Sat 120127 ケンブリッジを書こうとして受験生時代の記憶に浸る(ロンドン滞在記5) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 120127 ケンブリッジを書こうとして受験生時代の記憶に浸る(ロンドン滞在記5)

 現役高校生の今井君は、早稲田大学政経学部と法学部に合格。本命だった東京大学には、マコトに残念なことに入学を拒絶された。「うーん、いくら何でも数学が1問も解けていないんじゃ、国語と英語ばっかりこんなに出来てもねぇ」「バランスが欠けてますな」と、おそらくそんな感じである。
 ついでに言うと、世界史もほぼ全滅だったかもしれない。何しろ受験勉強をマジメに開始したのが高3の11月30日。国語と英語はモトモト得意で、とりあえず早稲田2つは確保したいから、日本史1科目だけやって間に合わせることにした。
ケンブリッジ1
(ケンブリッジのカレッジ群 1)

 「1科目だけやって」とは言うものの、やったのは基本問題集1冊のみ。穴埋め形式の基本問題を200問ほど、山川の教科書と首っ引きで解いているうちに、あっという間に入試本番がやってきた。世界史も同じ方法でと思ったが、さすがに時間が足りなかった。
 国語については、まさに傲慢不遜。自分が最低最悪の受験生だったことだけは、奇妙に自信がある。
「国語ですか? そんなもん、勉強しなくたって満点に決まってるじゃん」
「国語で今井に×なんかつけられる先生が、日本の高校/予備校、いや大学にさえ、存在するんですかね?」
「問題作成者が『Bが正解』と言い張っても、オレがCと言ったらCが正解」
その他、いま考えるとたいへん恥ずかしいことをウソブイていた。いやはや、「若い頃は傲慢不遜なぐらいがいい」が持論だけれども、こりゃ度を過ぎて「単なるアホ」でおますがな。
ケンブリッジ2
(ケンブリッジのカレッジ群 2)

 英語の受験勉強も、ほぼ皆無。教科書の音読を半信半疑で30回ほど繰り返してみたら、ある日気がつくと高1から高3の教科書の全ての英文をソラで言えるようになっていて、「この状況で東大に合格できないはずはない」と確信した。
 職業柄、2012年の東京大学の英語問題を一応解いてみたけれども、正直に申し上げて「この程度の問題で『最高学府』とか言ってていいの?」である。今井君が理系音痴だからそう感じるのかもしれないが、理系科目に比較してカンタンすぎないかい? 
 「東大合格さえできれば幸せ」というなら、英語は基礎文法を(今井の「C組」などで)しっかりやって、日々基本英文の音読に励むのが一番いい。あとは過去問研究、残った時間は数学数学。ひたすら数学ですな。
ケンブリッジ3
(ケンブリッジのカレッジ群 3)

 数学0点の今井君はモノの見事に浪人、東大合格を目指して駿台に通うハメになった。もう数百年前のことだから、「東大に行くには駿台しかない」という秋田の古老のお告げに従ったわけである。
 当時の駿台の英作文の授業は、教師が正解例をひたすら板書し、生徒は黙ってノートに写しとるという、マコトに古色蒼然としたスタイル。ちょっと腰の曲がったおじいちゃんの先生が、妙に気取った読みにくい筆記体の文字で正解を板書し、自慢そうに英語トリビアをちょっぴり披露してみせる。
ケンブリッジ4
(ケンブリッジのカレッジ群 4)

 数百年前だから古くさくて当たり前だが、いくら何でもそんなことしてて英作文が出来るようになるとは思えない。「もう少しマシな授業ってないの?」といろいろ探してみると、一橋コースの担当の中地先生が良さそうに見えた。授業前に生徒が自分の英作文を板書しておくと、先生がそれを添削しながら授業を進めていく。
 当時の駿台では、東大コースが「文科1類」、一橋コースが「文科2類」。どこまでも東大っぽい気分でいたいわけだが、中地先生の担当は文科2類。東大に行きたい生徒が文科2類の授業に出るのはもちろん御法度だけれども、この時代の予備校では「モグる」という行為はごく当たり前だった。
ケンブリッジ5
(ケンブリッジのカレッジ群 5)

 今井君は浪人生の5月中旬からいろいろな授業にモグりはじめた。文科2類には、秋山仁師や長岡亮介師の授業もあった。テキストは、廊下で適当な生徒に声をかけて「コピーさせてください」と頼んでみる。当時の駿台テキストはメマイがするほど言語道断に薄い。全部コピーしたって3分もかからない。
 21世紀の受験生はそういう脱法行為はもちろん絶対に許されないが、あのおおらかな時代、講師も学校も例えモグリの学生であれ教室が満員になることを喜んだ。「受講証チェック」が頻繁に行われて非正規の生徒を排除するようになったのは、今井君が講師になった後。日本がマトモな法治国家に成長した証拠である。
ケンブリッジ6
(ケンブリッジのカレッジ群 6)

