Wed 120905 数百年の念願が叶う ホフブロイハウス3連発(ミュンヘン滞在記15) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 120905 数百年の念願が叶う ホフブロイハウス3連発(ミュンヘン滞在記15)

 5月23日、ミュンヘン滞在は残り3日になった。おやま、あっという間であったね。普段の外国旅行は2週間をスタンダードに計画するのに、今回は10日。違いはたった4日しかないはずなのに、「ええーっ、もう帰るの?」という悲しさは、何故かヒトシオである。
 確かに、いつもの旅行よりもずっと濃密に、いろいろと詰め込んでしまったかもしれない。いつもなら「なんにもしない」が原則で、とにかく出来るだけ何もしない。2012年のブエノスアイレスなんか、ウルグアイ探険に1日費やした以外はずっとブエノスアイレスにいて、ひたすら牛肉のカタマリを胃袋に詰め込む作業に終始した。
 2012年5月のイスタンブールだってそうだ。ユスキュダルとかカディキョイとか、近郊の町に船の旅を繰り返したことは確かだったが、要するに連日ヒツジさんの肉を胃袋に詰め込む作業に終始。ウシとヒツジを入れ替えただけの話である。
マリエンプラッツ
(ミュンヘン、マリエンプラッツで)

 ところが2011年のミュンヘン滞在は、毎日のように「何もしない」の原則を破り続け、たった10日しかいないのに、ガルミッシュパルテンキルヘン・インスブルック・ザルツブルグ・パッサウと、つぎつぎに小旅行を重ねた。あんまりいろいろやりすぎて、肉体的にも精神的にもそろそろ息切れがし始めた。
 諸君、いま冷静に思いを巡らしてみると、やはり旅の妙味は「原則として何もしない」ことにあるようである。詰め込みすぎた旅は、詰め込まなかった旅ほどの感慨が残らない。いままでの今井君の旅で最も印象が強烈だったのは、北イタリアのマッジョーレ湖畔に滞在した2007年9月と、2008年5月の北イタリア・コモ湖畔滞在である。
ホフブロイハウス
(ミュンヘン、ホフブロイハウスで)

 とすれば、今回のミュンヘン滞在を少し軌道修正して、残った3日間は徹底的に何もしない方向で考えたらどうだろう。「何もしない日々」を一気に取り返すのだ。昼近くまでホテルでブラブラして、メイドさんにコワい顔で睨まれるのも、またオツなものである。
 何しろここは南ドイツだ。昼のビアガーデンで思い切りビールを楽しんでも、誰も変人扱いしない。ビアガーデンで昼から夕方までダラしなくビールに浸り、夕暮れになったらホテルに戻って、またまたダラしなく眠る。それを3日連続する。
 こういうバカバカしい計画を立てて、一人でニヤニヤする。トルコならヒツジ、アルゼンチンならウシ、ドイツならビールとソーセージ。ミュンヘンでそういう自堕落な3日を過ごそうとすれば、もちろん世界中の人が知っている「ホフブロイハウス」がいいに決まっている。
庄屋
(ホフブロイハウスの近くに、何故か「庄屋」がある)

 いまから数百年前、今井君が大学1年生の夏、クラスの仲間たちはみんな張り切ってヨーロッパ旅行に出かけたものである。ある者はドイツへ。ある者はスペインへ。ある者はニューヨークへ。オカネのなかった今井君は指をくわえて眺めていたが、第2外国語がドイツ語のクラスだったから、「夏はドイツへ行ってきたよ」という贅沢なヤツが多かった。
 その中の一人から、ホフブロイハウスのお土産をもらった。上着の衿に刺す飾りピンで、小さく「HOFBRÄUHAUS MÜNCHEN」の文字が入っている。当時はまだ東西冷戦の真っただ中。ユーロは影も形もなくて、ドイツ通貨は「マルク」であるが、1マルクもしなそうな、おそらく店で一番安いお土産の一つだったと思う。
プレッツェル1
(ホフブロイハウスの巨大プレッツェル 1)

 今井君は律儀だから、いまだに数百年前のそのお土産を大切に持っている。ソ連上空を飛んではイケナイ時代、アラスカのアンカレジ経由のたいへんな長旅でドイツから持ち帰ってくれたお土産だ。どんな安物でも、そんなにカンタンに捨てちゃうわけにはいかないじゃないか。
 「ドイツでは日本語も通じたよ『地図下さい』と言ったら、地図がもらえたよ」「駅はドイツ語でバンホフのはずだけれども、バンホフよりステーションのほうが通じやすかったよ」など、羨ましい土産話とともに、今井君の脳裏に残ったのが「ホフブロイハウス」。「くそぉ、いつか絶対行ってやる」と呻きながら、その小さな飾りピンを何度も眺めたものだ。
メニュー
(シュパイゼカルテ。おお、ドイツ語でござるよ)

