Wed 120725 ピエール・ロティのチャイハーネ セマーくるくる(イスタンブール紀行16) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 120725 ピエール・ロティのチャイハーネ セマーくるくる(イスタンブール紀行16)

 5月23日の今井君は、午後3時にカドキョイからエミノミュの港に戻ってきた。セマーの舞台は19時からだから、4時間弱の空きがある。この時間を利用して「ピエール・ロティのチャイハーネ」を訪ねることにした。
 まず諸君、ピエール・ロティから説明しなければならない。ピエール・ロティは、19世紀後半から20世紀にかけて活躍したフランス人作家。海軍士官として世界を回り、その体験を自伝的に書き残した。作家というか、旅行家というか、ヒマ人というか、なかなか定義の難しい御仁である。
 彼の旅のやり方は、「その土地に溶け込んで、そこに住んでみる」というスタイル。2週間や3週間で帰ってくる今井君の旅のような、せかせか慌ただしい旅ではない。タヒチでも、イスタンブールでも、北アフリカでも、長期滞在して土地に溶け込む。旅行記は、自伝と私小説を合わせたようなものになる。
ピエールロチ
(ピエール・ロティのチャイハーネから金角湾を望む)

 日本にも2度来ている。鹿鳴館の舞踏会にも参加。踊る日本人について「異様につり上がった目、丸く平べったく小さい顔の人々」と酷評したことは有名。「テルマエ・ロマエ」の「平たい顔族」を、150年前に表現していたわけだ。じゃ、日本人なんか大キライなのかと思うと、意外や意外、長崎では日本人女性と同棲したりしている。
 その時の体験を「お菊さん」というタイトルの文章にしたためた。今井君はどこかのフランス語購読の授業でこれを読まされて、たいそうムカついた記憶がある。「日本人女性と同棲した」と言っても、たった1ヶ月足らずのこと。彼が35歳、同棲相手の「おかねさん」は、わずか18歳。それって「ちょっと遊んだ」ってヤツじゃないの? 「土地に溶け込んでそこに住む」という旅のやり方には、そういう要素も多分に紛れこんじゃうのである。
船の旅
(金角湾を船で遡る。ヴェネツィアのヴァポレットと同じように、両岸の船着き場をジグザグにたどっていく)

 しかも「お菊さん」冒頭の一節に「何と醜く卑しく、また何とグロテスクな」という日本人評が顔を出す。「やっぱりキミはボクらがキライだったんだね」であるが、「蝶々夫人」の原作者である弁護士作家ロングが、マダムバタフライの着想を得たのはロティ「お菊さん」からだ、という説も有力だ。
 だとすれば、たとえ日本人がキライだったにしても、プッチーニのアリア「ある晴れた日に」を通じて間接的に日本を世界に紹介してくれたヒト。やっぱり若干の感謝も捧げたほうがよさそうだ。
 長崎・唐人屋敷から東山手方向に坂道を登っていくと、細い道の左脇に「ピエール・ロティ寓居の地」という記念碑が建っている。クマどんは2012年3月、長崎で講演会が3つ連続したときに、ザボンをぶら下げながら長崎を歩き回って、彼の記念碑を発見したばかりである。
金角湾先端部
(チャイハーネから、金角湾の最奥部を望む)

 そのピエール・ロティがイスタンブールで入り浸ったカフェが、金角湾を見下ろす丘の上に残っている。ここはトルコだから、トルコ風に「ピエール・ロティのチャイハーネ」と呼ぶ。ヤギの角の形に深く切れ込んだ湾を船で遡って、湾の一番奥からロープウェイで5分ほど丘に上がったところである。
 夕方の風に吹かれつつ、テラスから金角湾の風景を見渡すのは、確かに爽快な経験である。夕暮れが近づくにつれて、湾は次第に金色に輝き始める。こういう風景と光を風の中で旅の記憶をたどっていれば、おかねさんの思い出もいつのまにか「醜く卑しくグロテスク」なものから、何ともホノボノ暖かい思い出に変質していったことだろう。
 ただし、チャイハーネもテラスも、いまや中国の人々の団体に占拠されて、とても落ち着いて美しい光景に浸ってなどいられない。ロープウェイもチャイハーネも中国語が渦巻き、ロープウェイ駅の下の広場には大型バスがズラリと並んで、お菊さんもおかねさんもタヒチ島の人々も、入り込む余地は残っていない。
時刻表
(エユップ→エミノミュの船の時刻表)

 今井君としては、チャイハーネの麓の裏町のほうが、むしろ印象深い。「エユップ」という町である。偶然道を間違えて、町の奥まで入り込んでしまった。船を降りたら、ホントはそのまま真っ直ぐ山に向かっていかなければならないのに、今井君は左の道に折れ、完全に地元の人しか見当たらないエユップの、夕方の雑踏の真っただ中にいた。
 美しい噴水の前のジャーミーで、まず葬列に出会った。ジャーミーの入り口が妙に物々しいと思ったら、親戚の男たち十数人に担がれた柩が姿を表した。さらに数十人の男たちが厳粛な表情で柩を取り囲み、柩は高く掲げられて進む。ジャーミーの脇が墓地になっていて、たくましい男たちは目を伏せたまま無言で柩を運び去った。
噴水
(迷い込んだエユップの町の噴水)

