分の1を名古屋マリオットで過ごしたことになる。こりゃマコトにスゴい話じゃないか。

1E(Cd) Quincy Jones:SOUNDS … AND STUFF LIKE THAT!!
2E(Cd) Courtney Pine:BACK IN THE DAY
3E(Cd) Dieter Reich:MANIC-“ORGANIC”
4E(Cd) Tuck & Patti:AS TIME GOES BY
5E(Cd) Candy Dulfer:LIVE IN AMSTERDAM
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