 実は、2005年2月13日、一度そのホフブロイハウスの夢を叶えかけたことがある。代ゼミをヤメた5日後、今井君はコペンハーゲン→ベルリン経由でミュンヘンに入り、大雪の気配の漂う極寒のミュンヘンで、ホフブロイハウスの敷居のところまで侵入したのだ。
 しかしあの時のホフブロイハウスは中国人団体ツアーに完全に占領され、立錐の余地もない。何しろ雪の結晶がキレイな六角形のまま融ける気配もない極寒の夜のこと、外のガーデン席は閉鎖。暖かい屋内のビアホールには中国語がガンガン響き渡って、ドイツの空気もミュンヘンの旅情も一切ナシ。7年前のクマ蔵は、寂しくお隣のお店で我慢したのだった。
集い1
(ゼミ形式での集い ジーチャンバーチャン篇)

 こうして2012年、とうとう学部1年のころからの念願宿願が叶って、ホフブロイハウスのガーデン席に座る。快晴の1日で、5月下旬のガーデン席はあっという間に黒コゲに日焼けしそうであるが、せっかくの快晴だ、黒こげキウィ男爵になるのも悪くない。
 ドイツ人は、ここでもまた大人数が長テーブルに長く長く居並んで、まるで大学のゼミみたいに真剣に話し合いながらビアを楽しむ。ゼミ形式はジーチャン&バーチャン集団でも青年グループで同じこと。その討論の真剣さは、丸テーブルを3~4人で囲むフランス人やイタリア人の気楽な表情と比較して、やっぱり全く国民性が違うようである。
集い2
(ゼミ形式での集い 若者たち篇)

 自分がどんどん黒コゲ男爵になって行くのを感じながら、冷えたビアを痛飲し、自分の顔より大きなプレッツェルに腰を抜かす。最初からテーブルに置かれている常識的なプレッツェルではなくて、若いお姉さんがテーブルを回って売り歩いているプレッツェルである。
 お姉さんを呼び止めて1個買ってみると、「これ1個食べたらもう2~3日何も食べなくていいんじゃないか」と思うほどにデカイ。直径はビアジョッキぐらい。ホントに今井君の顔よりデカイぐらいだが、この塩味がたまらない。つられてビアはいくらでも喉の奥に消える。
プレッツェル2
(ホフブロイハウスの巨大プレッツェル 2)

 ついでだからワインもボトルで注文して、これですっかり腰が落ち着いた。何しろ今日の目標は「何もしないこと」。昼ちょっと前に座った席からビクとも動かずに、延々夕方まで座っていることである。間が持たなくなったら、ワインもう1本頼めばいいし、それでもダメなら、巨大プレッツェルをもう1個お願いしてお姉さんを驚かせればいい。
 お隣のテーブルには、いかにもドイツのオジサマっぽいオジサマが1人で座って、これもまた巨大なタルタルをムシャムシャやりはじめた。タルタルって、要するに生のヒキニクであるが、多くのドイツ人がこれを好むようである。
タルタル1
(白ヒゲのオジサマと、生肉の山)

 ついこの間も、ケルンの巨大酒場「フリュー」で体重120kgはあるだろうというオジサンが「これは前菜に過ぎない」と笑ってクマ蔵に見せびらかしながら、タルタル1皿あっという間に平らげてみせた。凶悪な血の色をした、「ハンバーグ2個分かな?」というぐらいの生肉のカタマリであった。
 ホフブロイハウスの白ヒゲのオジサマも、やっぱりタルタルを前にしてニヤーッと不気味に笑った。どうやらお馴染みさんらしくて、お店の人はほとんど注文も聞かずにイソイソとタルタルを運んできた。
タルタル2
(生肉の山、拡大図)

 オジサマのキレイな白いヒゲが、タルタルの血で真っ赤に染まりそうでコワい。しかしオジサマはそんなことは意に介さぬ様子。一口運んでは「ニヤー」、もう一口運んでは「ニヤー」、その連続で、タルタルは機械のように正確に、容赦なくどんどん減っていく。
 「そんな真っ赤な獰猛な食べ物には、ビアより赤ワインのほうがいいんじゃありませんか?」。アジアの片隅のクマとして、ヒトコト忠告申し上げたくなるところだが、その静かな「ニヤー」の連続する迫力は、中途半端なクマなんかを寄せつけない強烈なものであった。

1E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN 3/5
2E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN 4/5
3E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN 5/5
4E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 1/10
5E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 2/10
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