Thu 120614 冒険をパック旅行にすりかえてしまう愚劣(イスタンブール紀行 序章3) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 120614 冒険をパック旅行にすりかえてしまう愚劣(イスタンブール紀行 序章3)

 「その答えは、明日の記事で明らかになる」とか、その種のコトバで記事を締めくくっておいて、翌日まったく別のことを書けば、読者の中には怒り心頭に発するというヒトもいる。
 ましてや「序章」などというメンドクサイものまで書いて、イスタンブール紀行は全然前進する気配がない。イスタンブール紀行のクセに、何で10年前の予備校の「全てを網羅」という流行の話を書くのか。何で「歴史秘話 ヒストリア」なのか、何で電通の新人研修の話なのか。気の短いヒトはとっくにムカつき始めているに違いない。
ハギア・ソフィア1
(コンスタンティノープル ハギア・ソフィアで 1)

 しかし諸君、そんなにカンタンにムカついていたんじゃ、大学の難しい授業にはついていけませんぞ。塾や予備校なら、すぐに講師が黒板に分かりやすく解答を板書してくれる。問題をパターン化して、パターンごとに解答のプロセスを教えてくれる。しかし大学というところは、そんなに単純に解答やパターンに直行してくれないらしい。
 というか、むしろ「ボクらは予備校講師とは違う」「問題のパターン化とか、安易な解答解説とか、そういうことをしないのがボクらのアイデンティティだ」と信じ、「予備校なんかで高い評価を受けてきた学生は、頭がパターン化していて困る」と肩をすくめて嘆いてみせるのが、大学の教官のお気に入りのようなのだ。
ハギア・ソフィア2
(コンスタンティノープル ハギア・ソフィアで 2)

 困ったことに、大学の授業にも学生によるアンケートが導入されるようになった。学部生はもちろん好き放題を書きまくる。東大とか京大とかだと「まあ、何とか勝ち抜いた」というプライドと安堵感に支配された18歳や19歳が書くんだから、好き放題にも念が入って「最低の授業だ」「最低最悪だ」の悪口雑言が乱舞する。
 教官たちは、上の立場の者から痛罵されることにはすっかり免疫が出来ていても、下の者からの非難や誹謗に慣れていない。だから、あまりのことにビックリして、呆然と立ち尽くす。中でも「予備校講師のほうがずっと優れていた」というアンケート回答には、怒りで両手がワナワナ震えだすほどである。
ハギア・ソフィア3
(イスタンブール ハギアソフィアで)

 彼らはその優れた知性と思考能力を自在に働かせて、自分が高く評価されない理由、予備校講師の授業のほうを学生のほとんどが高く評価する理由を探し出す。というより、メイキングする。正確にはMaking upする。
 中には、存在しない「学生の意見」を自らメイキングして、こっそりブログ記事をでっち上げるヒトも現れる。例えば
「ボクの手許に、学部生の書いたこんな回答がある。『教師は問題をパターン化して、その解法を板書して教えてくれるべきだ』というのだ」
などという、マコトに寂しいメイキングである。
カリグラフィーアート
(カリグラフィーアートに圧倒される。マクロにもミクロにも、すべてアラビア文字で構成されている)

「予備校で育った受験秀才は、問題の解法をパターン化して解く能力だけを刷り込まれて、東大に合格してくる。しかし大学ではそうはいかない。『答えのない問題にどう対処するか』、その能力が問われるのが大学であって、受験秀才はきっと大学入学当初たいへんな苦労を味わうだろう」
こういう論旨で、さらにメイキングは続いていく。
 この種の発言は、言わば脅しのようなものであるが、学部生に直接浴びせかける勇気がなければ、ブログやツイッターでコッソリ、
「こんなバカな学生がいた」
「どうせ苦労することになる」
「ま、今に分かるさ」
と呟いて、仲間内でカタキをとった気になるわけだ。仲間がいなければ、TAとか院生とか、自分の権威に抵抗できない諸君に「そうですね」と頷かせて、それで悦に入ってもいい。
地下宮殿
(イスタンブール 地下宮殿)

 しかし諸君、クマ蔵はもう20年も受験産業でトグロを巻いてきた。大ベテランだからハッキリ断言できるのだが、こういうメイキングは、メイキングとしてすら余りにも低レベル。「これはメイキングです!!」と、自白ないし自爆しているようなものである。
 受験産業が学生を指導する時、「パターン化してほしい」などという発言を絶対にしない学生を育てることを、まず第一に考える。パターン化することを軽蔑し、解答を一方的に押し付けられることを侮蔑し、「考えることこそ大事」「無批判に記憶することや鵜呑みにすることは最悪」、そう発言する学生を懸命に育て上げる。
 逆に言えば「一方的に解答を押し付けてほしい」「パターン化してほしい」という本音を漏らすことは絶対にしない学生、意地でもしない学生を、受験産業はほとんど命をかけて作り出すのである。そういう指導のエリート中のエリートである東大生が、大学の教官あてのアンケートで「押し付けてほしい」「パターン化してほしい」と書くはずがないのだ。
トルコ国鉄
(トルコ国鉄 近郊電車)

