Fri 130308 4月1日、新年度開始の日の記憶をたどる 2005年の旅を克明に記録したい | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 130308 4月1日、新年度開始の日の記憶をたどる 2005年の旅を克明に記録したい

 エイプリルフールというのに、結局ロクなウソもつけずに1日が終わる。今井君は生まれつき極めて内気なタイプだから、身の回りの環境が何もかもいっしょくたに変化する4月1日は、どうしても苦手なのである。

 就職の年の3月31日をサトイモ里之丞がどんな気持ちで過ごしたかは昨日の記事で書いた通りで、あの日の悲しさについては「泣きたい」「泣きそう」「くじけそう」というレベルをはるかに凌駕していた。
中1
(今井君。中学1年の4月1日)

 あの年の3月31日夜から4月1日朝にかけては、深夜2時までテレビ東京の時代劇を呆然と口をあけたまま眺めていた。

 だって諸君、これで自由な日々は終わり、明日から40年間を会社にカンペキに拘束されて過ごすのである。14600日+α(うるう年10回分)の拘束に、サトイモ君なんかが耐えられるわけがない。

 呆然と口を開けて眺めていた時代劇は、「荒野の素浪人」。江戸時代の日本の荒野を、三船敏郎演ずる素浪人がどこまでも自由に生きていく。大出俊の「5連発のダンナ」だの、坂上次郎の「すっぽんの次郎吉」だの、マコトに型にハマリきった脇役が素浪人の活躍をもりたてた。

 出演は他に梶芽衣子や小川真由美。寺田農や岸田森の語りもからんで、「拙者クマ蔵も荒野の素浪人みたいに自由に生きていけたらな」と、涙ながらに呻きそうになる時代劇の名作であった。うにゃにゃ、今井君に普通の企業人が務まらないのは、とっくに目に見えていたことである。
幼稚園
(今井君。幼稚園の4月1日)

 考えてみれば、生まれてこのかた4月1日を勇んで迎えたことはほとんどない。「幼稚園の入園式」というものが、そもそもの始まり。5歳の宏君にとって、幼稚園ほどイヤなものは考えられなかった。だって、大嫌いな牛乳を毎日飲まなきゃイケナイのだ。

 そんなムリな生活より、小学館の図鑑シリーズを朝から晩までめくっているほうがどれほど有意義か分からないじゃないか。それを「お遊戯」だの「お遊び」だの、したくないことや、やりたくないことや、全く意義を見いだせないことで時間をつぶさなきゃいけないのが、あまりにもツラかった。

 両親は「集団の中での協調性を育てるために、幼稚園は絶対に必要」とか言っていたけれども、「協調性とは自然に育つものであって、無理やり育てるものではない」というのが5歳のサトイモの考え。ウワッパリなどというツマラン物を着せられ、「いまいひろし」などと書かれたピンクの名札なんかブラさげられるのは、どうにもやりきれない。
小1
(今井君。小学1年の4月1日 ①)

 小学校も全く同じこと。やっぱり図鑑シリーズを読んでいるほうがいい。体育、図工、給食、みんな大キライ。算数だって国語だって理科だって、イヤなものはイヤ。「なんでみんな同じほうを向いて、おんなじことをやらされなきゃいけないの?」である。

 そこから先はみんな同じであって、中学校でも高校でも4月1日ほど苦手なものはなかった。「全部が新しくなって、スガスガしいスタート」とか、4月1日が好きなヒトは平気で言うが、4月1日を象徴する新しい革靴と革カバンの晴れがましい香りが、実は今井君の大の苦手なのである。
小1
(今井君。小学1年の4月1日 ②)

 18歳の新年度は、御茶ノ水の駿台で迎えた。19歳の新年度は、1年浪人してダメだった東大をあきらめて、早稲田大学政経学部のドイツ語選択・1年5組で迎えた。うにゃにゃ、あれもダメ、これもダメ、次から次へとみんなダメ。このあたりから10年、サトイモ軍曹の人生は暗黒時代に入るけれども、暗黒時代の新年度なんかがサクラ色のシアワセに溢れているはずがない。

 暗黒の人生にいったん見切りをつけ、ほぼ一切をあきらめて、河合塾&駿台講師として完全に新しくスタートを切ったのが30歳の4月1日である。この時の新年度は、今井君としては珍しく開放感に満ちあふれていた。「一切をあきらめる」というのは、決して悪いことではないようでござるね。
なでしこ1
(すっかり回復したナデシコ、4月1日 ①)

 同じような開放感は、37歳で代ゼミ講師に転身した時にも全身に感じることができた。この時は「落下傘作戦」。駿台のテッペンから代ゼミのテッペンへ、落下傘でフワフワ降りていって、いきなりトップ講師陣の一員になった。他の先生がたにはさぞかし迷惑だっただろうが、まあその辺ももうとっくに時効にしてもらっていいだろう。

 東進に移籍した年の4月1日は、代ゼミ以上の活躍をしようと大いに張り切ってはいたものの、ツラさについては、幼稚園入園・小学校入学、早稲田大学入学や就職の年のツラさに劣らない。だって諸君、あの時は「40日間のヨーロッパ放浪」の直後だったのである。
なでしこ2
(すっかり回復したナデシコ、4月1日 ②)

 2008年6月5日に初めて以来、すでにこのブログも丸5年が経過しようとしているが、いまだに書いていない旅行記が2つある。

① 2005年2月9日から3月20日のベルリン→ミュンヘン→ウィーン→ヴェネツィア→ローマ→ジェノヴァ→マルセイユ→パリの40日。このときクマ蔵はヨーロッパの街でマルセイユが一番好きになった。
② 2005年9月のニース滞在。ニースから、カンヌ/モナコ/エズ/マントンなどへ小旅行を繰り返し、後半はパリにしばらく滞在した。

 この2つの旅行記もぜひこのブログに掲載したいのである。特に①については、こんなにたくさんの外国旅行を積み重ねても、やっぱりどうしても余りに強烈に記憶に染み込んでいる。
メシを貪るニャゴ
(今日も元気にゴハンをむさぼるニャゴロワ)

 ただマコトに残念なことに、チャンとした写真がほとんど残っていない。当時はブログどころか、写真にもPCにもネットにも全く関心がなかったから、「旅の記録は写真より記憶に刻み込んだほうがいい」とガンコに信じ込んでいた。

 すると、写真入りの旅行記を書く方法は1つしか残っていない。「あの40日と全く同じルートの旅をいつかもう1回してみる」「2005年2月から3月の自分の足跡をもう1度たどってみる」というやり方であるが、うーん、そんなことをするにはまだ明らかに早すぎるのである。「困った&困った」であるね。

1E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/EIN DEUTSCHES REQUIEM②
2E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/EIN DEUTSCHES REQUIEM①
3E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/EIN DEUTSCHES REQUIEM②
4E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/EIN DEUTSCHES REQUIEM①
5E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/EIN DEUTSCHES REQUIEM②
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