Thu 120102 マジョルカ島へ 78回転 150年前の邪恋を思う(バルセロナ滞在記23) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 120102 マジョルカ島へ 78回転 150年前の邪恋を思う(バルセロナ滞在記23)

 バルセロナからマジョルカ島へは、フェリーなら6時間半、高速艇に乗っても4時間近くかかって、船を使っての日帰りは困難である。一応バルセロナ港まで行ってはみたが、チケット売り場の周囲に若いチンピラみたいなのが群れていて何だか面倒だから、いったんはマジョルカ行きをあきらめた。
 しかし、海路が無理なら飛行機という手段もある。マジョルカはヨーロッパ人憧れのリゾートの1つだから、ホントは船でノンビリ行くのが理想だが、とにかく時間がかかり過ぎ。チンピラ連との掛け合いも面倒なら、片道たった1時間で済む飛行機は大いに気が楽である。
修道院近景1
(マジョルカ島バルデモサ カルトゥハ修道院 1)

 マジョルカ便を運行するSPANAIRはスターアライアンス・メンバーだから、ANAのホームページから入ってもカンタン。予約したのは前日だったか前々日だったか、10分か15分カタカタやっていれば、チケットはすぐに予約できた。
 しかし諸君、2012年2月、この便利な状況に大きな変化があった。昨日ANAのHPを見ていたら、「スパンエアとの連帯運送契約の解除」という記事が掲載されていた。おお、ずいぶん激しいことになっとるね。つまり「もうお互いに責任もてません」という発表である。
 スパンエアを利用してトラブった経験の数回ある今井君としては「さもありなん」であって、予告なしにタイムテーブルを変更したり、一方的にフライトをキャンセルしたかと思うと、明らかに無理な乗り継ぎを提示してきたり、優秀なANAから見たら「責任もてません」という気持ちも大いに理解できる。
修道院遠景1
(マジョルカ島バルデモサ カルトゥハ修道院 2)

 さて、胸躍らせて空港に向かったクマ蔵は、発券機にパスポートをかざしてチケットを受け取った。さすがスペイン国内線、この気楽さは一瞬不安が胸をよぎるほどである。「チケット」とは名ばかり、学園祭の食堂の食券よりまだ頼りない1枚の紙切れが、機械の下の口から「ペラペラペラン♡」と放出されるのだ。昔のファクシミリの感熱用紙みたいなヤツである。
修道院遠景2
(マジョルカ島バルデモサ カルトゥハ修道院 3)

 マジョルカまでの1時間のフライトは順調。「憧れのリゾート・マジョルカ」という響きからは想像できないほど大きな島、眼下に広がるのは一面の麦畑である。空港も予想外に広い。沖縄の那覇空港でその大きさにビックリするが、マジョルカ空港で旅行者を最初に捉えるのも、同様の驚きである。
 すぐにタクシーをつかまえて、パルマ・デ・マジョルカの市街中心部に向かう。何しろ日帰りで滞在できるのは6時間程度。しかもその6時間のうちに、島の奥・バルデモサの村まで往復しようというプランだから、タクシーに乗るぐらいの贅沢は躊躇していられない。
 バルデモサは、Mac君に入力すると「バルで猛者」とオソロシイ変換が出てくるぐらい、まあ無名の村である。パルマ・デ・マジョルカのバスターミナルから一般乗合バスに乗って1時間ほど。山と断崖に囲まれた小さな村だ。
バスターミナル
(バスターミナルで)

 では、「そんなバルデモサの村にクマ蔵を引きつける何があるのか」であるが、もちろん写真に示した「カルトゥハ修道院」である。1838年、ショパンとジョルジュ・サンドの2人が「道ならぬ恋」のために「人目を避けて」ここに住み、さらに場所を移して同棲は1847年まで続いた。
 うぉ、うぉ。午後のメロドラマか、韓流か。英語のsoap operaか。P&Gなど石鹸関連会社のスポンサーが多いからsoap operaだが、「人目を避ける道ならぬ恋」などという世界が、ホンの150年前まではチャンと存在したのであるね。
バルデモサ
(バルデモサ遠景)

