Mon 120923 山田吾一、死去 「エヴィータ」を観に行く(ンラゼマ地球一周記3) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 120923 山田吾一、死去 「エヴィータ」を観に行く(ンラゼマ地球一周記3)

 俳優・山田吾一、79歳で死去。作家・丸谷才一、87歳で死去。カンボジア・シアヌーク殿下89歳で死去。ちょっと前のことになるが、大滝秀治、87歳で死去。先週亡くなった伯父・加藤一夫が享年87だから、いずれ劣らぬ大往生だったのだと思う。冥福を祈る。
笹まくら
(丸谷才一「笹まくら」。講談社文庫 昭和48年)

 山田吾一の死去が伝えられたとき、誰もが昭和30年代の名作ドラマ「事件記者」について語った。10年にわたって視聴率40%をキープした推理ドラマが緊迫のナマ放送だったことを考えれば、やっぱり「事件記者」は伝説の番組として、放送業界の記憶に永遠に残ることだろう。
 その「事件記者」の中で主人公たちのうちの1人「岩見」を演じたのが山田吾一。死去のニュースでは「ガンちゃん」「ガンさん」ということになっていたが、今井君の記憶の中では、彼はあくまで「岩見」である。
 もっとも、さすがに「事件記者」放送当時の今井君は、幼児というより乳児、あるいは胎児だったのであって、ドラマの中身も岩見の演技も、三島由紀夫「仮面の告白」冒頭に示された記憶程度にしか残っていない。
リス君1
(NYセントラルパークのリス君 1)

 むしろ今井君にとって山田吾一の記憶は、NHK連続テレビドラマ「旅路」の記憶である。1967年放送。前年の樫山文枝主演「おはなはん」のほうが有名だが、「旅路」の視聴率は「おはなはん」を上回っていた。ググってみると、連ドラ歴代視聴率で「おしん」に次ぐ第2位に輝いている。
 出演は山田吾一の他に、日色ともゑ、宇野重吉、横内正、久我美子、加藤大介、名古屋章、長山藍子。うにゃにゃ、昭和の名優総出演の感がある。描かれたのは、大正から昭和にかけての北海道の国鉄職員一家である。
 今井君んちは父・三千雄が国鉄職員である。ガンコな三千雄君は、家族がテレビをダラダラ見るのがキライ。居間でテレビがついているのを見ると、苦虫を噛みつぶしたような顔で「消せ」と簡潔に命令したものだ。しかし国鉄職員を描いた「旅路」だけは別格扱い。むしろ「ヒマがあったら必ず見るように」という雰囲気だった。
 どうやら当時の国鉄全体で、この番組を推奨していたらしい。だから今井君なんか、今でもあの連続ドラマのテーマ曲を記憶している。白黒放送で、走る列車から見た鉄路を背景に「旅路」の文字が白く浮かびあがるシーンは、今でも脳裏に再現できる。
リス君2
(NYセントラルパークのリス君 1)

 山田吾一の記憶はもう1つ、1973年の大河ドラマ「国盗り物語」の蜂須賀小六役である。蜂須賀小六は、このドラマの中では野武士の群れの1人として描かれ、あくまで脇役の1人に過ぎない。しかしどういうわけか幼い今井君の記憶に強烈に残った。
 「野武士みたいな生き方も悪くないな」。ま、いかにも男のコドモらしい憧れである。所領なし、安定収入なし。部下なし、権威なし。頼れるのは自分の腕一本。いま考えてみると、その後の人生が何となくそっちの方角に向かっていったような気がしてならない。今でも徳島を訪れるたびに、山田吾一の蜂須賀小六を懐かしく思い出すのである。
クマ君たち
(NYセントラルパークのクマさん群像)

 さて、8月29日、ニューヨーク2日目の今井君を追いかけてみよう。いやはや、酷暑というか炎暑というか。直射日光でいったん熱くなってしまった鉄とコンクリートの街は、午後になって日差しがいくらか弱まっても、なかなか冷めてはくれない。
 お腹の中はさっきのラムチョップでいっぱい、セントラルパーク→リンカーンセンター→HOTEL EMPIREとウロウロしているうちに、キウィ軍曹はふと睡魔に襲われた。うにゃにゃ、どうしようもなく眠い。きのう日付変更線を跨いだばかりだ。おそらく時差ボケが出たのだが、この熱さじゃ、熱中症の可能性だってある。
 ミュージカル「エヴィータ」の開演まで6時間近くあったから、キウィ軍曹が選択した行動は「ホテルに戻って、ひと寝入り」である。さすがに旅慣れた今井君。こういう時に無理することは絶対にしない。
 しかも、宿泊先の「プラザアテネ」はMadison Ave/64St。隠れ家的なプチホテルだが、交通至便であって、セントラルパーク南からなら、すぐ近くだ。5th AveでもパークAveでも、マディスンAveでもレキシントンAveでも、高級タウンハウス街をチョコッと北上すれば、懐かしいベッドと、クーラーがカチンカチンに利いたお部屋と、冷たいビアが待っている。
ミュージカルチケット
(エヴィータのチケット)

