Wed 120201 八戸で講演会 浪人を決めつつある諸君の出席に感激する 泥の雪について | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 120201 八戸で講演会 浪人を決めつつある諸君の出席に感激する 泥の雪について

 3月3日、青森県八戸で講演会。19時開始、20時40分終了。出席者140名。当初の予定は100名前後ということだったから、150名近いヒトが集まったのは予想を大幅に上回る大成功であった。スタッフの皆さんの努力に心から敬意を表したい。
 出席者の中には、すでに大学入試の全日程を終えた高3生や浪人生も若干名混じっていた。推薦やAO入試で第1志望をとっくに突破したという諸君もいて、東北大学や岩手医大を始め、ヒトも羨む難関に合格した上で、「それでも今井の講演を聞きたい」「それを受験生活の締めくくりにしたい」と集まってくれた。
 すでに受験を終えた彼ら彼女ら10人余りと、講演会前の控え室で歓談。写真を撮ったり、サインを求められもした。「最後に今井先生と話をして、公開授業も聴いて、それを大学生活のスタートにしたい」と言われれば、講師としてこれほど嬉しいことはない。
八戸
(八戸で講演会)

 東進に一度も通うことなく受験を終えた高3生で、「どうやら浪人が決定した模様」という切羽詰まった諸君の参加もあった。私大受験もうまくいかず、第1志望の国立大入試でも大失敗して、よほどの妥協をしない限り、これから1年浪人して受験勉強に没頭するしかない、そういうヒトたちである。
 浪人が決定した時期の強烈な切迫感については今井君にも記憶があって、あれから数百年経過しているけれども、いまだに3月の風は苦々しい香りに満ちている。あんなに切迫した重苦しい気持ちをかかえ、それでも友人に誘われて今井講演会に出席してくれるなら、どうしても彼ら彼女らを笑顔にするのが今井君の仕事である。
八戸で語る
(八戸で語りまくる今井クマ蔵)

 浪人するなら、ぜひ東進で1年間過ごしてほしい。現役生中心の予備校ではあるけれども、校舎によっては浪人生を受け入れているところも少なくない。
 チャラチャラした講師がチャラチャラした授業を垂れ流し、その授業の効果について何の保証もない予備校に大切な1年を託すのでは、「浪人しよう」という覚悟自体がチャラチャラしているのである。
 単語を最低5000語はマスターしよう、文法は今井のテキスト1年分を「今井以上に巧みに解説できる」と胸を張って言えるようにしよう、毎日1時間音読をして→1年で約400時間の音読を達成しよう。そうやって今井の言う「英語マッチョ」になろう、第1志望に合格すると同時に、英検1級に合格できるぐらいにやってやろう。そのぐらいのことをキチンとやらせてくれる予備校は、今は東進以外に考えられないのである。
笑いすぎ
(盛り上がりすぎたクマ助は、カメラでさえ捉えきれない)

 この時期の公開授業の本来の対象は新高2と新高3であって、もちろん超ベテラン講師♨今井はそれを忘れて浪人生向けの話に夢中になるということはない。
 しかし、繰り返すようだが我々はホモ・ルーデンスであって、笑うたびに進歩し、進歩するたびに笑う生物である。浪人が決まった直後の切迫した諸君も、ぜひ屈託なく破顔大笑させてあげたい。
 こうして、思わずいつも以上に気合いが入り、気合いが入りすぎて10分延長。普段ならしない話も混じり、即興でオペラ風の歌まで入って、満席の会場は湯気がモウモウと上がりそうな熱気に包まれた。「60秒に1回の大爆笑」という今井スタンダードだけではない。随所で会場全体から自然発生の大拍手が巻き起こった。
八戸駅
(八戸駅)

