Sun 121209 クリスマスイブのサトイモ ポンビキさんとミサンガ売り(パリ速攻滞在記7) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 121209 クリスマスイブのサトイモ ポンビキさんとミサンガ売り(パリ速攻滞在記7)

 12月24日、クリスマスイブであるが、パリ滞在中の今井君の予定はマコトに地味なことに「お寺めぐり」である。昼からはモンマルトルの「サクレ・クール寺院」。夜遅くからはノートルダムに出かけてミッドナイト・ミサに出る予定。おお、何とマジメで地味なクマだろう。
 もっとも、クマでもサトイモでも、その存在の本質はマジメで地味な一生にあるのであって、派手なサトイモだとか不真面目なクマなどというものを想像してみるに、この上なく言語道断というか、存在自体が決して許されるものではない。
 諸君、真っ赤に熟したネロネロなサトイモ、サンバのリズムに踊りだすクマ、カラオケで熱唱するサングラス姿のキウィ、その類いのものを考えてみたまえ。やっぱりサトイモどんは泥の中でムッチリ、クマは冷たい川でシャケ取りに励み、キウィはあくまで毛むくじゃらで寡黙。そういう本質を外すのは、どうみても外道である。
ジョルジュサンク
(ジョルジュサンク駅で)

 そこでパリのクマ蔵は、大人しく大人しく地下鉄に乗ってモンマルトルに向かう。宿泊先のジョルジュサンクから1号線で1駅のエトワール(正式名称:シャルル・ドゴール・エトワール)へ。エトワールで2号線に乗り換え、7駅ほどでサクレ・クールの麓の駅に着く。
シャルルドゴール
(シャルル・ドゴール・エトワール駅で)

 チケットは、10枚綴りの回数券「カルネ」。パリの地下鉄もこの7~8年で様変わりして、地元の人たちはキップを買わずにSuicaタイプのIC乗車券を使っている。いまだにキップなんかチマチマ買っているのは、オノボリサンの観光客と、ガンコなオジーチャン&オバーチャンだけかもしれない。
 そりゃそうだ。リスボンでもイスタンブールでもブエノスアイレスでも、とっくに地元民はICカード。反応が悪くて、何度も何度もペタペタやらないとゲートが開かないのは難点だが、いちいちキップを買っているより便利なことは確かである。
 ニューヨークはいまだにカードリーダーを滑らせるタイプのカードだが、ロンドンは実に反応のいいオイスターカード。何でもかんでも高級品の夢の国♡ジパングにかなわないのは仕方がないとしても、いつまでもアナログなキップというのでは、世界の都:パリの沽券に関わるだろう。不承不承ICカード導入に踏み切ったものとみえる。
使用済みカルネ
(使用済みのカルネ)

 ただし、観光客として眺めていると、この新方式ははなはだ評判が悪いようだ。イスタンブールやブエノスアイレスのものと比較しても、決して機械の反応がいいとは言えない。そこら中でゲートがスタックし、乗客はパリ人独特のニヤニヤ顔でウンザリしてみせ、「やっぱり昔ながらのカルネがいいな」と頷きあう。
 その他のゲート類もしょっちゅう故障する。故障は放置され、自動で開くはずのものが開かず、手でコジ開けるべきものが意地でも開かない。ICカード専用のゲートを無理やりキップで通ろうとして行列ができる。使用済みのキップが階段や通路に紙吹雪のように投げ捨てられ、パリの地下鉄は今もなお20世紀中期の混乱の真っただ中にあるようだ。
サクレクール1
(サクレ・クール遠景)

 地下鉄を降りてサクレクールに向かうと、20世紀的混乱はますます混乱の度を増して、次第に「混沌」に近づいてくる。段ボール箱3個を積み上げた即席テーブルの上で、観光客を賭け事に誘い込むポンビキさんが、100m足らずの参道に20人近く並んでいる。
 ポンビキさんにはたくさんのサクラがついていて、「この賭け事がどんなに面白く、どんなに客の利益になるか」、通りがかりの一般人のフリをして、周囲の善男善女に語りかける。それぞれの段ボールテーブルが黒山の人だかりになって、真っ直ぐ歩くのも困難なほどである。
パリ風景
(サクレ・クールからパリ市街を望む)

 最もコアなサクラは中南米系の中年女性で、知らんぷりして賭けのカネを出し、サクラなんだからもちろん賭けに勝って、出したカネの5倍10倍のカネをもらって周囲に見せびらかす。「勝った」「勝った」「こんなに儲かるよ」「こんなお得な賭けにカネを出さないヒトは、ホントにバカだよ」というわけである。
 クリスマスイブにありがたいお寺を参拝に来たのだから、行き交うヒトだって間違いなく善男善女のはずであるが、こんなにサクラが寄ってたかって誘いこむんだから、どうしたって興味が湧いてくる。
 賭けると言ったって、せいぜい1ユーロか2ユーロのコインを1枚ポケットからつまみ出すだけである。お賽銭またはローソク代にポケットに入れておいたコインを、誘われるがままに段ボールテーブルに叩きつけ、あっという間に巻き上げられる。「もう小銭はないよ」という泣き言が、そこいら中の人だかりから聞こえてくる。まさしく、20世紀半ばの混沌である。
サクレクール2
(サクレ・クール近景)

