Sun 120212 ヒロシ君とツトム君 横浜・港南台で講演会 ついつい美声を披露する | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 120212 ヒロシ君とツトム君 横浜・港南台で講演会 ついつい美声を披露する

 3月14日朝、宿泊先の神戸ANAクラウンプラザホテルで何気なく新聞をめくっていると、懐かしい名前が目にとまった。筑摩書房の広告で、刊行中の「ヴァレリー集成」第5巻である。
「おやおや、今井がポール・ヴァレリーについて語りだしたぞ」
「メンドくせ。オレが読みたいのは予備校講師の身辺雑記だけだ」
「もっとボクら受験生にエールを送って元気づけてほしい」
「がんばれよの一言ぐらい、かけてほしい」
という諸君。安心したまえ。ヴァレリーについて語るようでいて、実は今井君はチャンと予備校講師の身辺雑記を書こうとしているのだ。
 神戸のホテルで今井君の目にとまった「懐かしい名前」とは、駿台時代の同僚の名前である。ヴァレリー集成の編訳者:今井勉教授と、クマ蔵こと今井宏君は、1997年春、全く時を同じくして駿台を去った。彼はボクを覚えていないだろうが、ボクは彼をチャンと記憶している。
ヴァレリー
(太古の昔、クマ蔵もヴァレリーに親しんだ)

 今井教授のホームページを拝見すると、新潟県高田高校→京都大学文学部→東京大学修士課程→パリ高等師範学校→東京大学博士課程修了。おお、文学部系の超エリートコースを着実に歩んでいらっしゃる。立派な研究業績も山積みだ。
 彼にとって駿台講師は、単に生活を成り立たせるためのアルバイト。97年に駿台を去ると、すぐに東北大学文学部講師。翌1998年には文部省在外研究員としてパリ第12大学へ。2000年東北大学助教授、2007年准教授、2011年に教授に就任。何と着実で堂々とした歩みであろうか。
 駿台では、火曜日の大宮校で出会うだけだった。駿台大宮西校舎は、今では「東京IT会計法律」という長たらしい名前の専門学校になってしまったが、当時はまだ予備校バブル真っただ中。真新しい新築校舎で、世界史の須藤良/英語の真山に山口紹に薬袋(全て敬称略)など、あのころの錚々たるメンバーが集まった。
 そんな中で英語の今井宏クンと現代文の今井勉師は、若手の有望株。ヒロシとツトムだから、「山口さんちのツトム君」「そんなヒロシにダマされて」であって、まさに昭和生まれの代表格みたいな2人の今井は、講師室でも大いに目立つ存在だった。
港南台1
(横浜・港南台での講演会 1)

 ヒロシ君は、伸ばしはじめた黒いヒゲと、いかにも「売り出し中」っぽい雰囲気が特徴。「予備校講師こそ天職」「これがワタシの生きる道」と信じて、御茶ノ水→大宮→池袋→福岡→御茶ノ水と一週間40コマをこなし、御茶ノ水本部校舎の東大スーパークラス全クラスも担当して、まさに「日の出の勢い」のつもりでいた。
 一方のツトム君は、ドラえもんののび太クンを思わせる誠実そうな風貌と、元気で大きな声が特徴。授業はきわめて真摯に全力を傾注するが、「これはあくまでアルバイト」「これは決してワタシの生きる道ではない」という態度を貫いていらっしゃる。97年、ツトム君は本職に専念するため東北大へ、さらにパリへと雄飛する。
 同じ年の春、ヒロシ君はもっと自由に授業のできる環境を求めて代ゼミに移籍する。当時の駿台英語科にいる限り、きわめて堅苦しい「構文主義」の授業以外は認められない。その亡霊にとりつかれたようなガンジガラメがイヤだったのだ。移籍は大成功、その後の東進への移籍も大成功。いまもこうして全国を飛び回っている。
港南台2
(横浜・港南台での講演会 2)