 ところが、マスメディアの中の世論は、何よりもまず受験産業がキライ。大学教官が好きなわけではないが、「予備校や塾を批判すれば確実に世間ウケする」と、今もなお信じて疑わない。
 そこで新聞社の中間管理職が、入社3年目か4年目の準新人記者を指名し、「受験秀才の落とし穴」みたいなタイトルで、夕刊の特集か日曜日の教育欄あたりの1面をまるまる任せてみる。
 すると、準新人記者としては「とにかく受験産業を批判しよう」という熱意に燃えているから、取材は一方的になって、インタビューされるのは「最近の学部生は困ったもんです」と嘆く教官だけ。クマ蔵みたいな予備校講師の言い分は全く無視される。これもある意味のパターン化である。
マルマラ海とモスク群
(マルマラ海の向こうに、ブルーモスクとハギアソフィアを望む)

 まあ、そういう事情や紆余曲折は致し方ないことであって、そもそもの問題の始まりは大学が「授業アンケート」なんかを始めたことである。そんなことをするから、若手の教官は学部生の反応に一喜一憂して、講義に集中できなくなる。
 しかし、学生の反応を気遣ってビクビクしている大学教官なんか、どうせ大したことはない。学生が何をどう言おうと堂々と我が道を突き進む教官だからこそ、学生はその魅力に大挙してついていくのだ。
 言わば「ハーメルンの笛吹き男」であるが、今井君の考えでは、大学とはハーメルンの笛吹き男たちがおおぜい徒党を組んだものである。学部生たちが、「ボクらはいったいどこへ行くの?」「分かんないけど、どこへ行くのか分かんないからこそ面白いんじゃないの?」「そうだね」「そうだね」と、笛吹き男の魅力に耐えきれずに、ゾロゾロついていく。そのアリサマを想像するだけで、ヨダレが出るほど嬉しくなる。
とうもろこし屋台
(イスタンブール名物 トウモロコシ屋台)

 行きつく先があらかじめ分かっている旅をパック旅行と呼び、どこに行きつくのか分からない旅を冒険と呼ぶ。大学の魅力は、危険な知的冒険に誘う教官と、楽しそうだというだけで「どこに連れて行かれるのか」の恐怖を振り払ってついていく学部生たちの姿にある。
 そこへ大学当局がアンケートなんか持ちこんで、せっかくの冒険をパック旅行に変えてしまう。マスメディアも、メディアが誘導する世論も、冒険よりパック旅行を後押しする。冒険よりパック旅行が好きなら仕方がないが、こうして大学の魅力は年々薄れていくことになる。
トルコ陸軍
(オスマントルコ陸軍の「ジェッディンデデン」を聞く)

 今井君は、結論がなかなか出ないとムカついてしまう若者が大好き。結論が出なくても、そのもどかしさを楽しめる中年も大好き。若者が手っ取り早い結論を求めてムカついているのは、いかにも若者らしいじゃないか。中年が「最近の若者は性急すぎて忍耐ということを知らない」と嘆くのも、いかにも中年らしいじゃないか。
 この両者が対立するのが大学、特に学部という場所である。もともと学校とは、生徒という異種の生物を自分たちに同化させようとオトナたちが押し付けるシステムであって、ムカつきや嘆きがそこから発生するのは当然のこと。今さら新しく始まったことではなくて、5000年にわたる学校の歴史の中で、この対立はほぼ普遍のものである。
水道橋
(ローマ時代の大水道橋。セゴビアの水道橋に勝るとも劣らない)

 ただ、1年で結果を出し決着をつけなければならない予備校ならともかく、大学ともあろうものが知的冒険をパック旅行にすりかえるのは、すでに欺瞞と言っていい。クマ蔵は、パック旅行や団体ツアーを拒絶する。いったんターゲットをしぼったら、どこまでもそこに深く入り込む。冒険の妙味はそこに尽きるのである。
 以上、話がそれているようで実はそれていないのが今井君。「あれれ、イスタンブールは?」「あれれ、昨日までの序章の続きは?」であるが、ツアーを拒絶し、ターゲットをしぼった冒険を求める話として、チャンとストーリーは続いていたのだった。

1E(Cd) Kirk Whalum:CACHÉ
2E(Cd) Kirk Whalum:COLORS
3E(Cd) Kirk Whalum:FOR YOU
4E(Cd) Kirk Whalum:HYMNS IN THE GARDEN
5E(Cd) Kirk Whalum:UNCONDITIONAL
total m89 y1038 d8933