Mon 130218 大和三山に囲まれて、大和八木講演会 次々と「今井先生ですか?」に遭遇 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 130218 大和三山に囲まれて、大和八木講演会 次々と「今井先生ですか?」に遭遇

 3月12日、夕方から奈良県の橿原神宮で講演会がある。たいへん難しい漢字であるが、これで「かしはら」と読む。ただし、会場の橿原文化会館は近鉄・大和八木の駅前。難波発17時ちょうどの近鉄特急で大和八木に向かった。
 関西以外のヒトに「橿原」「大和八木」と言ってもなかなか通じないが、畝傍山・香具山・耳成山の大和三山に囲まれた、マコトにマコトに由緒正しき地である。平城京の南の平原に、畝傍山を頂点とする二等辺三角形を描けば、残る2つの頂点が香具山と耳成山になる。
 「八木」と書いて「ヤギ」と読むのは当たり前だが、関西では東京と違って「ヤ」にアクセントがあり、ハイジと一緒にアルプスを駈けるメーメーさんのイメージ。大阪の京橋も「キョ」にアクセント、伊勢中川も最初の「ナ」にアクセントがあって、残りはデクレシェンドで右肩下がりに発音する。
大和八木1
(大和八木で講演会 1)

 ここが日本の中心だったのは、平城京時代よりもっと昔、天智天皇/天武天皇/持統天皇の時代である。おお、何と素晴らしい。野蛮な今井君なんかは、この駅に降り立っただけで、大和の国のコワいお役人に「御用だ!!」「お縄をちょうだいしろ!!」と命じられそうで恐ろしくなる。もっとも、御用だったりお縄をちょうだいしたりするのは江戸時代の話であって、持統天皇より1000年も後のことである。
 ここが日本の中心だった頃、今井君の生まれ故郷の秋田県あたりは、果たして日本だったのか、それとも異国だったのか。阿倍比羅夫どんが大船団を率いてやってきて、秋田や能代を征服したのが7世紀後半。あらま、ちょうど今井君のご先祖さまが大和朝廷にひれ伏しはじめた頃、朝廷の中心がまさにこのあたりだったのである。
 なるほど、大和三山を眺めただけでサトイモ君が何だかおっかなくなるのは、はるか1300年前のご先祖さまの血が騒ぐのであるね。そのずっとあと、坂上田村麻呂というコワーいオッサンがやってきて、今井君の先祖さまはまたまた征伐され、田村麻呂どんは「征夷大将軍」というシロモノにおなりなさった。うにゃにゃ、ホントにオソロシイ。
大和八木駅
(大和八木駅で。隣の駅は「耳成」だ)

 そういうわけで、阿倍比羅夫どんや坂上田村麻呂クンの蝦夷征伐にからむ地名が、秋田にはたくさん残っている。今井君生誕の地の住所は「秋田市土崎港将軍野」であるが、諸君、将軍野とは、征夷大将軍が船から上がって陣を敷いた野原のことである。そのすぐそばに、幕洗川という川が流れている。田村麻呂将軍が陣幕を洗わせた川なのである。
 その南側には古四王神社という古い神社があって、これで「こしおう」と読み、もともとは「越王」。比羅夫ちゃんや田村麻呂クンは越前/越中/越後方面から大船団で攻めてくるので、秋田では「越の国の王」と認識され、短く「越王」となった。征服後はあまりの無敵ぶりに神格化され、その名も「古四王」になったのだとさ。
乗換案内
(乗り換えの案内板にも、奥ゆかしい地名が並ぶ)

 うひゃ。ただしこれはむかし&むかし大むかし、今井君がまだ小学3年の頃に読んだ地域の歴史書「秋田の歴史」に書いてあったことなので(著者も出版社も忘れてしまった)、真偽のほどは定かではない。
 定かでない時は、「…と言う」「…と言います」という語尾をつければ、それで責任を回避できるのが日本語の便利なところ。もっとも、それを根拠に「日本語は曖昧だ!!」「非論理的だ!!」とスゴんでみるのもみっともないので、そんなのは英語だって「They say …」だし、ドイツ語にもフランス語にもスペイン語にも同様の曖昧表現はキチンと存在する。
大和八木2
(大和八木で講演会 2)

