Tue 130319 午後4時の大阪・鶴橋で熊肉を食らう 声をかけてくれたまえ お染&久松 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 130319 午後4時の大阪・鶴橋で熊肉を食らう 声をかけてくれたまえ お染&久松

 4月9日、大阪の国立文楽劇場に午後4時まで。ホントなら「4時に終演」というのはマコトに困りものなので、午後4時なんかに路上に放り出されたって、オジサンはどこにも行きようがない。飲食店はみんな「ランチは3時まで」「ディナーは5時から」であって、街の真ん中で立ち往生するしかないのである。
 もちろん、「サイゼリアでいいじゃん!!」「スタバで語ろうぜ!!」「吉野家か松屋でとりあえず腹ごしらえ」みたいな世代のオニーチャンやオネーチャンなら、午後4時の街の真ん中で困り果てることはない。
熊1
(大阪・鶴橋に熊の肉を食べにいく)

 しかし諸君、学部時代からの友人どうし、もう2人とも数百歳を超えたオジサマ2人が、まさか酒も飲まずにスタバやサイゼリアで仲良くオハナシというわけにもいかない。自分たちはそれでよくても、周囲の若者たちがビックリする。
 特に大阪は「あ、今井じゃね?」「ゲロ、サトイモだ!!」「クマ蔵出現!!」という人々の出現率が高い街である。午後4時終演のせいで、そこいら中で「クマが出たよー!!」という絶叫が響き渡るようでは、今井君がお忍びで文楽を見にくるのも遠慮しなければならなくなる。
にゃんばろう
(大阪市交通局ゆるキャラ「にゃんばろう」が来るそうだ)

 しかし諸君、今日の「恐竜時代の友人」は根っからの大阪人であって、特にミナミならおそらく高校生のころから知りつくしているタイプの御仁。「ちょっと遠いけれども、鶴橋まで行けば、午後4時から営業している店がある」というスンバラシイ情報を持ってきてくれた。
 しかもその店では「熊肉のしゃぶしゃぶ」だの「鹿肉のステーキ」だの、その他「イノシシ」「スッポン」など、まさにサトイモ男爵が思わずヨダレを垂らすような食材の宝庫。さっそく日本橋から近鉄電車に乗りこんで2駅、焼き肉のメッカ、コワいオバチャンのメッカ、昭和のドサクサで名高い鶴橋の街に向かった。
実物
(にゃんばろう。実際に見てみたらこんなヤツだった)

 もちろん、こんな時間に電車に乗ったのだからヤムを得ないが、行く先々で「あれれ、クマさんじゃん」「まさか、こんなところにクマさんが出現する分けないだろ」「でも、やっぱりどうしてもあのヒゲとあの丸刈り頭はクマさんなんじゃん」というビックリ顔の若者たちと出会う。
 だから諸君、「クマかもしれない」と思ったら確実にクマなのだから、もっと積極的に話しかけてくれたまえ。サインぐらいはいくらでもするし、写真にも一緒に収まるって。ビックリ顔でニタニタ見送られても、クマさん自身が困ってしまう。
「今井センセーですか? こんなところで何してるんですか?」
「いま文楽劇場で文楽を見てきて、これから鶴橋の熊を食べに行くところです」
「文楽? 鶴橋で熊? クマが文楽を見たり、鶴橋で熊を食べたりして、おかしくないですか?」
「クマだって、日本のクマなら文楽ぐらい見るし、熊を食べることだって珍しくないだろ?」
「でもそれじゃ共食いなんじゃないですか? もし熊鍋にサトイモが入ってたら、2重の共食いじゃないですか?」
「マイナス×マイナスならプラスになるように、共食いを2重にすれば、それはむしろ尊敬すべき行動に変わるんだ」
諸君、こんど街中でクマさんと出会ったら、是非こんな会話に興じてくれたまえ。
小原1
(目指したお店は「小原庄助」である)

 目指すお店は「小原庄助」。鶴橋駅から徒歩5分ほど、道の向こうに玉造駅前の商店街が見えてくるあたり。「小原庄助さん、何でシンショウつぶした?」「朝寝&朝酒&朝湯が大好きで、それでシンショウつぶした」という「会津磐梯山」の御仁の名前をそのまま屋号にして、大阪中の酔っぱらいを誘い込もうという趣向である。
 「お客さんも、クマに似てますな」とハッキリ口にする気のいいオバチャンに奨められるがまま、さっそく熊肉しゃぶしゃぶ2人前と、兵庫の日本酒4合を注文。タップリの野菜を入れた出汁の中に熊肉をくぐらせて口に運ぶと、シッカリした歯ごたえがいかにも剛毅な熊さんらしい。噛んでも噛んでも決して「融けちゃった」などという軟弱なアリサマにならないのがいい。
熊2
(最初の1皿は「脂身を味わってください」という脂身だらけだった)

