Tue 130312 父・三千雄の誕生日 祖父・小作ゆずりの豪傑ぶり 国鉄に一生を捧げた男 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 130312 父・三千雄の誕生日 祖父・小作ゆずりの豪傑ぶり 国鉄に一生を捧げた男

 今日4月5日は、今井君の父・三千雄の誕生日であって、トラ年生まれの彼がもしもまだ生きていたら、今日は確か87歳の誕生日である。父は1997年2月8日に70歳で死去したから、算術的に細かい間違いがあったら申し訳ないが、今年は彼の17回忌のはず。時の経つのははやいものだ。
 何しろ「NHKのお笑い番組を眺めながら死んじゃった」という豪傑だ。大して面白くもない漫才を見ていて、大口あけて大笑いしたついでに心臓が突然止まっちゃったというんだから、その豪傑ぶりにも念が入っている。
 70歳での死去がさすがにちょっと早すぎたのと、あんまり突然すぎて周囲に小さからぬショックを与えたのが玉に傷だが、いかにも我が父らしいスッキリした生涯の閉じかただった。今もあの世でガハガハ&ガホガホ爆笑しているに違いない。今年もまた暖かで穏やかな、いいお誕生日になった。
三千雄
(三千雄くんと宏くん)

 生まれたのは1926年。大正14年である。出生地は山形県・東田川郡・清川村。幕末に新撰組の前身「浪士組」を組織した怪傑・清河八郎の出身地である。いまでもJR陸羽西線に「清川」という小さな駅があるが、最上川の奔流がすぐ近くを流れる山間の農村だ。松尾芭蕉が「五月雨をあつめてはやし最上川」の一句を作ったあたりである。
 三千雄の父親=「宏君の祖父」にあたるのが、今井小作。大正時代の山形県の山間部で、山林売買を専門にする不動産業を営んでいたらしい。うにゃにゃ、何だか怪しくなってきた。肥沃な庄内平野の農村のど真ん中で、何で「不動産業」なんだ? 何で山林なんか売買してたんだ? その辺は、マゴのサトイモ君にはサッパリ分からない。
なでしこ1
(復活なでしこ 1)

 なぜサッパリ分からないかと言えば、祖父・今井小作が異様に大昔のヒトだからである。祖父は1854年生まれ。うぉ、江戸時代のヒトである。江戸時代と言っても、慶応年間や安政年間のヒトなら、つい最近までいくらか生き残っていらっしゃったが、「嘉永7年生まれ」となると、こりゃ奇跡的な話である。
 「おじいちゃんが嘉永年間生まれ」という御仁は、さすがのサトイモ閣下の友人にも1人も存在しない。ヒレホレ&ハレホレ、これはホントにたいへんだ。嘉永7年と言えば、まさに日本史や世界史の教科書の舞台。3月にはペリーどんが軍艦7艘を率いて、江戸に再びやってきた。日米和親条約が結ばれ、下田と函館の2港が開港される。函館なんか、当時はまだ「箱館」であった。
なでしこ2
(復活なでしこ 2)

 この年、ロシアからはプチャーチンが来航。イギリスとは「日英和親条約」を締結。あんまり異国船がたくさんやってくるので、江戸幕府は「異国船見物禁止令」を発令。諸君、日本史で「異国船打払令」は習うけれども(しかもmac君の判断は「異国船内原異例」だ)、「見物禁止令」とはまた恐れ入る。
 世界に目を向ければ、何と言ってもこの年の大事件はクリミア戦争。ロシアと英仏が激しく戦った。8月、「日の丸」が公式の旗となって、日本もいよいよ本格的に国際舞台に乗りだしていく。12月、年号も「安政」と改まり、井伊直弼「安政の大獄」の時代に突入する。
なでしこ3
(復活なでしこ 3)

 その矢先、12月23日にはM8.4の「安政東海地震」が発生。翌24日にはこれまたM8.4の「安政南海地震」、続く25日にはM7.4の「豊予海峡地震」が連続して発生。太平洋岸を襲った大津波の高さは10mを超えた。その約8ヶ月前に中米サンサルバドルが地震で崩壊しているが、うーん、何となく関連が感じられるような…
 祖父・今井小作は、こういう騒然とした世相の中に誕生して、家業の山林売買を受け継いだ。家業は繁盛して地方の名士となり、近くの小さな山村の村長だか何だかに当選。こうなると、昔の田舎にありがちな話だが、日々の生活もなかなか派手だったらしい。
なでしこ4
(復活なでしこ 4)

 何しろ小作ジーチャンは、可愛いサトイモ君が生まれるずっとずっと前に世を去っていた。だからサトイモ君は、オジーチャンのことをほとんど知らない。しかし、父・三千雄が生まれた頃の小作どんは、計算してみるともう70歳を超えていたんだから、ジーチャンには派手な逸話もたくさん残っている。
 だって諸君、サトイモ君のバーチャンは、ジーチャンにとってX人目の妻なのだ。妻が亡くなるごとに新しい妻をめとって、ボクのバーチャンが何人目だったか正確なことは知らないが、どうもX≧6であるらしい。三千雄どん誕生時には、バーチャンはまだ30歳そこそこの若さだった。
 まさに「メマイがするほど」であって、だから三千雄どんの腹違いの兄や姉は30歳以上も年上だし、年上の甥や姪も三千雄どんにはゾロゾロ存在して、山形弁のとびかう父方の親戚の会合は、いつでも一種異様な雰囲気だったものである。
繭玉1
(繭玉ニャゴ 1)

 こういう豪傑・小作の息子だから、三千雄どんも確かに豪傑っぽいところがあって、特に年をとってからの彼の豪傑笑いは、聞いていて心地よいほど。もしまだ生きていたら、ナデシコなんか笑い声に震え上がってしまうだろう。暗い隅っこに隠れて「キュキュキュ」「キュルキュルキュル」と、か細い鳴き声をあげて彼女の恐怖を訴えるに違いない。
 しかしこういう書きかたをすると、彼の中にあった繊細さや気の弱さを一切無視することになってしまう。実際の父は、特に人生の初期において苦しくツラい経験をたくさんしたヒトだから、息子であるサトイモ男爵にしかわからない多くの心労を、たくさんかかえていたのである。
 冬になれば毎週のように、小学生の息子をスキーに連れていく。晩酌後はお相撲の相手もしてくれる、マコトに優しい父親であった。息子がいつか東大法学部を出てキャリアの国鉄職員になり、ノンキャリアの自分を高速で追い抜いていくことだけを願っていた。
繭玉2
(繭玉ニャゴ 2)

 そういう気のいい男であったが、残念なことに息子のサトイモ君は東大文一にも入らず、早稲田から事もあろうに広告会社なんかに就職して、いつのまにかコッソリ予備校講師になってしまった。息子の進路がサッパリ思い通りになってくれないことに、一時はガックリ肩を落としていたものである。
 しかし、やがて予備校講師として息子が何とか頭角を現しはじめたことに気をよくして、初めて出演したラジオ番組「大学受験ラジオ講座」は、電波のよく入るベランダに出て、嬉しそうに聞いていたのだという。あと1年待てば、息子の著書も見せてあげられたのだが、間に合わなかった。
 一生を国鉄に捧げ、71歳の誕生日の2ヶ月前に突然この世を去った。死去の翌日、賞勲局から連絡があって「従5位」をいただくことになった。繰り返すが、あれからもう17年も経過してしまったのである。

1E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN②
2E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN①
3E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN②
4E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN①
5E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4 SYMPHONIEN②
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