Thu 111222 カサ・バトリョ ちっ、控えおろう 直線的ルール(バルセロナ滞在記15) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 111222 カサ・バトリョ ちっ、控えおろう 直線的ルール(バルセロナ滞在記15)

 こうしてようやくバルセロナに「の」の字の形の龍を描き終え、鼻であるサンジュセップ市場もチャンと描き加えたわけだから、いよいよ「点睛」の段階に入った。
 カサ・バトリョとカサ・ミラ、この2つのマナコは別に今井君なんかが無理して描写しなくても、バルセロナの真ん中にランランと輝き続けている。ガウディによれば、広い交差点をはさんで南西側のカサ・バトリョは海がテーマ。北東側、カサ・ミラのテーマは山である。
バトリョ全景
(カサ・バトリョ全景)

 すでにサグラダ・ファミリアの記事で述べたように、ガウディの終生のテーマは溶解・融解・風化、最終的にはその結果としての崩壊と消滅であると思われる(Mon111212とTue 111213参照)。
 海は、溶解と融解を最も急速かつ確実に進行させる触媒である。山は、触媒による風化と崩壊の運命を最も肉感的に訴えかける。海と山を斜向いに対峙させたガウディの意思と発想は、ほとんど露骨と表現していい。
 節制の欠如した露骨の放置と放恣がエロティックという形容詞の本質なので、「予備校講師のブログなのに『エロティック』なんてどうかと思う」という難しいヒトや世間サマが例え存在するとしても、カサ・バトリョとカサ・ミラは2つとも、真夏に見るには困惑するほどエロティックである。
バトリョ近景
(カサ・バトリョ近景)

 ありゃま、クマ蔵が何だか難しいことを言い出した。おそらく酒が足りないか、昨日の飲み過ぎで少し気分が悪いかなのだ。諸君、今日のクマ中納言は、昨日からの冷たい雨にうたれて少し風邪気味。ノドが痛くて、お鼻が詰まって、どうも物事に集中できない。
 そもそも、清少納言に引っ掛けて「クマ中納言」だなんて、世間から見れば生意気なのである。ネット風に言うなら、「失笑だ」「アヤシイことを言っていた」「ご用心を」「ナニサマのつもりだ」である。しかも諸君、昨日は長く書きすぎて、途中で遠慮してヤメにしたけれども、昨日の話はもし遠慮しなかったら「ウワバミ大納言」まで登場し、枕のクサコはまだまだ続く予定だったのである。
バトリョ1
(カサ・バトリョ内部。海底をイメージしたまえ 1)

 それにしても、中納言って何? 今井君の記憶では、30年昔のTBS「水戸黄門」では、「この紋所が目に入らぬかぁ!!」というキメのセリフのところに、間違いなく「中納言」の一言が挿入されていたのである。
 「助さん格さん、もうそのぐらいでいいでしょう(Mac君の変換は『透け酸、拡散』であるよ。何だかイヤなものが広がっていきそうな予感に震えるクマ中納言であるよ)の後に続く透け酸&拡散のセリフは、
「この紋所が目に入らぬか? 畏れ多くも先の副将軍、中納言・水戸光圀公にあらせられるぞぉ。ご老公の御前である。ちっ、頭が高い、控えおろう!!」
であった。
 少なくとも昭和40年代、東野英治郎の時代までは「ちっ」という舌打ちの音と「中納言」の一言が毎回必ず入っていた。いつから「ちっ」と「中納言」が省略されることになったのか、今井君には分からない。だれか、CS「時代劇チャンネル」などで確認してくれませんかね。
バトリョ2
(カサ・バトリョ内部。海底をイメージしたまえ 2)

 なお、「控えおろう」は、「控えおらむ」からの近世の転訛。「居る+助動詞・う」である。「う」は推量や意思の他に「適当」「当然」を表し、本来「控えて当然だ」「控えているのが適切だ」であって、詳しく言えば「中納言・水戸光圀サマの御前なんだから、貴様らは控えていて当然であり、控えていなければ不適切なのに、控えていない。何故控えないのか?」→「控えなさい!!」と命令しているわけだ。
 「ちっ」は、その程度のことさえ理解できない相手のバカさ加減に苛立ち、「こんなにバカでマヌケなヤツら、相手にするのもイヤだな」という軽蔑の感情を露骨に示す擬音である。
バトリョ3
(カサ・バトリョ内部。海底をイメージしたまえ 3)