 熊肉は、東京・六本木の「またぎ」で何度か味わったが、この2年ほどご無沙汰していて、この素晴らしい歯ごたえはホントに久しぶりである。最初の1皿は脂身が驚くほど多くて、「熊は脂身を味わうものです」と店のオネエサンに教えられたが、ここは素直にホントのことを伝えるしかないだろう。
「スミマセン、ボクは脂身が苦手で、世界中どこへ行っても、一番安い赤身の部分だけをあさって食べているんです」
正直にこう伝えると、呆れたような顔をしつつも、次から次へと薔薇のように美しい赤身の熊肉を運んできてくれた。こうなると、2人前のはずがいつの間にか肉ばかり6人前、日本酒も4合瓶で3本。1升2合をカラにして、まだ足りない。恐竜時代からの友人どうしの迫力は、さすがの鶴橋オバチャンをもタジタジとさせるものがあった。
熊3
(追加の熊肉は次々と赤身。薔薇の花より美しい)

 では、そんな野蛮なものを食べながら何を話し合っていたかというに、たった今見て来た人形浄瑠璃の感想と、文楽の行く末についてだったというのだから恐れ入る。だって、今井君は心配でならないのだ。
 まず心配なのは、現在の文楽の3枚看板のうちの一人・竹本源大夫の病気休演。昨年10月の舞台を見たときにも、あまりの元気のなさに「病気では?」と心配したものだが、案の定2013年2月以来、休演が続いている。
 押しも押されもせぬ大黒柱だった竹本住大夫も、病み上がりで顔色が悪い。気のせいか、コトバのキレが悪いし、やっぱり病み上がりで迫力に欠ける。幸い「歌祭文」の「野崎村の段」だから、別にかつての津大夫や越路大夫みたいな大迫力が必要なわけではないが、全盛時代の住大夫を記憶している者にとっては、やっぱり「老いたなぁ」の感が否めないのである。
小原2
(小原庄助は、環状線・鶴橋と玉造の中間。ディーブな大阪だ)

 そういう寂寥感の漂う劇場の中で、中堅の大夫さんたちが驚くほど上手になったのはマコトにおめでたい。豊竹呂勢大夫、竹本津駒大夫、豊竹英大夫。サトイモ男爵が盛んに文楽を観ていた20年前にはまだ影の薄かった彼らが、もう十分にクライマックスを語れるレベルにまで来ているようだ。
 新しい観客の開拓にも成功しているようである。ま、そのぶん観客席が若干騒然としているのだが、初めて文楽劇場に足を運んだ人々がパンフレットをめくりながら「ああでもない」「こうでもない」と議論しあっているのは、悪いこととばかりは言えないだろう。
熊しゃぶ
(熊しゃぶしゃぶの宴の果て)

 欧米人家族3人連れもいた。ママがイヤホンガイドで聞いた情報を娘に懸命に伝えている。娘8~9歳、ママとパパは40歳代前半か。まずママが飽き飽きしてしまい、まもなく娘もウンザリして、家族3人でグッスリ寝込んでしまった。結局は前半の「先代萩」だけ見て帰ってしまったが、こういう家族連れが足を運ぶ気になってくれるだけでも悪いことではないはずだ。
 ベテランが揃って元気がない中、野崎村で「お染」を遣った吉田蓑助はさすが。ホンの少し前まで(昨日も書いたが)中国の習近平サンみたいに黒々していた頭髪が、すっかり白髪に変わってしまったのは気がかりだけれども、「外見のことなんかどうでもいいじゃん」と観客を黙らせるだけの、マコトに見事な遣いぶりだったと思う。
お染
(お染。4月公演のポスターより)

 諸君、目の前の鍋の中で熊の肉6人前もトロトロ煮込みながら、恐竜時代の友人2人はこんな高尚な話に興じていたのだ。うぉ、さすがでござる。
 そして、吉田蓑助と竹本住大夫の共演に触発されたサトイモどんの頭の中では、大量に飲み下した日本酒のせいで煮え立ってしまったのか、1935年(昭和10年)に流行した「野崎小唄」のレコードが果てしなくクルクル回りつづけていた。

   野崎参りは 屋形船で参ろう
   お染久松 切ない恋に
   残る紅梅 久作屋敷 
   今も降らすか 春の雨
  (歌:東海林太郎、作詞:今中楓渓、作曲:大村能章)

歌祭文・野崎村の段の「お染久松」の逸話は、昭和初期の日本人なら誰でも知っている、ごくあたりまえの教養だったのである。

1E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN①
2E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN②
3E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN①
4E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN②
5E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN①
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