Fri 130222 WBCのこと ドーハの頃の生徒はまもなく40歳 千葉県柏で絶好調講演会 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 130222 WBCのこと ドーハの頃の生徒はまもなく40歳 千葉県柏で絶好調講演会

 3月18日、午前中から東京は春の強風が吹き荒れ、午後から夜にかけては強風に雨も混じって大荒れになる見通し。今夜は東京都立川で講演会があるが、暴風雨の中でどれほどの受講生が集まってくれるのか、甚だ心もとない。
 もっとも、先週の金沢みたいに「暴風雨だからこそ予定を上回る受講生が殺到する」ということもあり得る。「暴風雨だから部活がない」「WBCで日本がプエルトリコに負けちゃった」など、→「仕方がない、今井の講演でも聞きにいくか」という気持ちになりそうなキッカケは少なくない。
 しかしやっぱり今井君は、日本の3連勝の夢が断たれて、ヘナヘナと全身から力が抜けていく。サッカーも大好き、ラグビーは超好き、柔道も相撲もテニスもレスリングもみんな好き。しかしやっぱり野球は、意地でも日本=世界一が続いてほしかった。サトイモ軍曹としては、今日のショックは「ドーハの悲劇」を上回るものがある。
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(千葉県柏で講演会 1)

 諸君、今日これから今井君の講演を聞きにやってくる受験生たちは、16歳か17歳の諸君である。彼らが生まれたのは1996年ごろ。ドーハの悲劇は1993年10月28日だから、彼らも彼女らも、あのイラク戦、ショートコーナーからの運命のボールが、GK松永の頭上から右側を転がっていった悲劇の一瞬を、少なくとも直接には目撃していないのだ。
 だから彼ら彼女らに、井原に堀池にラモス、長谷川健太にカズに柱谷、あのときピッチに崩れ落ちた選手たちの話をしてもなかなか通じない。それどころか、前回WBC決勝のイチローのセンター前ヒットだって、だんだんヒトビトの記憶から消えていくだろう。
 諸君、今日の準決勝をもし目撃したのだったら、前田や能見や杉内や山口の熱投を決して忘れてはならない。井端や内川や鳥谷の勇姿を脳裏に刻みこんで、子々孫々に語り継ぎたまえ。
 年取ったサトイモ君は、負けて、天を仰ぎながら立ち尽くし、泣き崩れる選手たちの素直な姿が限りなくいとおしい。そういう潔い姿を目撃した後輩たちにとって、その姿はむしろ勝利の歓喜よりも美しいものである。大学受験でさえそれは同じことで、合格の歓喜に酔いしれる彼らより、悔しさに泣き崩れる諸君をこそ、クマ蔵は讃えたいのである。
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(千葉県柏で講演会 2)

 3月16日、千葉県柏で講演会があった。柏は昨日の土浦よりグッと都心よりであって、代々木上原からなら地下鉄千代田線1本で行ける。まるまる1時間かかるけれども、例えば北千住で乗り換えるとか、上野から特急「フレッシュひたち」に乗り換えるとか、そんなメンドーな手間をかけているより、素直に千代田線のスミっこで固まっているほうが、楽で早くて安く着く。
 柏は、塾と予備校のメッカである。首都圏なら、大宮、藤沢、立川、町田。関西圏ならこの間の西宮北口や豊中、堺に茨木。やる気のある塾や予備校で、こういう駅前に支店を開設しない法人は考えられない。
 かく言う今井君も、柏にはずいぶんお世話になった。最初に「柏校」のメンバーになったのは、駿台講師の3年目である。1994年1995年だったか、学務部の部長に「今井先生には、新規開校の柏校にどうしても出講していただきたい」と告げられた。
 新規開校校舎のメイン講師に、まだ予備校講師になって間もない今井君を据えたい。そういう学校側の意向は、マコトにマコトに名誉なことである。その年の駿台は、福岡市の天神にも新規開校。「福岡校もやっぱり今井先生がメイン」と告げられ、御茶ノ水の東大スーパークラスに週1で出講することを条件に、柏は水曜、福岡は金曜、意気揚々と出張を重ねたものだった。
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(千葉県柏で講演会 3)

 それがちょうど「ドーハの悲劇」の頃である。悲劇の翌日は御茶ノ水本部校舎への出講だったが、東大文系スーパークラスの生徒たちが、「とても授業どころじゃありません」という暗い表情でズラリと並んでいたのを今も記憶している。
 彼ら彼女らも、すでに30歳代後半。あの時2浪とか3浪だった諸君も、もうとっくに社会の中堅幹部になっている。下手をすれば、まもなく生徒の保護者として今井君の前に現れ「20数年前はお世話になりました」と挨拶されるかもしれない。
 いまはどうか知らないが、新規開校当時の駿台・柏校は学校法人ではなくて、駿台何とかセンターが運営する株式会社形態。浪人生たちも通学定期券がもらえないので、やむなく通勤定期券で通学した。学校側からその分の補助を出していたが、なんとも歯切れの悪い運営だったと思う。
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(千葉県柏で講演会 4)