 そしていま神戸のホテルで、東北大学教授/今井勉編訳「ヴァレリー集成」の広告を発見し、驚きと嬉しさで鳥肌が立つ。いやはや、大したモンじゃないか。高校生時代か学部生時代か、とにかくきわめて若い時代にヴァレリーを発見し、ヴァレリー研究を貫き、誰もが認める業績を積み上げ、ついに自らヴァレリーを編訳して老舗出版社から出版する。まさに尊敬すべき人生である。
 同時に、ホンの少し寂しい気持ちになるのも否定できない。「くまどんは、何を貫いてきたの?」と誰かが真顔で質問したら、クマ蔵はどう答えればいいのだ。「15年、壁にぶち当たってばかりでした」では、相手は納得してくれそうにない。若い諸君、貫く覚悟をしなければダメだ。数百歳にして後悔に苦笑するのでは、何だか寂しいじゃないか。
港南台3
(横浜・港南台での講演会 3)

 さて、14日のクマ蔵どんは、そういう気分で神戸のホテルをチェックアウト→バスで伊丹空港に移動。伊丹空港の蕎麦屋で昼食に「辛味大根そば」を堪能する。ラウンジで1時間ゆっくり過ごしたあと、空を飛んで東京に移動。さらに羽田空港→京急蒲田→横浜→大船と電車で南下し、17時すぎに本郷台に到着した。今日の移動時間は5時間である。
 中途半端に時間が余ったので、またまた蕎麦屋に入って、またまた「おろし蕎麦」を注文。諸君、クマ蔵は物事にシコタマ凝る性分であって、今やお腹の中は大根おろしが充満して、白くユラユラ揺れている。
 横浜・港南台校の講演会だが、会場はお隣の本郷台「栄区民文化センター」のコンサートホールである。300名収容ということだから、コンサートホールとしては特に大きな規模ではない。2月の大阪都茨木もコンサートホールだったが、あの時は1000人収容の巨大ホール。あれに比べれば、グッと気が楽である。
港南台4
(横浜・港南台での講演会 4)

 19時15分開始、20時45分終了。出席者約180名。いつものペースで始まり、いつもと同じように盛り上がり、30秒に1回の爆笑が入る理想的なペース配分で一気に疾走する、最高の90分であった。
 さすがにコンサートホールだけあって、ステージの広さは爽快感を感じるほど。こんな広いステージを1人で占領しているのは少々もったいないが、「せっかくのコンサートホールなんだから自慢の美声を披露したい」というフザケた魂胆を抑えられない。
 開始から60分経過し、爆笑の連続で盛り上がりが最高潮に達した頃、とうとう「やってみるか」「やるしかないな」と判断するに至った。オペラ歌手もビックリのたいへんな声量を遺憾なく発揮。会場は「スゲ!!」「スゲ!!」「ワァー!!」という絶賛の声に包まれた(ような気がする)。
 うにゃにゃ、「公開授業という名前がついているのに、ちょっとフザケ過ぎなんじゃないの?」と思うヒトもいらっしゃるらしいが、「笑うたびに前進し、前進するたびに笑う」という原則を忘れてはならない。参加した180名がほぼ例外なく「よおし、今日から猛勉強するぞ」と誓いつつ帰途についたことだけは、少なくとも間違いないのだ。
港南台5
(横浜・港南台での講演会 5)

 終了から15分、帰りのタクシーを待っていると、ケータイの「緊急地震警報」が鳴った。「千葉と茨城で震度5強」という昨夜の地震である。横浜でも信号機が大きく揺れ、外に立っていても強い揺れを感じた。講演会の最中でなくて不幸中の幸いだった。
 横浜駅前に移動して、オジサマ4人で今日の祝勝会。和食のコースを堪能しながら旨い日本酒を延々と酌み交わした。「まだ27歳です」という若手のホープが1人混じっていて、いかにも誠実そうに静かに語る彼の表情が頼もしかった。
 今夜もまたまた「午前さま」になった。祝勝会の連続のせいか、体重が若干増加中。ま、いいか。右の「講演会予定表」を見ると、残り8回まで来た。少々息が上がり気味だが、絶好調であることも間違いない。残り8回、ガンバンベ。

1E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER④
2E(Cd) Karajan:BACH/MATTHÄUS PASSION③
3E(Cd) Schiff:BACH/GOLDBERG VARIATIONS
4E(Cd) Holiger:BACH/3 OBOENKONZERTE
5E(Cd) CHOPIN FAVORITE PIANO PIECES
total m68 y232 d8127