Tue 120811 大雪の記憶 シュパーゲル グロッケンシュピール(ミュンヘン滞在記3) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 120811 大雪の記憶 シュパーゲル グロッケンシュピール(ミュンヘン滞在記3)

 5月19日、ミュンヘン滞在の2日目は快晴に恵まれた。南ドイツの初夏は暖かい。電車で2時間南下すればドイツアルプスのど真ん中になるから、そのイメージからして「さぞかし、寒かんべえな」という先入観があるが、少なくとも春から夏にかけては穏やかで暖かい土地である。
 6年前にミュンヘンを訪ねたのは、2月中旬。まさに厳寒の季節であって、ミュンヘンでは大雪が降った。到着した日はまだ何ともなかったのだが、翌日の昼頃に雪が舞い始めると、すぐにたいへんな大雪なった。
市庁舎
(ミュンヘン市庁舎)

 クマ蔵は雪国の出身であるから、空気の匂いや風の硬軟で大雪を嗅ぎ分けることができる。北国の風には硬さと軟らかさがあって、「おや、北西からの風の硬度が突然上がったな」と感じるときには、大雪がすぐ近くまで迫っている。
 「空気の匂い」についても同様である。クマさんはお鼻をヒクヒクさせながら、大雪の匂いを嗅ぎ分ける。クマさんが「これは大雪が来るぞ」と発言したら、まもなく十中八九の確率で最初の雪がちらつき始める。
 生まれ育った秋田県秋田市は、「大雪」と言ってもせいぜい1メートル積もるか積もらないか。決して豪雪地帯ではない。しかし豪雪に慣れきっている人々のほうが、雪の襲来には鈍感になっちゃうんじゃないか。秋田市みたいな中途半端な雪国の生まれだからこそ雪に敏感、そういうことは世の中にたくさんあるんじゃないかと思う。
市庁舎前広場
(市庁舎前広場の賑わい)

 6年前のあの日、ミュンヘンでいきなり降り出した雪は、1つ1つの結晶がハッキリ見分けられるほど美しいものだった。虫メガネなんか、ちっとも必要ないのである。いろんな六角形が、真っ白い結晶のままいつまでもコートの上に残って、それがあっという間にミュンヘンの街を白く覆った。
 今井君はあわてて近くの靴屋に駆け込んだ。大雪用の靴はもってきていなかったので、どんなボロい靴でもいいから、ホンの10日ぐらい雪に耐えられる靴を買おうと思ったのだ。
 ミュンヘン5泊のあとはウィーンで5泊を予定。その後はアルプスを超えてヴェネツィア→フィレンツェ→ローマと回る予定だったから、雪の心配はなし。ミュンヘンとウィーン、10日間の雪さえ乗り切ればいいのである。
 入った店で、旧ユーゴスラビア圏の国から輸入された安い靴を買った。外に出ると、もう路面が見えないほど雪は深く積もっている。雪国の人なら誰でも知っているはずの静寂が街を包んだ。雪が一定以上積もると、それまでの喧噪が一気に静まり返るのである。
フラウエン教会
(ツインのタマネギ塔が印象的なフラウエン教会。残念ながらタマネギ1個が修復中だった)

 今回の旅行で最初に訪れたかったのは「6年前のあの日、靴を買った店」である。何だか、異様に懐かしい。8年在籍した代ゼミをヤメた直後のヨーロッパ周遊40日の旅は、やはり今井君にとっては特別な旅だったのであって、中でも大雪に見舞われたミュンヘンの5日間は特に印象が深いようである。
 店は、ミュンヘン旧市街にチャンと残っていた。通称「黄色い教会」=テアティーナー教会のそばの通りである。6年前には「暗い裏通り小さな店」と思っていたのだが、今回立ち寄ってみると、何だかたいへんオシャレな通りの、その中でも一番オシャレな店なのであった。
テアティーナー教会
(黄色い教会=テアティーナー教会)