 葬列を見送ってまもなく、今度は新婚カップルと遭遇した。イスラムの結婚式風景を見るのは初めてであるが、こちらは欧米風とそれほど変わらない。新郎はタキシード、新婦のドレスも欧米スタイル。もっとも、花嫁を含め女性たちがみんなしっかり髪を隠していることと、親戚の男性たちが例外なく精悍であるあたりには、やはりトルコ的厳粛を感じる。
結婚式風景
(結婚式風景)

 今井君はさらに道に迷って、ちょっと危険な匂いを感じるほど町の奥まで入り込んでしまったが、何とか帰りの船には間に合った。今度は金角湾を外海に向かって降りていく。エミノミュまで35分の航海であるが、「航海」と言っても限りなく大河の河口のイメージに近い。
バスターミナル
(エミノミュ付近にズラリと並んだバス。写真では伝えられない大迫力だった)

 セマーは、シルケジ駅から暗い裏町に入った「ホジャパシャ文化センター」で、19時30分から。ガイドブックによれば、セマーとは、神秘主義・メヴレビー教団の祈りの儀式。日本語では「旋舞」と呼ぶ。
舞台1
(ホジャパシャ、セマー開始直前)

 白く長い衣装の信者たち5~6人が、中央の丸い舞台に登場。まず全員が片隅に固まって祈りを捧げた後、かすれた笛の音楽にあわせ、舞台を静かに回りながら互いに何度も挨拶を交わす。
 一通りの挨拶が済むと、いよいよクライマックスである。一人がクルクル回転を始めると、回転はすぐに6人全員に伝播して、そこから回転は延々と繰り返される。衣装は長いスカートふうのデザインだから、6人の回転の連続とともに会場には爽やかな風が吹き起こる。
舞台2
(セマーは、ここをクルクル回る)

 シロートでも何となく分かるのだが、回転こそが祈りの手段であり、究極の目標なのである。おそらく回転は宇宙の運行を表し、回転によって神または宇宙との一体化を目指すのだ。回転はワンセット5~6分。それが6セット繰り返される。
 信者もさまざま。すっかり達人の域に達した余裕の人、深く完全に酩酊した表情の人、大量の脂汗を流して苦悶の表情を浮かべている、おそらくまだ若すぎる信者。「写真撮影厳禁」だったので、ここには焼き物のセマー人形を掲載しておく。イスティクラール通りの骨董屋で見つけた
セマー
(イスティクラール通りで見つけたセマー君)

 セマーの様子は、諸君もYouTubeで是非とも見てくれたまえ。「セマー」を検索すれば出てくるいくつかの動画のうち、「ブルサのセマー」とあるものが、今井君がこの夜経験したセマーの雰囲気に近い。
 余程の修業を積まない限り、これだけ回転を連続させることは不可能だろう。200人ほど収容の会場は、ほぼ欧米人の観客で満員だったが、どの顔も呆気にとられ、終演後にもお互いの囁きさえ起こらなかった。
チケット
(セマーのチケット)

 いつになく厳粛な気持ちになってホジャパシャを後にした今井君は、ちょっとションボリしながら「これは、意地でも、どうしてもヒツジの肉をワッシワシしに行こう」と握りコブシを握りしめた。セマーに打ちのめされた心も気持ちも、ヒツジさんをワッシワシしさえすれば、すぐにまた蘇るだろう。
再びケバブ
(またまたヒツジをワッシワシ)

 3日も連続して同じ店の同じ屋台に座れば、もうすっかりお馴染みさんである。もちろんビアはないが、夜になればコカコーラで十分に我慢できる。「ヒツジ3人前、エズメ2人前」も昨日と完全に同じ。焼けた鉄串から豪快にヒツジを引き抜くムサボリ方も変わらない。
 同じことを延々と繰り返し、繰り返しが無限となって、神と宇宙の領域に接近する。ヒツジのお肉ワッシワシだって、恐れず継続し連続していけば、やがてセマーのクルクル回転に負けないほどの修業にも修行にもなるはずだ。
エズメ
(お腹の中は、今夜もエズメの唐辛子でホッカホカ)

 うにゃにゃ、受験勉強だって同じこと。昨日も今日も明日も明後日も、毎日同じような勉強の繰り返しでウンザリすると、ついつい弱気の虫が目を覚ます。「こんなことやってていいんだろうか」「全然進歩してないような気がする」。諸君、その疑いこそ、最も危険な疑念なのだ。「前進していない」「進歩していない」「このまま続けても意味がない」、そういう疑いに苛まれる時にこそ、深い深い、最も深い本質に急速に接近しているのである。
 だから諸君、どんなことでも、迷ってばかりいるんじゃ駄目なのじゃ。回転でも、ヒツジでも、勉強でも、営業努力でも、迷ってないでどんどん行きましょう、どんどん。そういうことである。
ラスト
(今井君の3人前で、ヒツジは完全に売り切れになった)


1E(Cd) Weather Report:HEAVY WEATHER
2E(Cd) Sonny Clark:COOL STRUTTIN’
3E(Cd) Kenny Dorham:QUIET KENNY
4E(Cd) Shelly Manne & His Friends:MY FAIR LADY
5E(Cd) Sarah Vaughan:SARAH VAUGHAN
total m127 y1240 d9135