Sun 130526 本業に徹する日々の安らかさ 業態の変化 世田谷区千歳烏山で講演会 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 130526 本業に徹する日々の安らかさ 業態の変化 世田谷区千歳烏山で講演会

 6月11日から本業の授業に徹する毎日になって、もう1週間が経過した。
 諸君、「本業に徹する日々」というのはマコトに嬉しく、安らかに過ぎていく。最近の予備校講師はツライ。作家みたいに、連日原稿の締切に追われる人もいる。模擬試験の問題作成や解説執筆、夏期講習テキストの作成など、とにかくいろんな仕事があって、「授業に集中」「本業に徹する」などというのは夢のまた夢である。
 新しく導入された電子黒板にも慣れなきゃいけない。そうかと思えば、芸人さんみたいにテレビのクイズやバラエティにも出なきゃダメだし、プライベートをテレビで公開したりもしなきゃいけない。駿台の伊藤和夫師や奥井潔師が、もし今もなお健在でいらっしゃって、今の状況をご覧になったら、いったいどんなお顔をなさるだろうか。
 もちろん、そういう仕事が来ればとっても嬉しいし、ついこの間も今井君は「Tシャツを着て雑誌の取材を受ける」という前代未聞の仕事に、まさに有頂天になった。今後とも、その類いの副業にもどんどん顔を出したいと思っている。今井君は、年齢789歳になっても、今でもまだまだ「日本一の出たがり男」なのである。
スタジオ
(本業に徹する日々。電子黒板のある風景)

 しかしやっぱり一番楽しいのは、「本業の授業に集中」という日々である。公開授業と並行して、6月18日は午後から1日スタジオにこもって、名古屋大学2013年の問題を解説。欲を言うなら、「10年前みたいに、300人も400人もの生徒で満員の教室で、ホンモノの授業がしたい」なのだが、21世紀の予備校事情では、なかなかその夢は叶わない。
 6月17日、東京都世田谷区の千歳烏山で講演会。こりゃ、近い。今井君のオウチが渋谷区、世田谷区はそのお隣で、うまく急行電車に乗れれば、20分もかからずに校舎に到着できる。校舎は京王線の千歳烏山駅から徒歩20秒だから、たとえ集中豪雨の真っただ中でも、ちっとも濡れずに駆け込むことができそうだ。
 京王線沿線の諸君は、ぜひ千歳烏山校を電車から見てくれたまえ。「これぞ塾というものの本来の姿」なのである。昭和40年代から50年代、東京都内で塾と言えば、まさにこの「駅前雑居ビルの1フロア」という形態。地元の優秀な子がみんな集まって、真剣に、しかし和気あいあいと、難関校を目指してシノギを削ったものである。
黒板
(アナログな黒板で名古屋大学の英作文を解説する)

 ちょっと様子がおかしくなったのが、1980年代から。塾は「駅前雑居ビルの1フロアを借りて」という控え目な形態を卒業して、ビル1棟借りの独立校舎を目指すようになった。塾業界で「250」とか「350」と呼ばれる、5階建て250坪または350坪の総合予備校形態である。
 賃料の高い東京都区内だと、駅前で1棟借りは負担が重すぎるから、塾は郊外を目指した。まずは埼玉、千葉、神奈川。栄光ゼミナールと市進学院、国立学院と山田義塾が、郊外の準急停車駅や急行停車駅の駅前を占拠したころである。
 以前どこかに書いたことがあるが、塾&予備校でも小売業でも、①新幹線停車駅タイプ ②急行停車駅タイプ ③各駅停車タイプに分けて考えると、時代の変化を理解しやすい。①は、そごうと高島屋と、代ゼミと河合塾。②はダイエーと西友と、首都圏なら栄光ゼミナールと早稲田塾。城南予備校なんてのも流行した。③はコンビニと個別指導塾。ま、そんな経営形態である。
千歳烏山1
(千歳烏山で講演会 1)

 21世紀ももう序盤は終了して、①がどうやら時代遅れな存在になってきたことは明らかである。まず、「そごう」が破綻。2000年ごろ、業界はこぞって②の形態を目指した。しかしそれもすでに時代遅れ。まさかと思ったダイエーが破綻した。
 時代はすでに③である。スーパーはますます地元密着を唱え、ネットで注文すれば夕方には配達してくれるし、新幹線停車駅前の巨大戦艦校舎を自慢にしていた予備校は「マナビス」「サテライン予備校」みたいなものを次々に開設して、部活を終えたヘトヘトな生徒たちが、20時過ぎても21時を過ぎても勉強できる環境を作ろうと躍起になっている。
ケーキ1
(千歳烏山でもケーキをいただく)