 ドイツの5月は、アスパラガスの季節である。そこいら中に屋台が出て、アスパラガスを山積みにして売っている。アスパラガスはドイツ語でシュパーゲル。SPAGELと大書した看板が上がり、タケノコ並みに太いアスパラガスが屋台の奥まで積み上げられる。
 同じ屋台で、イチゴとサクランボも売っている。「郊外からこんな市街地の中心まで出かけてきて、わざわざアスパラガスやサクランボを買う客があるもんか」と考えるのは、やっぱり外国人観光客の愚かさであって、クマの見ている前で白いアスパラガスはどんどん売れていく。
シュパーゲル
(アスパラガスの屋台)

 マリエンプラッツは快晴で、乾いた気持ちのいい風が広場をわたっていく。マコトに爽快な1日である。時計は11時半。市庁舎時計塔の仕掛け時計=グロッケンシュピールが動き出すのが正午だから、広場にはだんだん観光客が集まりはじめていた。
ジーチャン
(広場の店で すでに酔っぱらっているジーチャン)

 あんぐり口を開けて時計塔を見上げていると、ドイツ人オバーチャンに声をかけられた。「あなたは、韓国人? 中国人?」と尋ねるのである。おやおや、これは珍しい。今井君はどこの国に行っても、まず最初に「日本人か?」と声をかけられる。
 どう見分けるのか分からないが、とにかくクマ蔵は欧米人の目から見て「一目で日本人と判断できる対象」「韓国人や中国人には見えない日本のクマ」であるらしい。コドモたちからは「ニーハオ」の声がかかるけれども、オトナの人たちが見間違えるのは珍しいことである。
ラーツケラー
(市庁舎の地下は「ラーツケラー」。有名なビアホールである)

 「いや、日本人だ」「東京から来た」と応えると、オバーチャンの表情が一瞬で悲しげに変化した。彼女はすぐに東日本大震災のことに言及し、「ツナミはたいへんだったでしょう」「フクシマの人たちのことを、私たちも心配しています」を目に涙を浮かべる様子だった。
 考えてみれば、2011年5月19日のことである。大震災と大津波の発生から、まだ70日しか経過していない。世界中の人たちが日本のことを真剣に心配してくれている日々だったのだ。「ドイツを旅している日本人なんか。まさかいないだろう」。そう考えたオバーチャンが「あなたは韓国人? 中国人?」と声をかけてきたのも、無理はなかったのである。
やきとり
(NeuNeu YAKITORI)

 12時ちょうど、グロッケンシュピールが動き出した。1568年以降、すでに450年にわたって毎日2回ずつ踊り続けている人形たちである。
 踊る人形は上下2段。上段では馬上での槍試合が行われる。450年、槍試合は常にバイエルン騎士が勝利し続けている。仕掛け人形なんだから当たり前だが、計算してみたまえ、450年×365日×1日2回。概算だが、バイエルン側が328500連勝していることになる。何という圧勝、何というアルティメット・クラッシュ。思えば、日々の努力の継続ほど重要なものはない。
グロッケンシュピール1
(グロッケンシュピール 1)

 下段では、ビールの樽を作る職人が踊る。何ということだ、彼らもこの450年で33万回も繰り返して同じダンスを踊り続け、口をあんぐり開けて彼らの楽しげなダンスに興じた人々の数は、33万にさらに300とか500とか(1日あたり)を乗じた数になる。
 試みに1日500人として、1億6千万人を超える。世界中で、これほど多くの観衆に見守られた幸せなダンサーが、歴史上他に存在したであろうか。
グロッケンシュピール2
(グロッケンシュピール 2)


1E(Cd) Weather Report:HEAVY WEATHER
2E(Cd) Sonny Clark:COOL STRUTTIN’
3E(Cd) Eschenbach:MOZART/KLAVIERSONTEN②
4E(Cd) Eschenbach:MOZART/KLAVIERSONTEN①
5E(Cd) Eschenbach:MOZART/KLAVIERSONTEN②
total m55 y1325 d9220