 まずショパンであるが、何を隠そう今井君のクラシック歴は、小学4年のショパン体験が出発点なのである。おうちの押し入れをかき回していたら、古い戸棚の引き出しから78回転のレコード十数枚を発見。その中にシューマン「流浪の民」、チャイコフスキー「アンダンテカンタービレ」、江利チエミ「テネシーワルツ」なんかと一緒に、ショパン「軍隊ポロネーズ」「幻想即興曲」があった。
 78回転って、「人目を忍ぶ道ならぬ恋」と同じぐらいカビ臭いけれども、昔々そのむかし、歌謡曲のドーナツ盤は45回転、ちょっと新しめの33+1/3回転などというレコードもあった。ドーナツ盤、知らないヒトはググってください。
 ついでに「流浪の民」もYouTubeでよろしく。「ブナの森の葉隠れに」「たいまつ赤く照らしつつ」。今井君は、あれから数百年の幾星霜を経て、今だにシッカリ歌えるのだ。げに幼少期の記憶力は恐ろしい。
修道院正面
(マジョルカ島バルデモサ カルトゥハ修道院 4)

 1分間に78回の割で高速回転するレコードの溝を鋭いハリの先で擦り続けるわけだから、あっという間に溝は擦り切れて「レコードを擦り切れるまで聴く」などというのは別に難しいことではなかった。
 小学4年生の可愛い今井君は、さっそく若かりし快傑ババサマ(母上)にねだって、街の電気屋で3000円のレコードプレーヤーを買ってもらった。「マーチ」という名のオモチャみたいなプレーヤーで、すでに擦り切れていたショパン3~4枚を、ホントに擦り切れるまで聴きまくったが、それがクマ蔵の貧しいクラシック歴のスタートである。
ショパン1
(バルデモサのショパン像。鼻ばかり撫でられて、さぞかしクシャミで疲れるだろう)

 一方のジョルジュ・サンドであるが、こっちには特別な思い入れはない。いやはや、19世紀の女性としては、何ともはや「おさかん」な女性である。19世紀の作家や音楽家や思想家の略歴を読んでいると、「意地でも」という執念深さで顔を出す。
 「深いおつきあい」だったのは、フロベール/ショパン/ミュッセ/リストなど。「交友関係」となると、ユゴー/ゴーティエ/マルクス/ゴンクール兄弟etc。うぉ♡うぉ。ま、諸君、彼女の写真も見られるから、この激しい女性を是非ググって見たまえ。
 主な作品は
  Un Hiver a Majorque 「マジョルカの冬」
  Histoire de ma Vie 「わが生涯の歴史」
  Elle et Lui 「彼女と彼」
  Lucrezia Floriani 「ルクレツィア・フロリアーニ」
「マジョルカの冬」は、もちろんバルデモサで過ごしたショパンとの生活を書いたもの。他も多くの作品が「人目を忍ぶヨコシマな恋」の記憶を書いた自伝小説であって、「あんなこともした、こんなこともした」と記憶を脚色して生きた作家である。
修道院近景2
(修道院近景)

 ま、こんなふうで、バルデモサは150年前の激しくヨコシマな恋の嵐の舞台。ショパンはここで「雨だれ」を作曲したりしたが、雨だれどころかおそらく暴風雨の連続だったので、バルデモサの銅像を見ると、何とも疲れきった寂しそうな男である。
ショパン2
(疲れきったショパンの横顔)

 修道院のデザインは可愛らしいが、今井君はそのショパンの顔の長さが何だか面倒になってしまい、そこいら中にいる野良猫たちを追いかけ回してばかりいた。1時間後にはもう帰りのバスに乗っていたのである。
 そりゃそうだ。いくら激しくヨコシマな恋であっても、それはもう江戸時代のオハナシ。異国船打ち払い令や、安政の大獄や、水野忠邦、天保の改革と大飢饉、太平の眠りを醒ます蒸気船、そういう時代に燃えた邪恋の残りかすは、とっくに冷えて固まってチリになり、どこか遠い空の彼方に拡散してしまっていたのである。
修道院の猫
(修道院の猫)


1E(Cd) Bernstein:BIZET/SYMPHONY No.1
2E(Cd) Holly COLE TRIO:BLAME IT ON MY YOUTH
3E(Cd) Brian Mcknight:BACK AT ONE
4E(Cd) George Duke:COOL
5E(Cd) Norah Jones:COME AWAY WITH ME
total m13 y13 d7907