 しかし諸君、時代の変化はもっとずっと速いのである。「マナビス」で驚いていたのも束の間、朝日新聞が「マナビー」の存在を特集したのは、先週のことである。ありゃりゃ、このネーミング、あんまりパクりすぎてて大好きであるが、都内の大学生たちがほぼ無料のネット予備校を立ち上げたということらしい。
 いかにも朝日新聞が大好きそうな話であるが、教育欄を2日も3日も占拠しての大キャンペーンは、時代の変化をマザマザと感じさせるものだった。つい3~4年前までは、「予備校の一方通行の授業」には意地でも否定的、「そんなの授業の名に値しません」というスタンスだった朝日新聞が、手のひらを返したように「ネット授業バンザイ」と絶叫しはじめたのだ。
 それもこれもサンデルどんのハーバード白熱教室あたりに発端があるようなのだが、我が予備校業界は1980年代からとっくにそれをスタート。しかし「大教室のマイクを使った一方通行」でさえ認めようとしなかった新聞社の人たちは、「テレビで授業」「ネットで授業」なんか、ホントに3~4年前まで「言語道断」「教育の破壊」とさえ言っていたはずだ。論調は、2010年あたりを境にほとんど180°の転換を遂げたのである。
ケーキ2
(クマ蔵の大好物、フルーツとジュレとクリームの組み合わせ)

 こうして、「ボクらの時代」が来てしまった。千歳烏山は、京王線の急行は停車するけれども、駅前に立ってみると「急行停車駅」という花やかな感覚は全くない。私鉄の小さな駅の典型であって、1970年代に野口五郎が朗々と謳いあげた名曲「私鉄沿線」のモデルになったんじゃないかと思うほどの、マコトに穏やかな風景である。
 暢気な今井君なんかは、「むしろお隣の仙川のほうに急行を止めるべきなんじゃないか」と感じるのだが、そりゃもちろん無理な話。「急行が止まるかどうか」は、どんな鉄道の沿線でも、ヒトビトの長い心の歴史を刻んできた問題である。何かのハズミで隣の駅の駅前が発展したからといって、軽々に変更できる事柄ではない。
 しかし、千歳烏山の駅前に立てば、誰だって
「こんな街に、塾なんか必要なの?」
「こんな静かで小さな駅前で、採算は大丈夫なの?」
「みんな代々木とか新宿とかの大予備校に行くんじゃないの?」
と思ってしまう。
 しかし諸君、うーん、アナタは上述のような時代背景を全くご存じないのだ。いまや、塾も予備校も「各駅停車の駅前で地元密着を目指す」のが最も現代的な方針と考えるようになっている。その努力をしないで超然としているのは、もはや時代の流れについていけずに呆然と立ち尽くしているだけのことである。
千歳烏山2
(千歳烏山での講演会 2)

 だから6月17日、千歳烏山の雑居ビル校舎は、「これ以上はもう1人も入れません」という超&超&超満員の事態になった。40人も入れば満員という教室に、約90名の受講者が集まったのである。募集を途中で打ち切り、「スミマセンが、今回はもう1人も入れません」と丁寧に謝って、帰ってもらうことになったというのである。おー、もったいない。
 午後7時、大きな拍手に迎えられて教室に入場してみると、確かに超ベテラン・クマ蔵が唖然とするほどの超満員。かけうどんとかけ蕎麦を1つずつ平らげた後で、「ラーメンと餃子も行きますか?」「ついでだから、でっかい豚まんも行きますか?」とイタズラ心を起こした午後1時みたいな、そんなアリサマであった。
ケーキ3
(終了後、もう1個ケーキをいただいた)

 そしてもちろん、生徒諸君もマジメで優秀な高校生ばかりである。サトイモの話を聴く姿は真剣そのもの。今井君の講演会は、真剣であればあるほど爆笑できるように、きわめて巧みに組み立てられているから、いやはや、ホントに大爆笑の連続。「20秒に1度」という今井のベスト・スタンダードを、今日もまた実現することができた。
 諸君、真剣であればあるほど、爆笑の頻度は高くなるものなのである。今夜の千歳烏山の人口密度は、紙ダマ鉄砲の発射直前みたいな濃縮度だったから、「椅子から転げ落ちる」ということさえ不可能。笑いすぎて椅子から転げ落ちそうになっても、両隣の生徒にはさみ込まれて、どうしてもその場に留まらざるをえない。
 終了後、「うーん、次回からはどこか他に大きな会場を借りて実施するほうがよくはありませんか?」と今井君が笑うと、校舎長もブロックを統括する偉い人も、マコトに嬉しそうに笑って肩をすくめるのであった。

1E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 14/18
2E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 15/18
3E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 16/18
4E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 17/18
5E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 18/18
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