 中地先生の添削授業は「まあ満員」という盛況。その多くが、板書される正解を写すだけの授業に飽き足らないモグリ学生だったように記憶する。今井君は講師になってからもこの添削形式授業が好きで、代ゼミ時代の「英作文完璧6時間」や「上級国公立大学英語S組」で自ら実践してみた。
 やってみないと分からないことだが、予備校の大教室で添削方式をやるのはなかなか困難である。生徒が板書する文字は往々にして小さすぎ、後方の生徒たちはオペラグラスが必要になる。筆圧が弱いせいでサテライン授業の画面にもハッキリ映らない。
ケンブリッジ風景
(冬のケンブリッジ風景 1)

 さて、その中地先生の英作文テキストにこんな問題があった。
「日本の大学は入るのが難しいが出るのはカンタンであり、西洋の大学は入学するのはカンタンだが卒業するのが難しいとよく言われる」
 勇気ある生徒の一人が板書しておいた答案の書き出しは、「It is easy for Japanese students to enter …」。中地先生が「ってことは、日本人学生ならカンタンにケンブリッジ入れるの? 勉強しなくてもソルボンヌ入れるの?」と笑って、厳しく添削を始めたのを今でも記憶している。
パント
(冬のケンブリッジ風景 2)

 もちろん日本人学生だからといって、苦労せずに合格できるわけはない。イギリス研究機関の「2011世界大学ランキング」によれば、ケンブリッジ6位、オックスフォード4位、東京大学は30位。30位の大学に入学するのにこんなに苦労しているんだから、ケンブリッジがカンタンに門戸を開いてくれるはずはない。
 ケンブリッジ卒業生をみると、ニュートン/バイロン/ケインズ/F. ベーコン/クロムウェル/ダーウィン/ウィトゲンシュタイン/ミルトン/B.ラッセル/ホーキング。あらら、こりゃタイヘン、世界史級のヒト満載だ。東大合格者諸君、学部合格でウカレている場合じゃないよん。
「なんで私が東大に?」
「この私をドナタと心得る? 畏れ多くも東京大学合格生にあらせられるぞぉ!!」
「ズが高い、ちっ、ひかえおろう!!」
そういう気分は、3月20日までには終わりにせにゃいかんぜ。
 あれれ、何だこのレイチェル・ワイズってのは? 「ハムナプトラ」に「スターリングラード」に「ナイロビの蜂」の彼女がケンブリッジ? 東大は? →菊川怜に高田万由子? 何だかチッチャイんじゃね? そのあたりも、これからは遠慮せずにバリバリやっていこうじゃないか。
ケンブリッジ駅
(ケンブリッジ駅前)

 「秋入学を実施すれば留学生がどんどん増加して、急速な国際化が可能」というのも、どうかねぇ。しかし、何しろたった200冊のノートを眺めただけで「東大合格生のノートは必ず美しい」の結論が出る国だ。東大の行動や選択を批判するのは「王様は裸だ」と指摘するより難しい。
 東大合格までに各科目ノートを5冊ずつしか使わなかったとしても、ノートの数は3000人×5科目×5冊=合計75000冊。そのうちの200冊とは、約0.25%にすぎない。その程度の検証で「必ず」という副詞が許容されるのは大きな驚きに値するが、世間の評価は「ほぼ絶賛」だったりする。
 アラアラと呆れていたら、今度はどこかの新書で「東大生の歯は美しい」ときた。「美しい歯でよく噛むから頭が良くなって東大に入れた」という主旨だが、さすがにここまで来るとヒドすぎる。塾にも予備校にも惜しげもなくオカネを使う親なら、歯医者さんにだってオカネをタップリ使うのも当たり前。ただそれだけのこと、因果関係が逆である。
 このあたりは、本や論文の筆者が最も避けなければならない書き方の典型。「書きたい結論が先にあって、結論からみて都合がいいデータだけを残し、都合の悪いデータは知らんぷりする」であって、マトモな大学のマトモな指導教官なら強烈に叱責を浴びせるところである。
駅からの道
(ケンブリッジ駅からカレッジ群への道)

 おやおや、今日ももう長く書きすぎた。ケンブリッジで今井君が何をして過ごしたかを書くつもりが、受験生時代のことについついのめり込んで、もう3枚に近づいてしまった。ケンブリッジ本番は、明日の記事に書くことにせざるを得ない。

1E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER④
2E(Cd) Richter:BACH/WELL-TEMPERED CLAVIER④
3E(Cd) Preston:BACH/ORGAN WORKS①
4E(Cd) Preston:BACH/ORGAN WORKS②
5E(Cd) CHOPIN FAVORITE PIANO PIECES
total m144 y144 d8039