Wed 120108 レイアール広場 バルセロナくさい店 切手市とお土産(バルセロナ滞在記29) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 120108 レイアール広場 バルセロナくさい店 切手市とお土産(バルセロナ滞在記29)

 こうして、バルセロナ滞在記もいよいよ無事に終了することになった。前回のギリシャ紀行が40回の長編になってしまったのに比べれば、その約3/4の長さでまとめられたのは、「我ながらよく健闘した」と自分を讃える範疇に入る。
 例えば「ギリシャよりバルセロナがつまらなかった」という話なのかと言えば、もちろんそんなことは一切ない。短くまとめることが出来たのは、「日記的編年体を避けた」の一事に尽きる。
 1日ずつ詳細を書く普段のスタイルをとれば、例えば海老大王「LA REY DE LA GAMBA」について4回も5回も繰り返して触れることになったはずだし、その都度ウェイターも違うわけだから、1回ずつウェイターや隣のテーブルの客の描写もしたくなって、海老大王だけで記事はいくらでも膨れ上がったはずなのである。
Ambos昼
(真昼のレイアール広場)

 同じように、レイアール広場のことも今日の最終回1回だけ書いて終わりにするが、普段の旅行記なら5回でも6回でも触れることになったはずだ。
 このバルセロナ旅行で今井君が最もお世話になったのはレイアール広場だったし、もっと正確に言えば「バルセロナ≒レイアール広場」なぐらいであって、近いうちにバルセロナを再び訪れるチャンスがあれば、間違いなくまたレイアール広場に入り浸って過ごすことになるだろう。
 そのあたりが、クマ蔵のダラしないところである。ここは意地でも見栄を張って「またガウディに逢いに来たい」「ミロとピカソとダリに再会を誓った」とか、その手のアカラサマなウソを言うべきなのだ。
夜の広場1
(夜のレイアール広場 1)

 もっとも、もしそんなカッコいいウソが平気で言えるほど恥知らずなら、最初から「海老大王」「Ambos Mundos」のことなんか告白しなかったかもしれない。小ウルサイ日本のグルメを唸らせるような名店に腰を据えて、カタルーニャの本質を料理で理解したり、肉を頬張るたびに「あまーい!!」「やわらかーい!!」「しっかりしてますね!!」と叫び続けたに違いない。
 もちろん、ワインだってそうだ。今井君みたいにダラしなく地元のヒトにあわせ、安いロゼワインなんか次々に注文してはならない。ビールだの、タコだのイカだの、ドンブリ入りの生ハムキューブなんか食べたことは、意地でも隠し通さなければならない。
夜の広場2
(夜のレイアール広場 2)

 レイアール広場にも、日本のグルメさま御用達の店が一軒あって、その名は「ラス・キンザ・ニッツ Les Quinze Nits」である。スペイン語の標準的な発音なら「レス・キンゼ・ニッツ」になるはずだが、ガイドブックもカタルーニャ語に配慮しているようだ。
 そのガイドブックには「地元のヒトにも評判で、開店前から長い列が出来る」「スペイン料理を現代風にアレンジしたオシャレな料理」と紹介されている。かく言う今井君も、バルセロナ到着翌日、最初の昼食はまずここを試してみた。
 しかし諸君、ボクら外国人にとって何より大切なのは「ナマのままのスペイン料理」である。田舎くさければ田舎くさいほど嬉しいので、それを「現代風にアレンジ」なんかされるのは、正直言って迷惑だ。秋田に行ったら田舎くさい秋田料理が食べたいので、「現代風にアレンジした秋田料理」などというのは、要するに秋田料理のニセモノにすぎない。
夜の広場3
(夜のレイアール広場 3)

 クマ蔵は、その「現代風アレンジ」に1回でウンザリさせられた。料理を現代風にアレンジすれば、ウェイトレスの接客態度も現代風アレンジ、周囲のお客の雰囲気も現代風アレンジ、テーブルも椅子もインテリアもみんな現代風アレンジ。一事が万事で、ちっともスペインらしくないし、ちっともバルセロナらしくない。
 そこで、「お隣の、ちっとも流行っていない店に闖入してみよう」というイタズラ心が湧き上がる。ラス・キンザ・ニッツが満席で入れなくて、観光客が列になって待っているのに、お隣のAmbos Mundosのウェイターたちはヒマを持て余している様子。午後の日光が当たる外のテーブルはまあ繁盛しているが、屋内のテーブルには客がいる気配がない。
 今井君が狙ったのは、その「屋内の席」である。「インサイド」と言っただけで、ウィターは「は? ホントにインサイドでいいの?」と驚きの表情を浮かべる。というか「は? 日本人なのに、ホントにウチの店なんかでいいの?」「日本人は、ガイドブックに載ってない店には入らないんじゃないの?」という驚きのほうが大きいようだ。
誰もいないインサイド
(誰もいないインサイド 1)

