Wed 130529 名古屋の高校で3年シリーズ講演会 牛タン屋 名古屋駅前の風景が痛い | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 130529 名古屋の高校で3年シリーズ講演会 牛タン屋 名古屋駅前の風景が痛い

 6月22日、名古屋の名城大学付属高校で講演会があった。この高校では、これでもう3年連続の講演会である。
 今井君が高校での講演会を依頼されるのは珍しい。歴史をたどれば、駿台時代の1990年代半ばに、群馬県立館林女子高校で2年連続。1995年と1996年のことであった。同時期、福岡県立東筑高校で1回。これは「九州大学対策講座」であるから、講演というより完全に授業であった。
 あとは代ゼミ時代の最後、2005年2月に、埼玉県立草加南高校で1回。館林女子高の時と同じように全校生徒を体育館に集合させて、90分間ぶっ続けで生徒たちが爆笑しまくる、これ以上考えられないほどの楽しい講演会であった。
 しかし考えてみれば、こりゃずいぶん昔のことである。95年に館林女子高で今井君の話に笑い転げた生徒たちのうち、あの時18歳だった高校3年生は、あれから17年が経過して、すでに35歳。すっかり大人の女性になっている。
名古屋1
(名古屋の高校で講演会 1)

 17年も以前のことだから、あれから時代もすっかり変化した。あの頃の花形は、ポケベル。女子高生はほぼ全員がポケベルを鞄に隠し持ち、ヒロイン裕木奈江の「ポケベルが鳴らなくて」がヒットして、まさか相手役の内藤剛志が10年後に「水戸黄門」で風車の弥七なんかを演ずることになるとは、誰一人として想像もしなかった。
 17年前の県立高校の体育館は、マイクの音がびっくりするほど激しく反響した。昔の「校長先生のお話」は「ワザと嫌がらせでもしてんのかね」と思うほどゆっくり、噛んで含めるようにもったり&もったり進んだものだったが、今考えてみれば、あんなにグワングワン音が反響する環境では、あれ以上の早口で話すのはきっとタブーだったのである。
 それでも館林女子高の今井君は「30秒に1回の爆笑」という今井スタンダードをしっかりと確保。17年前のサトイモ君はまだ年齢15歳にも満たないぐらいだから(もちろんウソでございます)、その若々しい話しぶりは多くのジョシコーセーたちを魅了したものである。
名古屋2
(名古屋で語るサトイモ 1)

 2005年2月の草加南高校での講演会は、「どうして代ゼミはこんなオファーをOKしたんですか?」という異様なタイミングであった。今井君が
「今年度かぎりで代ゼミをヤメさせていただきます」
「2005年4月からは東進に移籍します」
と通告したのが2004年12月26日。そのあと代ゼミはバケツの水をひっくり返したような大騒ぎになったのに、なぜか1月上旬、教務課の人が平然と「2月5日に草加南高校で講演をお願いいたします」と頭を下げにきたのである。
 もちろん今井君としては、「は?」であり「このタイミングで講演会なんか、大丈夫なんですか?」だったのであるが、代ゼミサイドとしてはごく冷静に「はい、何の問題もありません」「是非お願いいたします」ということなのであった。
名古屋3
(名古屋で語るサトイモ 2)

 あの時は爆笑の中で講演会が終了したあと、なぜか河合塾模試の黄色いダンボールが積み上げている面談室で、いかにも積極的な女性の学校長と打ち解けて話し合った。
「素晴らしいご講演でした」
「生徒たちも、今までホントに見たこともないぐらい目を輝かせていました」
「ありがとうございました。また近いうちに今井先生をお招きしたいです」
と大絶賛のコトバが続いた後で、校長先生はニヤリと微笑みながら「でも、もうすぐ代ゼミをおヤメになっちゃうんですよね?」と付け加えた。
 確かにあの段階で、今井君が代ゼミでやり残した仕事はほとんどゼロである。「あと3日で代ゼミをヤメます」
「そのあとは東進に移籍しますが、その前にヨーロッパを40日ほど旅してきます」
という、そんなヤツの講演会を、生徒たちは大爆笑しながらホントに熱心に聞いてくれた。あれから9年、今でも心温まる思い出である。
名古屋4
(名古屋の高校で講演会 2)

