Mon 120416 浪人文化の衰退を憂える 今井が地球を歩き回るようになった顛末 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 120416 浪人文化の衰退を憂える 今井が地球を歩き回るようになった顛末

 ほんの20年30年前まであんなに花やかだった予備校文化も、話を「浪人生」に限れば、2012年現在、もはや見る影もない。1970年代、予備校在籍者は約25万人。2011年、予備校在籍の浪人生は約2万4千人(文科省「学校基本調査」)。予備校にいる浪人生の数は、10分の1に減ってしまった。

 かつて3大予備校と称された予備校の大規模校舎は、概算で全国に60校舎。2万4千を60で単純に割ると、あの総合病院みたいな巨大校舎に1校舎あたり400人しかいないことになる。それを文系理系、国立私立など仮に8クラスにクラス分けすると、諸君、1クラスたった50人しかいないのである。

 梶木教授(昨日の記事参照)や伊藤和夫先生が教壇に立っていらっしゃった時代、大予備校の教室は300人とか400人の受講生で超満員、立ち見の生徒は廊下にまで溢れ出すのが普通。大学教授が本職のヒトビトも、予備校の熱気を愛して続々と予備校で教鞭をとられた。

 駿台なら、物理の坂間勇師。もちろん英語の奥井潔師。大学の授業では感じることのできない熱気を、あの教壇で一度でも味わってしまったら「予備校で教えるほうがずっとヤリガイがある」と実感する。教師が予備校中毒になってしまうほど、予備校は魅力的だったのだ。

 今なら、どうだろう。大学教授が「うらやましいな」「大学より、こっちを本職にしたいな」と感じるような熱気が、浪人生の教室に残っているだろうか。
クマと1
(クマ蔵とともに 1)

 2011年の18歳人口は120万人。予備校で浪人している人の数2万4千。かつては1年浪人することを「一浪→ひとなみ」と呼んで、標準的&平均的人間の証拠と苦笑したものだが、今やひとなみなどという状況ではない。1/60の稀少価値になりつつある。稀少価値どころか、絶滅危惧種と思っていいぐらいの数字だ。

 文科省『学校基本調査・高等教育機関編』によれば、大学入学者のうち浪人経験者は8万人。つまり、浪人しても予備校に通わず、宅浪など非予備校経由で大学合格を果たした者が5万6千人も存在することになる。

 現役合格できなかった時、「予備校には行かず、自分でやる」と決意する受験生のほうが多数派なのだ。浪人しても予備校に通わない人が、予備校に通う生徒の2倍もいるということである。今井君なんかはビックリしてひっくり返るが、浪人すること自体が少数派、その少数派の中で予備校に通うのはさらに少数派。少数派の2乗なのである。
クマと2
(クマ蔵とともに 2)

 今井君は、寂しいな。強い夢や憧れがあれば、1年や2年浪人する勇気があってしかるべきだと思うのだが、21世紀日本の若い世代には、その勇気や粘りがないのだろうか。そりゃ、現役で合格するに越したことはないが、あの熱気を体験しないでオトナになるのは、大きな損失なんじゃないかね。ま、現役のうちに、どんどん体験したまえ。どうせなら、今井先生がいいね♡

 むかしむかしそのむかし、まだ今井君が18歳だった太古の昔、駿台の世界史に大岡俊明という先生がいた。読者諸君のパパが知ってるかもしれないから、聞いてみるといい。「お、世界史の大岡か」と膝を乗り出してくれば、久しぶりに親子の対話が期待できる。

 ほとんど板書せず、速射砲のように語りまくる世界史講義は、絶品。ちょっと情報量が多すぎて生徒としては処理できないほどだが、当時の東大生に「今まで最も印象深かった先生は?」と尋ねれば、高校の先生でも東大教授でもなく、「駿台の大岡」と答える学生が少なくなかった。
カンガルー
(カンガルー)

 彼の最終講義もまた強烈なものだった。昔の予備校の最終講義は2月下旬から3月初旬。「明日は東大入試」という日が駿台の最終講義だったりした。今井君の年には、最終講義の日に大雪が降って、それでもみんなサボらずに御茶ノ水に集まった。

「大雪の中を出かけて風邪でも引いたら何にもならない」などというチンケなことは誰も言わない。「だって、鈴木長十と大岡と奥井の最終講義だぜ」「それを聴かずに東大なんか入ったって、意味がない」というほど、彼らの講義の魅力は強烈だった。