 確かに、そのインサイドに入ってみると、中はガラガラだ。ガラガラという表現にもウソがあって、要するに誰もいない。いるのは、常連のみ。すでに単なる「常連」を通り越して、店のヒトたちと一体化したジモティが2人か3人、ウェイターたちを相手に延々と長居しているだけである。
 常連を通り越したジモティなオジサンたちは、もう遠慮も何もあったものではない。ビールも自分で冷蔵庫から出して勝手に飲むし、強い酒はカウンターから、ワインも自分で栓を抜く。ウェイターたちと一体化したその様子は「30年来の友人」を凌駕するデレデレしたダラしない親しさだ。
インサイド
(誰もいないインサイド 2)

 それ以外に「インサイド」の席につくのは、店の人の子供たちか、マカナイの飯を食べる従業員たちだけである。観光客は必ず外のパラソルの下のテーブルを選択するので、屋根の下は完全に内輪の人のくつろぎの場所。今井君が日々入り浸ったのは、その内輪のくつろぎの真っただ中なのであった。
 レイアール広場には、他にも名店が並んでいる。南側の「ロッシーニ」もその一つ。ほぼ正方形の広場の北側の一辺をラス・キンザ・ニッツが占め、東側がAmbos Mundos、南の一辺がステーキハウス・ロッシーニである。
Amobs夜
(Ambos mundos 外観)

 バルセロナ滞在終盤の一夜、クマ蔵は1回だけAmbos Mundosを裏切ってロッシーニのステーキをハムハムしてみた。ロッシーニでは「インサイドはない。外のテーブルだけだ」とのことで、異様に傾いてワインのボトルが倒れそうなテーブルに向かうことになった。やむを得なければ、やむを得ない。
 隣のテーブルのヨーロッパ女性2人組は、おサカナ料理。2人ともナイフとフォークであんまり(so)見事におサカナをサバいていくので、(that)おサカナをキレイに食べるワザに自信をもつ今井君も、その見事さに圧倒されてしまった。お箸でさえなければ、欧米の人たちの食事のオトナっぽさはクマ蔵を圧倒するのである。
 しかし、ロッシーニのステーキなら、別にバルセロナで食べなくてもいい。つまりステーキであり、要するにステーキであり、単なるステーキであって、こういう普通のステーキなら日本に帰ってフォルクスあたりで食べればいいのである。
Ambos料理
(Ambos Mundosのメトメト料理とロゼワイン)

 その点、Ambos Mundosの田舎くささは群を抜いている。バルセロナで「田舎くさい」とは、イコール「スペインくさい」「バルセロナくさい」「カタルーニャくさい」ということであって、こうであってこそ、日本から16時間もかけて訪ねてくる価値がある。
切手市1
(切手市 1)

 日曜のレイアール広場では毎週「切手市」が開催され、世界中の切手のほか、怪しい雑貨や古書が市場中に並ぶ。クマ蔵はこの切手市でネコの切手を数枚購入。店の優しいおじいちゃんに「Gottoの切手はありますか?」と尋ねると、満面の笑みで「そうか、Gotto
か」「ネコの切手か」と、大量の切手の中からすぐにネコ切手セットをつかみ出してくれた。
切手市2
(切手市 2)

 こういうふうで、バルセロナのお土産は、まずスペインのネコ切手セット。モンセラートの黒いマリア像。カサバトリョのお隣の売店で買ったエスプレッソ用のカップ2個セット、以上3点である。
 エスプレッソが大好きになったのも、実はAmbos Mundosのウェイターがキッカケ。タップリお砂糖を入れたエスプレッソを、マカナイの昼食の最後に旨そうに飲み込む後ろ姿があんまりカッコよかったので、そのマネをしてみたくなっただけのことである。

1E(Cd) Jandó & Hungaricus:MOZART COMPLETE PIANO CONCERTOS⑪
2E(Cd) Barbirolli & Hallé:ELGAR/SYMPHONY No.1①
3E(Cd) Barbirolli & Hallé:ELGAR/SYMPHONY No.1②
4E(Cd) Marc Antoine:MADRID
5E(Cd) Norah Jones:COME AWAY WITH ME
total m43 y43 d7938