Sun 120916 ボクは多様性を愛する 津田沼で講演会 伯父・加藤一夫、死去 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 120916 ボクは多様性を愛する 津田沼で講演会 伯父・加藤一夫、死去

 10月8日、金沢の日航ホテルで目を覚ますと、すでに午前7時を過ぎている。今日はこれから千葉県の津田沼に移動し、17時から公開授業の予定である。小松空港から羽田への飛行機は少ないから、どうしても11時半の便になる。金沢発9時53分の特急サンダーバードに乗らないと間に合わない。
 この3~4年、金沢泊の時は必ずANAホテルを利用してきた。忘れもしない2011年3月11日、東日本大震災の日も金沢ANAホテルに滞在していた。久しぶりに日航ホテルを利用してみると、その居心地のよさにビックリ。これからしばらく、金沢滞在は日航ホテルにしようと思う。
 それにしても、これから4~5年の金沢は大きく変化しそうである。何しろ、北陸新幹線の開通は大きい。それに備えて、国鉄・金沢駅前はどんどん姿を変えている。地下街もどんどん整備されて、マコトに素晴らしい。
津田沼1
(津田沼での講演会 1)

 しかし、「もしかしたら今、トンデモナイことをしてるんじゃないか」という思いも湧き上がる。中世から近世を経て近現代まで、金沢は完全に関西文化圏。正確には京都文化圏であって、大阪や神戸に目は向かなくても、ヒトビトは常に京都の方向を向いて生活してきた。
 何しろ中世には100年にもわたって一向一揆が支配した地域である。浄土真宗、とりわけ蓮如の影響は強烈だ。今井君がコドモの頃、金沢を舞台にしたNHK連続テレビ小説があった。東京コトバなら「…だから」を、昔の関西コトバで「…やさかい」と言い、金沢コトバでは「…やさけ」と言ったらしい。
 確か田中絹代だったか、昭和の大女優が連日「もう疲れたさけ…」「小腹がすいたさけ…」「そういうことはキライやさけ…」を連発した。NHKドラマの地方コトバは異様に地方性が強調されていて気持ち悪いが、コドモの頃の今井君の脳裏に「金沢って、関西文化圏なんだな」と刻み付けるには十分であった。
 21世紀の金沢でも、京都の求心力は衰えていない。優秀な高校生たちは、まず京都大学を目指す。他の地方みたいに「誰が何と言おうと東大」「何が何でも東大」「東大、東大、ひたすら東大」という意識は感じない。京都大学、大阪大学その他、関西の大学のほうにコドモたちはより大きな共感を感じるらしい。
 小松空港から羽田への飛行機が少ないのも、そういう京都指向を反映しているのかもしれない。京都方面への特急サンダーバードは上下合わせて50本も走っているのに、小松-羽田のANA機は5往復、合計10便だけである。
津田沼2
(津田沼での講演会 2)

 北陸新幹線の開業で、おそらく金沢は大きく変わるのだ。ヒトビトの目は一気に東京を向き、コトバも意識も進学もみんな東京向きになる。近いうちにサンダーバードは減便され、京都大阪方面への人の流れは縮小し、やがて文化も東京志向になる。
 やっぱりボクらの世代は、たいへんなことをしようとしているんじゃないか。文化の多様性が大好きな今井君は心配でならない。
 外国を旅して「なんだ、世界って1つじゃないか」と感動するのはいいが、サトイモ大将の場合、その同じコトバが嘆息とともに漏れるのだ。世界が平和なのはもちろんスバラシイが、多様性をなくした世界はキライだ。みんな1つに統一されて、みんな英語、みんなネット、みんなスマホ、そういうのはツマラナイ。
 どの国も、どの地域も、どこも驚くほどの多様性に満ちていて、みんな別々、みんな特別、みんな個性的、そういうのがいい。何でもかんでもアメリカ、何でもかんでも中国、何でもかんでも東京、何でもかんでもカワイイ、それだけはヤメてほしいのだ。
津田沼3
(津田沼での講演会 3)