 大岡師の最終講義は、もちろん最後まで速射砲。「いつか遠い将来、あんなふうに歴史が語れたらな」と考えるだけで涙があふれそうになる。講義の最後の最後に、大岡師は一瞬語りやめて、ちょっとためらうようなニコヤカな表情で300人の生徒たちを見渡した。

「大学に入学したら、やってほしいことがあります」というのである。珍しく穏やかな口調が、むしろ生徒たちをハッとさせる。「大学に入ったら」の部分は「東大に入ったら」だったようにも思うが、その部分だけよく記憶していない。

 当時の駿台の校舎は、御茶ノ水と京都のみ。京都は、二条城のそばに今も残る古式ゆかしい校舎。東京の午前部文科1類は1000人ほぼ全員が東大志望で、「現役の時、早稲田も慶応も合格したけど、早慶を蹴って駿台にきた」という生徒が大半だった。「蹴る」というイヤらしい言葉を、平気でつかったものである。
いたずらはやめてください
(イタズラは、やめてください)

 だからおそらく大岡師も「東大に入ったら」と語り始めたのだと思う。その後ヒト呼吸置いて、「歩いてください」「とにかく歩いてください」「歩くことは思考することです」と続いた。何でその程度のことで泣いちゃうのか分からないが、感極まって泣き出す学生さえいた。

 そこで今井君は、あれからたくさん歩くことになった。18歳の時から歩き始めたのだから、もう数百年歩き続けて、気がついたらヨーロッパ150都市を歩き回っていた。今年から来年にかけてはトルコにモロッコにアルゼンチンが予定に入り、これからももっともっと歩き回ろうと思っている。

 若い諸君。むろんマジメに全力で現役合格を目指したまえ。現役で大学に合格して、一刻も早くその先の夢の実現に向かって、たゆまず努力を続ける。それが人生の正しい歩き方である。

 しかし浪人して憧れの大学を目指すのもまた、正しい地球の歩き方だと今井君は確信するのである。現在浪人中の諸君、5月中旬になってもまだやる気を失っていないなら、あるいは大好きな先生が見つかって夢中で講義に出ているのだったら、キミの選択は正しかったのだ。おそらくキミは今井君みたいに、中年になっても予備校講師の言葉を座右の銘に掲げて、世界を歩き回っていることになると思う。
ねこはきいている1
(ネコは、聞いている 1)

 某ゼミナールの京都校は、半分ホテルになっちゃった。「生徒が減ったらホテルにするらしいよ」という都市伝説は大昔からあったが、ホントにホントにホントになっちゃった。某校舎では、とうとう東大クラスが閉鎖になっちゃったらしい。今井君のなつかしい古巣だから、やっぱり心配でならない。

 幸い、クマ蔵の働く東進だけは、日本の全予備校の中で珍しく「業績好調」である。会社四季報や日経新聞が客観的に認めてくれているのだから、業績好調は間違いない。東大合格者だって100人も増えちゃった。しかし今井君はそれでもなお、浪人生が減った日本、予備校が総じて斜陽産業になってしまった日本の将来が心配だ。
ねこはきいている2
(ネコは、聞いている 2)

 若い時代の1年や2年を受験勉強に費やそうとするのは、大いにカッコいいことなのだ。「受験勉強なんか、社会に出たら何の役にも立たない」という陳腐な考えを、諸君、もういい加減に捨てようじゃないか。「紙切れ1枚に身を託す」みたいなツマラン発想は、20世紀の遺物でござるよ。

 受験勉強ほど楽しいものは、そんなにたくさん考えられない。浪人して、自分をピンチに追い込んで、不安な1年を過ごす経験も将来大いに役立つはずだ。今井にとっての大岡や鈴木長十や奥井(敬称略)みたいな大好きな先生に出会えれば、平凡な人生が大転換する可能性だって、なきにしもあらずでござる。

 アテネやリスボンやダブリンで、近い将来イスタンブールやカサブランカやブエノスアイレスで、「歩き続けてよかったな」と実感する日々。18歳の1年を予備校で過ごして、その後の今井君の数百年はリアルに楽しくなった。諸君、安定なんてのは、つまらんのだよ。

1E(Cd) Kempe & Münchener:BEETHOVEN/SYNPHONIE Nr.6
2E(Cd) Karajan & Wiener:BEETHOVEN/MISSA SOLEMNIS 1/2
3E(Cd) Karajan & Wiener:BEETHOVEN/MISSA SOLEMNIS 2/2
4E(Cd) Furtwängler & Vienna:BEETHOVEN/SYMPHONY No.7
5E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du Pré:BEETHOVEN/PIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 1/9
total m87 y585 d8480