 柏校のメイン講師は、筑波大対策講座もやらなくちゃイケナイ。入試本番が近づくと、わざわざ泊まりがけで土浦まで赴き、「筑波大に合格するにはどうするか」「筑波大英語にはどう対処するか」を熱弁する。
 1996年1月、今井君は鼻の奥にできたたくさんのポリーフの切除手術を受けるために東京慈恵会医科大学病院に入院したが、その前日にも土浦・亀城会館ホールで筑波大対策講座を実施。宿泊先は柏の三井ガーデンホテルであった。
 東進柏校は、その懐かしい三井ガーデンホテル柏店のお隣。その昔は「サンガーデンホテル」と言ったが、どうやらサンガーデンのサンは、三井の「三」だったのである。18時、柏に到着。控え室で1時間待って、19時15分に講演会が始まった。
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(千葉県柏で講演会 5)

 予定より開始時間が15分遅れた原因は、受講生が集まりすぎて、にっちもさっちもいかなくなったことである。司会者が「まさかこんなに生徒が来ちゃうなんて」と口走ったのをサトイモ君は聞き逃さなかったが、教室に入場してみると、その熱気は確かに司会者を圧倒する迫力であった。
 出席者は、申し込みベースで約175名。若干の欠席者がいたかもしれないし、逆にたくさんの飛び込み受講生も存在しただろうから、プラスマイナスで結局やっぱり175名ぐらい。あまりの熱気のせいでメガネが曇り、吸い込む息にも何だかモワモワ湿気が感じられる、マコトに強烈な100分になった。
 どれほど盛り上がったかは、掲載する写真の生徒たちの爆笑の表情を見れば明らか。代ゼミ勤務の8年間、柏校には夏期講習や冬期講習で数回訪れたが、いま考えてみてもあの頃が今井君の絶不調時代。今日ほどの激しい熱気なんか、とても想像できなかった。
 代々木でも大宮でも池袋でも横浜でも確実に満員締切にするのがサトイモのポリシーだったが、平常時の柏には出講していなかったから、さすがに満席にはできない。夏期で60名程度。春期なんかに行こうものなら、どう足掻いても15名がやっと。うにゃにゃ、15名を相手に1日90分×4コマ、ホントによく耐えたものだ。
 そういう寂しい日々を思い出しながら、濛々と湯気のあがる超熱気の中を100分喋りまくり、サトイモはすっかり茹であがってしまった。講師も生徒も爆笑しすぎでヘトヘト。生徒諸君は、おそらくこれからの一生を通じても、こんな濃密な大爆笑を経験することはないはずだ。
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(千葉県柏で講演会 6)

 それでも校舎スタッフはなかなか「絶賛」ということをしない。「後半はスゴかったですけど、最初のうちは生徒たちもちょっと緊張していたようですね」とか、どういうわけか意地でも自分たちをマイナス評価しようとする。
 いやはや、あれほどの前代未聞の盛り上がりを見て、それでもまだ「どうでしたか? 生徒たちの反応は?」と来るのだが、何故そこまで謙虚な質問が出てくるのか、今井君にはサッパリ分からない。あれ以上の盛り上がりや反応を生徒たちに期待するとしたら、例えば突如として全員が起立してサトイモ讃歌を絶唱しはじめるとか、そのレベルしか考えられないのである。
リース
(どういうイキサツか知らないが、柏校の控え室にはキレイなリースがかかっている)

 土曜日の柏駅前は、若干スサんだ雰囲気である。酔っぱらった中年男性グループが奇声を張り上げ、駅前広場はスケボーの練習に励む若い男子グループに占領されている。ああいうグループは積極的に排除の努力をしたほうが治安のためにいいと思うが、どうもその様子は見えない。
 千代田線のホームで「たったいま講演会に出てました」という早稲田志望の男子生徒と話し込んだ。「なぜ今井先生は、あんなに楽しい講演ができるんですか?」と質問されたが、そりゃもちろん、話をする者として自分が自分の話を最高度に楽しんでいるからである。彼は教師を志望。ぜひ、話しながら自分で自分をタップリ楽しめるヒトになってほしい。
 千代田線で1時間かかって、代々木上原に到着したのはもう23時に近い。こうなると、もう個人的祝勝会を始めるだけの気力は残っていない。駅前のコンビニでミートソースのタップリかかったパスタを購入。大分焼酎「いいちこ」も買って、ニャゴロワ&ナデシコの2匹を相手に、寂しい自宅祝勝会を開くことにした。

1E(Cd) Rubinstein:CHOPIN/MAZURKAS 1/2
2E(Cd) Rubinstein:CHOPIN/MAZURKAS 2/2
3E(Cd) Lima:CHOPIN FAVORITE PIANO PIECES
4E(Cd) Muti & Berlin:VERDI/FOUR SACRED PIECES
5E(Cd) Reiner & Wien:VERDI/REQUIEM 1/2
total m111 y424 d10619