 さて、会場の「橿原文化会館」は、サトイモ君にはもうすっかりお馴染みであって、東進に移籍して以来すでにここで6回も講演会をやっている。今回は7回目。前回はうっかりネクタイを忘れてきて、近くの近鉄デパートで新しいのを1本買った。なつかしい記憶である。
 講演開始が19時半、終了21時。出席者は約280名。当初の予定は240名だったが、どうしたハズミか突如として40名も増えた。会場キャパが300名だから、危うく立ち見が
出そうな勢いである。どれほどの大盛況だったかは、写真を見れば一目瞭然。わざわざ大阪府内からも、電車で片道30分かけて出席してくれた諸君がいた。
大和八木4
(大和八木で講演会 3)

 こういう状況になると、サトイモ里之丞のはりきりかたもハンパではなくなる。普段はしない話までポンポン次々に飛び出して、爆笑のボルテージはどこまでも上がっていく。こりゃいかん。誰か止めてくれ。止めてくれないと、日付が変わる頃まで延長して、目いっぱいシャベりまくってしまう。そういうアリサマで、高速で昇りつめていくサトイモを自分でも止められない。
 もちろんそうは言ってもこのサトイモは、キチンと抑制のできる賢い中年サトイモ・里之丞である。実際に延長したのはホンの10分ほど。21時10分には大拍手とともに講演を終え、大きな花束をもらって、意気揚々と退場することができた。
 最後にステージで花束を渡してくれた女子2名は、原稿も見ずに上手な英語で挨拶してくれた。300名近い聴衆を前にして、こんなに落ち着いて挨拶できるとは、おお、何と素晴らしい。普段からキチンと1日30分とか1時間とか、マジメに音読を実践してくれている証拠である。
花束
(大和八木でもらった花束)

 終了後、大和八木駅前のコギレイな居酒屋で大祝勝会に参加する。そりゃそうだ。300名近い出席者があり、完全な外部生も80名近く来てくれて最後まで大爆笑、爆笑頻度は15秒に1回。まさかこれで「祝勝会ナシ」などという冷酷なことにはできないでござる。
 主催してくれた橿原神宮駅前校の面々は、祝勝会の席での豪快さで、講師たちの中でも有名。メニューを指さして「ここからここまで、全部持ってきてください」などという超豪快な注文の仕方をすることさえある。豪快なのは、大好きだ。
 出席者は今日もまた多士済々。「天理高校野球部の元エース」などという恐るべき経歴の持ち主もいらっしゃる。今井君のほうでサインをもらいたいぐらいだ。「今日が31歳の誕生日」という女子スタッフに花束をわたし、危うく「全員でハッピーバースデーを合唱」ということになりかけたが、何とか思いとどまったようだ。
大和八木4
(大和八木で講演会 4)

 入店してすぐ、ウェイトレスのお姉さまに「もしかして、今井先生ですか」と笑顔で尋ねられた。「滋賀県彦根で授業を受けてました」「彦根駅前校舎です」「いまは奈良県立医科大学に通っています」「彦根東高校出身です」とおっしゃる。おお、彦根東。滋賀の名門高校である。つい2~3年前、春のセンバツ高校野球にも出ていた。
 道理で、何だかお店の人たちがみんな我々に愛想がいいと思ったら、「他にも元受講生がたくさんいますよ」「みんな奈良県立医科大学です」「この店のアルバイトだけで、3人はいます」とのこと。うにゃにゃ、昨日の兵庫県と同様、奈良県も我々のシェアがスゴく高いところではあるが、まさかそんなにたくさんいるとは想像もしなかった。
大阪ANA
(日付がかわるころ、大阪のANAクラウンプラザホテル2301号室に戻った)

 23時20分の特急で大阪に戻らなければならないから、豪快なスタッフ諸君を店に残して大和八木の駅に向かった。ところが、改札を入ったところで再び「今井先生ですか?」の諸君に遭遇。最初は高校生女子1名だったが、あっちから1人、こっちからも1人と集まってきて、結局4人だったか5人だったか、駅の中での賑やかな写真撮影会になった。
 こういうふうで、今日もまたサトイモ男爵は幸せな1日を過ごした。大阪・難波までは特急で30分ほど。往路の特急はパンパンの満員だったが、復路はガラガラ。暢気に口を開けて居眠りしているうちに、あっという間に難波に到着していた。

1E(Cd) Weather Report:HEAVY WEATHER
2E(Cd) Sonny Clark:COOL STRUTTIN’
3E(Cd) Kenny Dorham:QUIET KENNY
4E(Cd) Shelly Manne & His Friends:MY FAIR LADY
5E(Cd) Sarah Vaughan:SARAH VAUGHAN
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