Sun 120729 ヴォイテクとイマテク 城壁 チチェッキ・パサジ(イスタンブール紀行20) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 120729 ヴォイテクとイマテク 城壁 チチェッキ・パサジ(イスタンブール紀行20)

 今日は、忘れないうちに、どうしてもクマのヴォイテクのことを書いておかなければならない。諸君、今井君はテレビを見ながら久しぶりに号泣してしまった。NHKもなかなかいい番組やるじゃないか。「クマのヴォイテク」、知らないヒトは今すぐググってくれたまえ。
 番組のタイトルは「戦争にいったクマ」。第2次世界大戦中、あるポーランド部隊と長期にわたって行動をともにしたクマがいたというのである。番組は、部隊の生き残りの人たちの証言を中心に構成される。中でも、インタビューの途中で感極まって泣き出してしまうオジーチャンの笑顔がたまらない。
豆
(5月25日、今日食べた豆料理 チチェッキ・パサジで)

 部隊は戦争に翻弄されながら、ポーランド→イタリア→スコットランドと、ヨーロッパを時計回りに回っていく。ポーランド語の響きから言って、正確には「ヴォイテク」より「ヴォイツェク」なんじゃないかと思うが、みんなヴォイテクとルビをふっているんだから、やっぱりヴォイテクということにしておく。
 クマのヴォイテクは、部隊の人々に可愛がられるうちに、荷物運びを手伝ったり、トラックの助手席に座って移動したり、イタリアの海岸で人々に混じって泳いだり、ついには2等兵として地位を認められたり、数年にわたってまさに奇想天外な旅を続ける。モンテ・カッシーノの戦いでの活躍は特に有名のようである。
 部隊とともにスコットランドまで移動したところで、世界大戦は終戦となる。すると、2等兵ヴォイテクには行き場がなくなってしまう。最後にはエディンバラの動物園に預けられることになり、1963年、22歳で天国に旅立った。
店
(5月25日、夕食はチチェッキ・パサジで。ヒマそうだ)

 ま、ここから先はNHK on demandでどうぞ。有名な実話らしいので、クマの仲間のクセして今まで知らなかったことを、今井君は深く恥じるのと同時に、ヴォイテクが理解していたらしいというポーランド語を聞くためだけにでも、近い将来ポーランドを訪れたくなった。
 動物園に入ってからも、ポーランド語が聞こえてくると、その方向に顔を向けて嬉しそうに手を振ったのだという。うーん、きっとポーランド語は、ショパンの音楽みたいな美しい響きなのに違いない。
 ポーランドは2010年12月に旅する予定だったが、その直前の網膜剥離発症→緊急手術のせいで、やむなく中止にした経緯がある。では、2012年12月に行くか? それとも2013年4月? そのあたりのまだ予定がハッキリしていないが、ヴォイテクの後を追ってワルシャワやクラクフを訪ねるのも悪くない。
城壁
(イェディクレ テオドシウスの城壁)

 5月25日午後、イスタンブール滞在中の今井ヴォイテク(今日だけは今井君はヴォイテクのつもり。略して「イマテク」とする)の予定は、「テオドシウスの城壁」訪問である。
 1453年、オスマントルコのメフメット2世軍を数が月にわたって悩ませた城壁は、今でもその跡が市内各所に残っている。これから訪ねるのはそのうち南西側、マルマラ海に最も近い地点である。
電車
(トルコ国鉄 近郊電車)

 シルケジ駅からトルコ国鉄の近郊電車に乗って30分ほど。考えてみれば、この2週間のイスタンブール滞在でトルコ国鉄に乗車したのはこの時だけである。長距離の移動は、電車よりオトビュス(auto busのトルコ読み)のほうが一般的なので、トルコ国内を旅行して電車利用というのは、近郊の旅に限られるようである。
 電車は、異様なほどグラグラ揺れながら走っていく。進行方向左側がマルマラ海、右側はトプカプ宮殿やハギアソフィアの立ち並ぶ丘である。550年前、丘の側に東ローマ帝国が立てこもり、海にはトルコ海軍の軍艦がウヨウヨ浮かんでいた。
 イマテクが向かう城壁のあたりでは、こちら側が東ローマ、城壁の向こう側がトルコ陸軍。5月29日の東ローマ崩壊に向かって、トルコ軍の猛攻が続いていた。ということは、城壁の向こうからは、朝も夕も真夜中を過ぎても、ジェッディン・デデンだのエストラゴン城だの、激しいトルコ軍楽が鳴り響いていたのだ。
駅
(イェディクレ駅)

