Sun 120701 金角湾 サバ臭い ニャニャンゴ中尉 メイハーネ(イスタンブール紀行6) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 120701 金角湾 サバ臭い ニャニャンゴ中尉 メイハーネ(イスタンブール紀行6)

 5月19日、ガラタの塔の下のカフェでエフェス・ビアを1杯グビグビやってしまうと、ちょっと萎えていたクマ蔵どんの闘争心は、ホーレン草の缶詰をグビグビやったポパイみたいに、急激にムクムクと盛り上がってきた。
 土曜日でもあり、国民の祝日でもあって、イスタンブール中心街はマトモに歩けないほどの混雑。その驚嘆すべき大雑踏をかき分けかき分け、黙々とガラタ橋のほうに降りていった。
オレンジ
(生オレンジジュースをしぼる屋台)

 オレンジをその場でしぼる生ジュース屋。いくらでも並んでいるドネルケバブ屋。ガラタの塔の下に集中している楽器店。その他雑多な店々を覗きながら坂道を降りていくと、まもなく金角湾にかかるガラタ橋に出た。
 写真では川の河口のように見えるけれども、これはマルマラ海が大きく陸に切れ込んだ湾である。1453年、コンスタンティープルを死守しようとする東ローマ帝国は、湾の入り口を太い鉄の鎖で封鎖。万が一トルコ軍艦が湾内に侵入すれば、海側と陸側からの挟撃にあって、東ローマ側に勝ち目はなくなる。
ケバブ
(ケバブの屋台。縦に立っているのがヒツジさんのお肉)

 湾口の封鎖で海軍力を封じ込められ、攻めあぐんだオスマントルコ・メフメット2世は、ボスフォラス海峡側から「軍艦の山越え」を試みる。一夜明けてキリスト教サイドが気づいた時、すでに山を越えて金角湾に浮かんだ数知れぬトルコ軍艦の姿に、唖然&呆然とすることになる。
 諸君、古代ローマから連綿と続いてきた東ローマ帝国1100年の終焉の舞台が、この金角湾である。いやはや、今井君もはるばるたいへんな場所までやってきたものだ。
 前面の海にはトルコ軍艦の群れ。背面では鉄壁の城壁が街を死守し続けるが、延々と続いたトルコの砲撃の末、ついに城壁の一部に大きな亀裂が入る。
イェニジャーミー
(ガラタ橋からすぐそば、イェニ・ジャーミー)

 しかもオスマントルコ陸軍には、もう1つの武器がある。音楽による精神への打撃である。有名な「ジェッディン・デデン」や「エストラゴン城」をYouTubeで聞いてみたまえ。この生臭い大音量の軍楽を、朝も昼も晩も、いわゆる「昼夜を分たず」間近で聞かされる。
 「明日こそは皆殺しにしてくれる」「街は血の海、鉄の匂いに満たされる」「金角湾はおろか、マルマラ海も赤く染まる」。世にも残酷な笑顔を浮かべながら、激しい音楽の響きとともに、雲霞のようなオスマン兵は決して攻撃の手を休めない。
 街の陥落は1453年5月29日。今井君がガラタ橋をわたってみたのが、5月19日。560年前の今日、コンスタンティノープルは陥落10日前である。砲弾がとびかい、うめき声と絶望の嘆きを熱いトルコ軍楽がかき消し、いよいよ古代の完全な終焉が迫っていた。
釣り人
(ガラタ橋の釣り人たち)

 もっとも、そういうことを一切忘れてしまえば、5月19日のガラタ橋にはマコトに暢気な光景が広がっている。橋の上には数えきれないほどの釣り人。釣れるのは、小型のアンチョビばかりのようだ。
 みんな、大きなヨーグルトの空き容器に、釣れたばかりのアンチョビを20匹も30匹も入れて、飽きずに釣り糸を垂れている。釣り人がいれば、釣りエサを売る屋台も出る。チャイを盆に載せて売り歩く男、ミネラルウォーターを売る少年。橋の雑踏の下の海を、次から次へと船が通っていく。
 船の混雑ぶりは、「ぶつかりはしないか」と見ているほうが心配になるほどだ。大型の連絡船が湾のあちら側からこちら側に渡ろうとするまさにその鼻先を、小型の船が2艘も3艘もちょこまか横切っていく。
お船
(金角湾を横切るトゥルヨル社の連絡船)

 人間の混雑ぶりも、ガラタ橋を向こうに渡ったあたりから一層ひどくなる。船着き場にはサバのサンドイッチを売るド派手な船が3艘並んでいる。船そのものが店舗&厨房で、大繁盛の様子。あたりは何ともサバくさい。
 世の中に「サカナくさい」という言葉はあっても、「サバくさい」とは余り言いそうにない。しかし諸君、ガラタ橋の旧市街側(エミノミュ)は、誰が何といおうとサバくさいのだ。異様に酸っぱいニオイがサバくさい空気に混じるのは、サバサンドの付け合わせとしてキュウリの酢漬けを売っているせいである。
サバ
(サバのサンドイッチを売るお船)