 こういう混沌とした参道を抜けると、いよいよお寺に向かう急峻な山道になるが、山道にさしかかる所にはアフリカ系の物売りたちが満面の笑みで立ちふさがっている。エッフェル塔やルーブルにいる物売りと違って、彼らの売り物はエッフェルの模型や蛍光竹トンボではない。「ミサンガ、いかがですか?」である。
 この場合「いかがですか?」というより「ミサンガ、買いな!!」というほうが正確である。「ミサンガ、買わないのはアホだぜ」と言ってもいい。背の高い数人のアフリカ系男性に取り囲まれ、「右手を出しな。ミサンガ巻いてやるぜ」と腕をつかまれる。
 何だか分からないが、まるで「ミサンガ巻かないと、このお寺には入れないぜ」という勢いなので、気の弱いヒトは拒絶しきれない。で、大人しく立ち止まってミサンガを巻かれてしまうと、「もうこのミサンガを切ることは出来ない。どうしても30ユーロだ」。こうして、ポケットの中はお寺にたどり着く前にカラッポになってしまう。
サンタとトナカイ
(ビールジョッキを掲げるサンタさんとトナカイさん。サクレ・クールのクリスマスマーケットで)

 しかしそこはパリのベテラン♨クマ蔵閣下だ。こういうものには一切見向きもしない。賭け事のポンビキ&サクラさんも、門前のミサンガ売り諸君も、東洋のサトイモどんの強硬な拒絶のオーラをキチンと感じ取ってくれる。サクレ・クールに向かって左側の石段を。クマは一気に昇りきった。
 お寺は、たいへんな混雑である。石段の下では、中国系と思われるアジア人が結婚式の最中。クリスマスのパリで結婚式とは、なかなか思い切ったものだが、この混雑と混乱の中では、いささか迷惑がられているようでかわいそう。別の日程を選んでもよかったでござるかね。
お店
(地味なカフェで昼食。LE CENI'S)

 お寺の前でも、やっぱりクリスマスマーケットが開催されている。ワインと生カキを売る店、サンタクロースとトナカイさんが腕を組んでビールジョッキを傾けているデコレーション、「茶」と書いた箱を並べた東洋風の屋台。カラオケ用のマイクをつかって口上を述べながら、楽しそうにオモチャを作って見せているオジーチャン。お寺の門前であることなんか、まるで無関係のようだ。
 この様子を見て、クマどんもさすがにお腹が減った。「お腹が減った」というより、喉が渇いた。諸君、お腹が減っても我慢は出来るが、「喉が渇いた」という状況で我慢するのは命に関わる危険な振る舞いである。
ワイン
(本日の「命の水」はシャブリ)

 むかし授業で扱った例文にも、「食べずに40日生きることは出来るが、飲まずにいると7日で死んでしまう」というのがあった。ならば、飲むべし、飲むべし、大いに飲むべし。芹沢光治良「巴里に死す」という小説があったが、飲むのを我慢して巴里に死すなんてことになったらマヌケである。
巴里に死す
(芹沢光治良「巴里に死す」角川文庫。70円)

 躊躇なく入った店は「LE CENI’S」。何の変哲もない店だが、「飲まずに死ねるか!?」という話になれば、変哲も何もあったものではない。窓際のテーブルを占領して、
① 死なずにいるために最も大切なビア・大
② 次に大切なワイン1本・ただしあんまり高くないヤツ
③ 食べなくても40日生きていられるらしいステーキ
こういう順番で注文した。
ステーキ
(ステーキ。見た目はダメだが、旨かった)

 諸君、「オー・ド・ヴィー」である。命の水である。古代メソポタミアではビアのことをそう呼んだし、ワインが命の水であるのは古今東西かわりない。メデタシ&めでたし。「何の変哲もない店」にしては、ウェイター諸君の対応も優しくて爽やか。気持ちのいい昼食になった
 こうして、パリのクリスマスイブの午後が過ぎていく。「あれれ、お寺めぐりは?」とか、そういうウルサイ質問をするKuso-Majimeな御仁を、むかしのヒトは「野暮」と呼んだ。

1E(Cd) Duke Ellington: THE ELLINGTON SUITES
2E(Cd) Preston:BACH/ORGELWERKE 1/6
3E(Cd) Preston:BACH/ORGELWERKE 2/6
4E(Cd) Preston:BACH/ORGELWERKE 3/6
5E(Cd) Preston:BACH/ORGELWERKE 4/6
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