 シルケジを離れると、線路の両側は治安の余りよくなさそうな一角に変わっていく。3階建ての「トルコ式木造家屋」が立ち並んでいる。どれもすっかり古びていて、屋根が壊れていたり、壁の木材が剥がれかけていたり、とにかくあまり豊かな感じではない。
 イェディクレの駅で電車を降りる。寂れきった風景、何となく危険な空気、ま、駅前は「観光客の来るところじゃないぞ!!」という感覚。ディズニーシーでインディ・ジョーンズに叱られる、あれである。
住宅
(トルコ式木造住宅)

 店とはとても思えないが、おそらく店だからこそオジサンたちが集まってチャイなんか飲んでるんだろう、そういう店が2軒。そのオジサンたちが「こんな寂しい町に闖入してきた怪しい日本人」を、いかにも胡散臭そうにジロジロ眺めている。
 間の悪いことに、雨が降りだした。かなり強い雨であって、雨の中を進んでいく胡散臭い日本人を、そこいら中の犬たちも立ち止まって眺めている。何しろ「イマテク」だ。毛むくじゃらのデカイ顔、短い足、激しい呼吸。犬たちが目を付けるのも当たり前だ。
肉料理
(今日食べた肉料理  チチェッキ・パサジで)

 で、「テオドシウスの城壁」であるが、故事来歴を知らなければ、おそらく全く興味を催さないような「廃墟’」に過ぎない。ヨーロッパ世界をたくさん旅したヒトだったら、「こんなの、だいたいどんな町にもあるヤツじゃないか」と言い捨てるに違いない。
 見渡す限り、観光客は他に欧米人中高年の5人グループのみ。「入場料10リラ」とあって、係員も2名待ち受けているが、この強い雨の中、わざわざ10リラ払って入場する価値があるだろうか。要するに表六玉以外の何ものでもないじゃないか。
 実際、欧米人5名のグループもあっという間にキビスを返して駅に向かった。「ヤメとこう、ヤメとこう」であるね。イマテクも、思わず彼らの後に従った。何よりも、激しくなる一方の雨がスンバラシイ言い訳になってくれた。
エズメ
(今日食べたエズメ チチェッキ・パサジで)

 この日は結局そのまま雨が止まず、雨に濡れそぼったイマテクも、とっととネグラに帰ることにした。「雨でも傘は持ち歩かない」というのがイマテク主義。傘をさして外出するぐらいなら、いっそネグラで丸くなっているほうがずっと楽しいじゃないか。
 午後5時、イマテクはすっかりお腹が空いたので、エサをもらいにチチェッキ・パサジに立ち寄った。チチェッキ・パサジは、大好きなネヴィザーデ通りのすぐそばであるが、あんまり雨が激しくなったので、ネヴィザーデまで歩いていくのも困難だった。
ロゼワイン
(今日のロゼワイン)

 「パサジ」というと、何だか不思議な場所に入り込んだみたいであるが、トルコ語のPasajiは、要するに英語のPassageであって、「チチェッキ通り」であるに過ぎない。魚料理がウリのキレイめの店がズラリと並んで、ネヴィザーデよりも少しだけ高級感がある。
 しかし中途半端な高級感は、決して味や楽しさを保証するものではない。むしろイマテクとしてはもっともっと野卑な感じが好きなので、雨さえ降っていなかったら、どうしてもネヴィザーデのほうがよかったのである。
うどん
(ナンチャッテうどん)

 仕方ない。ここはここで我慢して、店を出た後に「ナンチャッテ和食屋」を試すことに決めた。幸い、店を出る頃には雨は少し弱くなって、ナンチャッテ和食屋を探すイマテクの気持ちも少しは弾んだのである。
 イスティクラール通りを登りつめて右折し、タクシム広場を横切った先に、目指すナンチャッテ和食屋はあった。注文したのは、うどんと温かい日本酒。雨で冷えたイマテクが心から求めたのが、この2つである。
 うにゃにゃ、「何だ、こりゃ?」「うへ!!」「は?」というのが、イマテクの感想。これまで、のべ約400日に及ぶヨーロッパの旅で経験した全てのナンチャッテ和食屋の中で、最も「何だ、こりゃ?」「うへ!!」に力の入ってしまう店だった。店の名前を明記しないのは、そのせい。批判する時には、出来る限り相手の名前を伏せるのが、このブログの方針である。

1E(Cd) AZERBAIJAN Traditional Music
2E(Cd) Ibn Baya:MUSICA ANDALUSI
3E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 1/3
4E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 2/3
5E(Cd) T.Beecham:BERLIOZ/LES TROYENS 3/3
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