 ここまでレベルの高い大勝利となると、公開授業後の祝勝会もまた大いに盛り上がる。中年オジサマ4人で出かけた八戸の街は、秋田出身の今井にとっては余りに懐かしい雰囲気。おそらく今井君の父・三千雄が、男盛りの日々を過ごした秋田の繁華街とソックリなのである。
 考えてみれば2012年の今井君は、「息子が東大文Ⅰ」という夢を諦めなければならなくなった時の父と、ほぼ同年齢になっている。父の夢は「息子が東大文Ⅰに合格し、東大法学部卒のキャリアとして国鉄に入り、見る間に出世してトップに登り詰めていく姿を眺めたい」だったはずだ。
 地方の中間管理職として、経営側と労働組合の板挟み。そういう苦々しい人生を生きた父にとって、おそらく唯一の希望は「息子の、胸のすくような出世街道」。18歳の3月、今井君は父の夢を全て裏切ってしまったのだ。
 それも、懸命に受験勉強に励んだ末のことではない。ある受験産業の広告によれば「東大合格は、才能の証明ではない。努力する能力の証明である」とのことであるが、当時の今井君には努力する能力が決定的に欠けていた。文学全集を読みあさり、堕ちた神についてフザケた小説を書き、音楽を聞きまくり、そうやって怠け放題に怠けた末の苦々しい結果である。
イカストラップ
(ストラップ「幸福のいか」。オマモリにどうぞ)

 祝勝会のテーブルで鍋物を囲みながら、中年のオジサマ4人がそれぞれ今日の講演会をめぐって感じた感激を語りあった。涙ぐんで、何度もタオルで顔を拭うヒトさえいた。それを聞きながら今井君がシミジミ考えていたのは「浪人を決めた諸君が悔いのない1年を過ごしてほしい」という一事のみであった。
降りしきる
(降りしきる3月の雪の風景。宿泊したホテル10階から)

 翌朝の八戸は、曇り空から時おり春の雪が舞った。春といっても、「ようやく最高気温が0℃を下回ることがなくなった」という程度の、浅い春である。それでも、あれほど深かった雪は少しずつ融けて、道路脇には黒ずんだ氷のカタマリが積み上げられている。
 北国の3月は、泥の色の中に埋もれている。12月には真っ白だった雪は、融けては凍り、また融けては凍り、それを果てしなく繰り返しながら3月に至る。雪は泥と何度となく混じりあい、訪れた春にヒトビトが旅立とうとする駅前は、泥色の雪の残骸に支配される。
 旅立つヒトの多くは、泥の色に黒く染まった雪と氷の山を眺めながら、苦い溜め息をつく。もちろん輝かしい勝利に心を躍らせて上京するヒトも少なくないが、どんな勝利の味も、噛みしめれば本来ホロ苦いものである。
泥の雪
(泥の雪)

 英語に「with a clean slate」という表現があるが、3月の冷気の中で新生活をスタートさせるとき、心に一点の曇りも後悔もないヒトは数少ないはずである。というか、そこまで底抜けに幸せだと言うのでは、まさに「シアワセなヒトだね」という揶揄の対象になりかねない。
八戸駅前
(泥の雪が積み上げられた八戸駅前)

 八戸からの帰り、盛岡あたりを通過中の新幹線から岩手山がキレイに見えた。宏君が18歳当時の今井クンちは父の仕事が一番キツいところで、秋田から埼玉県大宮へ、大宮から盛岡へ、盛岡からまた秋田へと転勤が相次いだ。御茶ノ水の駿台には大宮から通ったが、東大を断念した3月は盛岡にいて、同じキレイな岩手山を後悔の涙で眺めた。
岩手山
(新幹線からの岩手山)

 その今井君のslateは、18歳当時でもう真っ黒に汚れていたのかもしれない。医学部に行くと言っては断念し、東大に行くと言っては断念し、何を始めても中途半端で長続きしなかった。考えてみればあれから数百年、ほぼ同じようなダラしない人生を続けてここに至る。
 しかしドロドロ真っ黒な自らのslateを見ながら、これはこれで味わい深いじゃないかと開き直ることもまたしばしばである。11月12月の真っ白な雪も悪くないが、5回も6回も融けては凍り、融けては凍った泥だらけの雪が路上に山積みになっている3月の風景も、やはり捨てがたい。
 というか、どうやらこういうのが一番楽しい人生らしいと思うのだ。春の雪に息を白く曇らせつつ、それでも思わず「でも、だいぶ暖かくなったな」「ひと月もすれば野の花も咲くかな」と呟いてホッとする。東北の3月上旬とは、そういう季節である。

1E(Cd) Kenny Dorham:QUIET KENNY
2E(Cd) Shelly Manne & His Friends:MY FAIR LADY
3E(Cd) Sarah Vaughan:SARAH VAUGHAN
4E(Cd) José James:BLACKMAGIC
5E(Cd) Radka Toneff/Steve Dobrogosz:FAIRYTALES
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