 サバくささと酸っぱい空気を逃れて地下道に入ると、蒸し暑いこの地下道がちょっとしたバザールになっている。諸君、この地下道が言語道断な大混雑である。混雑は混乱へ、混乱は混沌へ。しかしトルコの人々は、平気な顔でこの混沌を楽しんでいる。
 しかし今井君は「こりゃ、もうダメだ」である。「人に酔う」ということがあるが、朝の山手線並みの人口密度で、しかもその密度の人々が、一人一人マコトに勝手な行動をとる。突然左右に曲がる者、予告なく立ち止まる者、走る者、泣き出すコドモ、左右に大きく揺れながら歩むとっても大きなオバサマ。トルコ、恐るべしである。
地下街
(混沌の地下街)

 滅多に酒に酔わないクマ蔵も、薄暗い地下道のバザールで完全に人に酔ってしまった。これ以上先へ進むのは困難と判断、トラムに乗ってタクシムに引き返すことにした。タクシムから地下鉄を乗り継いでオスマンベイの駅まで行き、軍事博物館を訪ねようと考えたのである。
 クマ蔵どんは美術館ギライ&博物館ギライだから、トルコに来てもやっぱり博物館はキライ。だから「博物館の展示を見て勉強しよう」という殊勝な気になったわけでは毛頭ない。ここで毎日催されるはずのコンサートを聴こうと考えただけである。
地下鉄
(地下鉄、タクシム→オスマンベイ方面行き)

 コンサートは、軍隊音楽のライブ。オスマン時代の衣装に身を包んだ男たちが、ジェッディン・デデンをはじめとする軍楽を、1時間ほど間近で生演奏するのである。たったいま金角湾上に立って、勇猛果敢なオスマン軍の幻を見たばかりだ。現実のオスマン軍の姿を見て、現実のオスマン軍楽を聞きたいじゃないか。
 もちろん、トルコ軍はとっくの昔に盛りを過ぎている。コンサートで経験できるのはニセモノの現実、言わば「現実’」、現実の幻、その類いの概念矛盾が凝り固まったものに過ぎないが、ま、あんまり難しいことを言わなくてもいいじゃないか。
デモ
(イスティクラール通りのデモ隊は、午後、さらに数が増えた)

 ところが諸君、やっと軍事博物館にたどり着いてみると「本日はコンサートを行いません」。あらら、あらら&あらら。残念無念でござるよ。仕方がないから、館内の展示物を見て回ることにした。
 東ローマ帝国が金角湾を封鎖した時の、ホンモノの鉄鎖が展示されている。コンスタンティノープルの城壁に猛攻を仕掛けるトルコ軍の様子を示した展示もある。ハリウッド映画では、虫けらのように屠られていくのはいつでもイスラム側であるが、トルコの博物館ではまさに正反対。虫けら同様に殺戮されるのは、ヨーロッパ人の側である。
 展示された大砲の筒の中にしきりに侵入を試みているネコどんと遭遇したのは、この時であった。足音を忍ばせ、頭を低く下げ、身体を伏せて、獲物でも狙うかのように大砲に接近を試みる。オスマン兵並みに勇猛果敢な彼または彼女の名を、仮に「ニャニャンゴ中尉」と名づけよう。
にゃにゃんご
(ニャニャンゴ中尉、拡大図)

 諸君、ニャニャンゴ中尉の鋭い視線を見てみたまえ。油断のない視線の配り、短い足を勇ましく踏ん張り、今まさにこの大砲を奪取せんとする果敢な手つき。クマ蔵のこの日一番の収穫は、間違いなくニャニャンゴ中尉との出会いであった。
 さて、この日の締めくくりの時間帯がやってきた。コンサートは後日にお預けにして空しくオスマンベイを去り、タクシムの雑踏を横切り、まだデモ隊が占拠しているイスティクラール通りを避け、何だか治安の悪そうな裏通りを突っ切って、ネヴィザーデ通りに入る。居酒屋=メイハーネが密集した地区である。
エズメサラダ
(メイハーネ、エズメサラダの光景)

 これだけ密集していれば、店を選ぶ必要なんかない。最初に声をかけメニューを差し出してくれた店に、ためらいなく入ってしまうのが一番気楽である。涼しい風の通る外のテーブルを選んで、ビア、エズメサラダ、シシュケバブ、エビのツマミを注文すれば、1時間でも2時間でも好きなだけ楽しめる。
 エズメサラダは、唐辛子とタマネギをつぶしてペースト状にしたもの。イスタンブールのどの店でも確実に出てくる定番料理だが、店によって微妙に味や食感が違うのがまた楽しい。エズメ君さえあれば、パンはいくらでも食べられる。
 この凶悪な真っ赤な食べ物がすっかり気に入ってしまったクマ蔵どんは、結局この後12日間、毎日欠かさずエズメ君をタップリ腹に詰め込んだ。きっとお腹の中までヒリヒリに辛くなったことだろう。

1E(Cd) Walton, Marriner:RICHARD Ⅲ
2E(Cd) Tomomi Nishimoto:TCHAIKOVSKY/THE NUTCRACKER(1)
3E(Cd) Tomomi Nishimoto:TCHAIKOVSKY/THE NUTCRACKER(1)
4E(Cd) Pešek & Czech:SCRIABIN/LE POÈME DE L’EXTASE + PIANO CONCERTO
5E(Cd) Ashkenazy(p) Maazel & London:SCRIABIN/PROMETHEUS + PIANO CONCERTO
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