 こういうわけで、午後のクマどんは怠惰な冬眠に身を任せた。目を覚ましたのが、午後6時。ミュージカルには余裕で間に合うはずだったが、地下鉄でちょっとしたトラブルがあって、42th Stまで歩いていかなければならなくなった。
 諸君、真夏の炎熱が残る夕暮れのマンハッタンを、20ブロックも徒歩で南下するのは、さすがに難行苦行でござる。何しろ、夕方のラッシュのニューヨークだ。同じ大都市でも、ニューヨーク市民は東京のヒトビトよりホンのちょっとワガママで、クルマの運転もホンのちょっと自分勝手。あまり周囲に気を配ることはしない。
夕暮れのNY
(夕暮れのNY、グランドセントラル駅付近)

 結局タイムズスクウェアまで30分近くかかって、開演まで15分というギリギリの到着になった。冷や汗をかいたけれども、午後を惰眠に費やしただけのことはある。「強烈な睡魔に襲われる」「舟を漕ぐ」→「ヨダレを垂らしつつ&イビキをかく」という最悪の事態は避けることができた。
 何よりも、ミュージカルのストーリーの進行が速くて、こんなにスピーディなら睡眠不足でも大丈夫だ。「ありゃりゃ、これはダイジェスト版ですか?」と尋ねたくなるぐらい、アルゼンチンの貧しい少女は、あっという間に売れっ子女優にのし上がった。
 彼女の部屋をコッソリ訪ねる男たちの階層も、平社員&一兵卒から、あっという間に重役&将校クラスへ、ずんずんエラいヒトビトになっていく。まもなく大統領候補の男子を誘惑し、彼の恋人を無慈悲に蹴落とし、おや、もう大統領夫人まで昇りつめちゃった。そこで前半60分が終わる。
夜のタイムズスクエア1
(夕闇せまるタイムズスクウェア)

 後半は、大統領夫人エヴィータが、ひたすらオカネをばらまくシーンの連続。いやはや、何とも景気よくバラマキますよぉ。麻生時代の自公政権「定額給付金」とか、民主党の「子ども手当」とか、そういう次元のバラマキじゃなくて、ホントのお札を花吹雪みたいにバラまいてみせる。
 ま、お芝居なんだから、荒唐無稽も悪くない。集中豪雨的にお札が舞台を舞い、貧しいヒトビトが意地汚くオカネに群がる光景が描かれる。しかし何だか、これじゃホンモノのエヴィータが墓場で怒り心頭に発しているかもしれない。ムックリ起き上がって、ニューヨークまで抗議に来はしないか?
エビータ
(エヴィータ。劇場はマリオットホテル内である)

 劇場はパンパンの満員。場内アナウンスにはスペイン語版もあって、観客には中南米系のヒトビトも多い。舞台を包むアルゼンチン国旗の、白と水色のストライプが美しい。エヴィータの描き方に「いくら何でも乱暴すぎんじゃね?」感があるとしても、たった2時間でスピーディに人生を駆け抜ける、マコトに爽快なミュージカルであった。
夜のタイムズスクエア2
(タイムズスクウェア、午後10時半)

 終演後、地下鉄で帰る。4号線/5号線/6号線の59th Stで降りて、5番街を歩いて5ブロックほど北上すればホテル「プラザ・アテネ」にたどり着く。午後10時半を過ぎて、さすがに風は涼しくなった。
 歩いていく左側はセントラルパークの深い闇。ホンの7~8年前なら、こんな危険なシチュエーションはないというか、「どうか私を襲ってください」「金品を奪ってください」みたいな、モッテノホカの状況といっていい。
 しかし2012年、かつての犯罪都市ニューヨークは、むしろ東京よりも安全な雰囲気である。暗闇からヌッと男たちの姿が見えても、もはやゾッとすることはない。若い女性の一人歩きだって少なくはないようである。
プラザホテル
(プラザ合意で有名なプラザホテル付近、午後11時)

 しかし諸君、諸君が歩くなら、この場合もう少し公園の闇から離れて、もっと人通りの多いパーク、マディスン、レキシントンAveを選ぶことをお勧めする。今井君がゾッとせずに済んだのは、この今井君がサトイモ大将でありキウィ軍曹であり、クマ蔵どんでありウワバミ大将であるからに他ならないのだ。

1E(Cd) Solti & Chicago:MAHLER/SYMPHONY No.8 2/2
2E(Cd) Barbirolli & Berliner:MAHLER/SYMPHONY No.9
3E(Cd) Rattle & Bournmouth:MAHLER/SYMPHONY No.10
6D(Dmv) JFK
total m120 y1545 d9440