Thu 120806 靴磨きオジサンにしばしの別れ ヴァレンス水道橋(イスタンブール紀行27) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 120806 靴磨きオジサンにしばしの別れ ヴァレンス水道橋(イスタンブール紀行27)

 5月29日、イスタンブール滞在はlast but oneの1日になった。ここまでで観光地のうち横綱大関コース→関脇小結コースのほとんどを訪問し終えて、近郊のエディルネとブルサの街を「見残し」に決定。2週間の滞在中に「どうしても見ておかなければ」という場所は、ガイドブックの中では「ヴァレンス水道橋」しか残っていない。
 もう1つ、last but oneの日の定番は「総復習」である。長い滞在中で最も印象に残った場所を2つか3つ選んで、もう1度満喫しに出かけるのである。こういう贅沢も、2週間同じ都市に滞在するタイプの旅だからこそ可能になる。
ヴァレンス水道橋1
(今日はまず、ヴァレンス水道橋を訪問する 1)

 スイスホテルから長い坂道をカバタシュに向かって降りていく。旅の最初の3日間、毎日出現しては靴磨きのブラシを落としてみせたオジサンは、もう完全にあきらめてベンチで昼寝のフリをしている。
 観光客の目の前で「うっかり」ブラシを落としてしまい、親切にもブラシを拾ってくれた観光客に「お礼だから」と言って靴を磨く。磨き終わった後に「80リラです」と料金を要求する。客が拒むと、周囲に隠れていた仲間たちが集まってきて、とにかくいくらかのオカネを払わせる。そういう仕組みになっているらしい。
ヴァレンス水道橋2
(今日はまず、ヴァレンス水道橋を訪問する 2)

 最初の3日間、さっそく今井君をターゲットにして、そういう筋書きのコントが始まった。もちろん、3日とも今井君は完全に無視。4日目からは、靴磨きオジサンのほうでも今井君を無視。「あのヤロー、いつまでトルコにいるんだ? 日本人なら日本人らしく、さっさと2~3日で日本に帰っちゃってくれないかな?」ということである。
 しかし、そうは問屋が卸さない。マコトにシツコイ今井君は、2~3日はおろか、7日経っても10日経っても、一向にイスタンブールを立ち去る気配はない。1週間経過してからは、今井君が通過するとオジサンの周囲に運転手仲間が集まって、何だか盛んにオジサンをからかっている様子が見えた。
 こうなると、やっぱりオジサンだって面白くない。オジサンは、ベンチの上で仰向けになり、お昼寝のフリをするようになった。しかし諸君、あんなにコントが下手なオジサンだ。当然「お昼寝のフリ」も下手クソだ。「ありゃ、絶対に眠っていない」「明らかに眠ったフリだ」とハッキリ分かってしまう。
ヴァレンス水道橋3
(今日はまず、ヴァレンス水道橋を訪問する 3)

 懐かしいこのオジサンとも、今日でしばらくお別れになる。次にイスタンブールに来るときまで、果たして健在だろうか。次回はスイスホテルに宿泊することはないだろうが(だって、街の中心部から離れすぎているのだ)、それでもワザワザここに来て、その健在を確かめてみるつもりだ。
 もちろん彼にとって一番いいのは、そんな下手なコントで観光客をダマそうと躍起になるよりも、マトモに靴磨きの商売に励むことである。いちいちコントをやってみせ、悪い仲間の力を借りてゴマカシゴマカシ生きていくなんて、バカバカしいじゃないか。
 しかしでござるね、今井君はどうしても急速なデジタル化はキライでござる。19世紀末から20世紀中頃のカホリのする、こういう何となくstupidな生き方の全てを否定したくはないのである。観光客さえしっかり気をつけていれば、大して迷惑はかからない。むしろ、この程度のコントがいまだに有効だということに問題があるのだ。
トルコガールズ
(今日も元気なトルコ・ガールズ 水道橋付近で)

 さて、靴磨きオジサンのショモナイ罠を13日間連続して突破したクマ君は、サッカーの名門ベシクタシュの本拠スタジアムの目の前を通って、カバタシュに向かった。せっかくの名門なのに、スタジアム近辺の舗石がみんな外れてグラグラになっているのが気になる。
 「ユラユラロード」と今井君は呼んでいたが、「何だ、こりゃ」というほど見事に、小学校低学年の児童の乳歯の歯列よろしく、1コ1コのどれを取ってもグーラグラ♨のユーラユラ♡、まさに風前の灯火状態。あれほどのファンの押し寄せるスタジアムなんだから、こういうのもチャンと補修したほうがいいんじゃないかね?
チャイ
(海辺の店のチャイ)

 トラムに乗って中心街に出かける前に、クマ蔵はカバタシュ駅前のチャイハーネに入った。ドルマバフチェ・ジャーミーのすぐ目の前にあって、外のテーブルに座れば、ボスフォラス海峡からの海風がたいへん心地よい。2週間滞在するうちに、季節はすっかり夏になったが、午前中のうちなら温かいチャイも悪くない。
 毎朝毎晩、大音量の祈りを聴かせてくれたのは、このジャーミーである。午前4時だったか5時だったか、とにかくまだマトモに夜も明けていないイスタンブールの街に、あちこちのジャーミーから大音量で流される祈りの声は、さすがに滞在当初は違和感があった。遠く離れたスイスホテルの客室までも、祈りの声はキチンと大音量のまま届いたのである。
海から
(海からのドルマバフチェ・ジャーミー)

 このジャーミーの祈りの声ともまた、今日でしばしの別れになる。急速に現代化の進むイスタンブールの街で、こういう祈りの大音量をいつまで継続できるか。クマ蔵は、最初の頃の違和感にもかかわらず、やっぱりこういう「昔ながら」がなくなっていくのは寂しくてならない。せめて次回この街に来る時まで、どうしても続いていてほしいのである。
 この日最初に出かけたのが、関脇クラスで唯一残っていた「ヴァレンス水道橋」。ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が建設を開始。皇帝ヴァレンスの時代、378年に完成された。
遺跡
(ヴァレンス水道橋、ローマ時代の遺跡部分)

 補修に補修を重ねて利用は続き、東ローマ帝国崩壊後はオスマントルコもこれを利用。トプカプ宮殿そばの「地下宮殿」などの貯水池に水を運んだ。最後の補修は完成後1300年経過した1697年だが、今もなおこうして遺跡はピンピン生き残っている。いやはや、ローマって、ホントにスゴいんですね。
 2008年、初めてマドリードに旅行した時、最初に出かけた近郊の街が、セゴビア。ローマ帝国が築いた「セゴビア水道橋」で有名な街である。これを書きながら、ふと懐かしくなってセゴビア水道橋(Mac君の変換は「吸い同郷」でござるが)の写真を眺めてみた。「ヴァレンス水道橋は、セゴビアのものに勝るとも劣らない」と書こうとして、ふと躊躇してしまうほど、やはりセゴビアの橋は巨大だったのである。
セゴビアの水道橋
(スペイン、セゴビアの水道橋 2008)


1E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER④
2E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER①
3E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER②
4E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER③
5E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER④
total m30 y1300 d9195