 そういうことを思いながら、津田沼に向かった。電車で小松、タクシーで小松空港、11時半のANAに乗って、12時半に羽田。羽田から京急線で品川、時間があったので品川で床屋さんに立ち寄り、品川から横須賀線。直通の総武線快速で津田沼到着15時。なかなかの大移動である。
 品川の床屋さんについては、ぜひ近いうちにこのブログでも紹介したい。もちろん「近いうち」とは、「実現しないかもしれないし、実現しない可能性も極めて高い」を意味している。いやはや、それにしても驚きの床屋さんであった。
ケーキ
(津田沼校で出していただいたケーキ)

 津田沼での講演会、17時開始、18時半終了、出席者約110名。最初は少しおとなしめで、最初の5分ほどは何を言っても完全に無反応。「こりゃたいへんだ。7年ぶりの大失敗になるかな?」と無用の危惧に襲われたが、その危惧も5分後には完全に打ち破られた。
 中盤から後半にかけてはいつもに勝るとも劣らない大爆笑の連続。今日もまたサトイモ大将は「ネクタイまでビショビショ」の大汗をかいた。いやはや、楽しかった。
 「7年前の大失敗」は、九州のある町でのことである。小さな温泉ホテルの大広間に金屏風が立てられ、生徒たちは異様な緊張の中にあった。サトイモ閣下も代ゼミから移籍したばかりで常に緊張気味。お互いにブルブル震えながら、90分誰一人ピクリとも動かずに、氷のように硬く冷たく緊張したまま終了。移籍後7年、失敗はあの時の1回だけである。
シェイクスピア全集
(伯父・加藤一夫が大学生時代に買い集めたシェイクスピア全集。今井君の手許に3冊が残っている)

 さて、母方の伯父・加藤一夫の死去について、短くお伝えしなければならない。膵臓ガンと肺気腫の悪化で、2012年10月7日死去。享年87。東京商大(現・一橋大学)卒、秋田大学助教授、静岡大学教授、静岡大学学長を歴任。
 加藤一夫という同姓同名の方が静岡福祉大学という私立大の学長をなさっているが、これは全くの別人。ググってみると、他に同姓同名の詩人や哲学者もいらっしゃるが、これもまた別人である。
ペリクリーズ
(「ペリクリーズ」のエピローグ)

 経済学者ではあるが、物静かな文学青年タイプの人で、著書にもその傾向が常につきまとった。著書に「テューダー前期の社会経済思想」「トマス・モアの社会経済思想」(未来社)、東京大学出版会からJ.S.ミルの翻訳も出したことがある。
 十数年前、「勲2等」をいただけることになったが、どういう理由か勲章を固辞。文化勲章を固辞した内田百閒なみのヤンチャぶりであった。80歳を過ぎて「プラトンの国の先住者たち」(桜井書店)を出版。「もう1冊、書きたい本がある」と呟きつつ、静かに息を引き取った。
タイタス・ヂョン王
(「タイタス・アンドロニカス」と「ヂョン王」)

 第2次世界大戦中、経済学を学びつつ、シェイクスピアに親しみ、シェリーの詩を愛した。大学でどんな講義をしていたのか、甥の今井君には知る由もないが、著書や言動から想像するに、相当ヤンチャな講義を展開していたんじゃないか。それも、学生たちに分からない程度に、心の中で自分のヤンチャぶりを楽しみながら、講義を心から楽しんでいたんじゃないか。
シェリー研究
(戦争中も詩人シェリーを読んでいた)

 10月8日、通夜。10月9日、葬儀。すべて無事に終了。
 かつて、急死した弟の通夜の席で、
「ボクは、通夜とか葬式とか、そういう儀式を嫌悪していてね」
と真顔で語ったことのあるヤンチャな伯父である。しかし息を引き取ってしまえば、自分自身の通夜と葬儀を、大人しく受け入れざるを得ない。さぞかし甘い苦笑いを浮かべながら、天国に旅立っただろうと思う。大往生であった。
奥付
(昭和18年、伯父はシェリーを愛読していた)

19歳の書き込み
(伯父、19歳の書き込み)


1E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 9/9
2E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 1/10
3E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 2/10
4E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 3/10
5E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 4/10
total m81 y1506 d9401