 というわけで、2011年から3年連続の名城大学付属高校講演会は、マコトに意外な感じはするかもしれないが、今井君にとっては珍しい体験なのである。2011年、まだ東日本大震災の爪痕が強烈に残る中で、この3年連続シリーズが始まった。
 まず最初に、この高校の教頭先生の豪快さに引き込まれた。レスリング界の重鎮でもいらっしゃる。3年前、初対面の今井君を評して
「ボクもスゴいが、今井先生はホントにスゴい」
「あれほどスゴい人なら、どうしても全校生徒に聞かせたい」
とおっしゃってくださったそうである。
 今日13時半から始まるサトイモ講演会には、多くの先生方も出席される。英語の先生の中には、今井君のブログを愛読してくださる先生もいて、「ボストン、たいへんでしたね」「ニューヨークで旨いラーメン屋は…ですよ」とアドバイスももらえた。
 むかし東進で講師をしていた古典の先生や、その元生徒で今や高校教師の方、娘さんが現在進行形で今井君の授業を受講しているという先生もいらっしゃる。これで講演会が楽しくならないはずはない。
名古屋5
(名古屋の高校で講演会 3)

 出席したのは、高1生が120名、高2が20名、高3が60名。合計で200名に及ぶ。ほぼ全員が「国公立大学を志望しています」という特進クラスの優秀な諸君。大学の付属校ではあるが、エスカレーター式に進学できる権利を振り捨ててでも、例えば名古屋大学を目指して猛勉強している、マコトに感心な生徒たちだ。
 こういう生徒たちを前にすると、やっぱりサトイモ君のボルテージはあがる。講演のストーリーはだいたいいつもと同じであるが、「長文読解が弱い理由は、①日々の冷酷な笑い方と、②発音の悪さにある」という指摘に、生徒も先生方も大爆笑の連続で応えてくれた。
 こうして「20秒に1回の爆笑」という今井のベストスタンダードを高校での講演会でも確保。高校の先生方が「音読だ」「単語だ」「文法だ」と口を酸っぱくして繰り返してきたことを、予備校講師サトイモ君の口からしっかり確認してもらって、生徒たちも心から嬉しくなった様子である。
牛タン1
(祝勝会は、名古屋駅前の牛タン屋)

 終了後、名古屋駅前の牛タン屋「仙台牛タン べこや」で祝勝会。ほぼ同じメンバーで3年連続の祝勝会であるが、ネクタイまで染み通る大汗をものともせずに語りまくった直後だから、ビアの旨さはまた格別である。
 店員さんの中に、「ギリシャの人かな、それともポルトガルの人かな」というたいへん感じのいい中年のオジサマがいた。「どこの国の人ですか」と尋ねてみたが、「ボクは日本人です」とニコニコ笑うばかりである。結局どこの出身かを教えてもらえなかったが、うーん、ホントに仕事のできる素晴らしいオジサマだった。
牛タン2
(牛タン屋の牛タン)

 諸君、名古屋の南口は、いまや予備校戦争だ。大昔から南口には代ゼミ名古屋校があり、河合塾の巨大校舎が3校舎立ち並び、その真ん中に早稲田予備校ナゴヤ校が割り込んでいた。早稲田予備校は、名古屋をナゴヤとカタカナ書きにしたのが悪評だったのか、もう15年も前に撤退して、ホテルに姿をかえた。
 そのホテルも、最初はエコを売り物にした珍しい名前のホテルだったが、いつの間にか看板はダイワロイネットホテルに変わってしまった。バブルの頃に栄華を誇った「生活創庫」も、いまや影も形もない。栄枯盛衰の激しい地域である。
名古屋駅前
(何だかちょっとエゲツない。手前の黄土色が河合塾の新校舎、奥の赤い看板が代ゼミ名古屋校)

 この地区に、また新しく河合塾の巨大新校舎が誕生。9階建てだか10階建てだか、とにかくホントに巨大である。うーん、まずその黄色い色彩がイヤ。代ゼミ校舎が駅からできるだけ見えないように、意地でも邪魔して建てたその精神性もイヤ。いやはや、何だかマコトにえげつないシーンを見せられるものである。