 「さ、腕を出そう。注射するからね」「廊下に立っていよう。宿題忘れたんだから」「こっちを向こう。涙を拭いてあげるから♡」など、結局は高飛車な命令を示す「う」の用法は現代日本語の文法にもキチンと残っている。日本語は面白い。
 断定の語尾「のだ」が命令を表すなどというのも、日本語独特、世界に類を見ない。「立ち上がるのだ!!」「諦めてはならないのだ!!」「この長文読解問題を急いで読むのだ!!」「歯を食いしばるのだ!!」「さあ、前を向くのだ!!!」「そこに控えておるのだ!!!」である。
バトリョ4
(カサ・バトリョ内部。海底をイメージしたまえ 4)

 「あれれ、カサ・バトリョの話をするんじゃないの?」と顔をしかめたアナタ。アナタはクマ中納言の性格をまだ全く理解していませんな。膝を乗り出して興味津々で話に耳を傾けようとしているヒトを、あえてはぐらかさずにはいられないのが、中納言ちゃんの性格なのだ。
 中納言ちゃんで気に入らなければ、中奈ゴンちゃんということにしてもよろしい。ゴンちゃんは、9月上旬のカサ・バトリョに入って、その余りの蒸し暑さにノッケからムクれていたのである。
 こんな狭苦しい場所に、限界以上の人数が押し込まれ、暑さと狭さと汗臭さと圧迫感のせいで、みんな沼の金魚みたいに口をパクパクさせているのに、
「ここは海底なのです」
「海をイメージしました」
「どうです、一切の直線を排除し、あらゆる直線を波打つ曲線で置き換え、全存在の運命である溶解と融解と消滅の予感を、静謐のうちに示したのです」
そんな難しいことを考えていたら、こちらの脳と胃袋のほうが腐って融けていきそうだ。
 脳はともかく、胃袋の融解を防ぐには一杯の冷えたビールか、せめてガッサータ(炭酸水)が不可欠なのだが、諸君、芸術鑑賞の場には、酒や飲食は厳禁である。難しい顔のお役人や、難しい顔の先生がたや、難しい顔の芸術愛好者の皆様が決してそれを許さない。
バトリョ5
(カサ・バトリョ内部。海底をイメージしたまえ 5)

 ダリやミロやピカソやガウディを見るのに、「シラフで見ろ」とは何とも理不尽なことである。他の誰より(他のダリより)彼ら自身が「酔ってからミロ」「シラフで見るのはヤメてピカソ」「そう願ウディ」とニヤニヤしていそうものだが、ここでは、作者や芸術家の好みは無視して、マジメなルール作成者の意図が優先するのである。
 難しいヒトたちが作ったキマリをチャンと守らないと、全てが直線的に整然と整理され、垂直に交わる直線以外は全て邪悪と判断する現代社会では生きていけない。
「蒸し暑いから、ビール!!」
「狭くて汗臭くてイヤだから、炭酸水!!」
そう叫んだ途端、クマでもウワバミでもゴンちゃんでも、マトモな社会の外にポイと放り出されることになる。
バトリョ屋上
(カサ・バトリョ内部。海底をイメージしたまえ 6)

 こういうわけで、直線を排し歪んだ曲線で海底を表現したカサ・バトリョで、直線的ルールにガンジガラメになりながら、クマ中納言はもうムクれ放題にムクれていたのである。
(言及した「風邪気味」については、「早めのパブロン」でもう元気になりつつあるから、心配は一切ご無用でございます)

1E(Cd) Midori & McDonald:ELGAR & FRANCK:VIOLIN SONATAS
2E(Cd) Canadian Brass:BACH:GOLDBERG VARIATIONS
3E(Cd) Venessa Williams:LOVE SONGS
4E(Cd) Michael White Project:SIDE BY SIDE
5E(Cd) Solti & Vienna:WAGNER/DIE WALKÜRE①
total m106 y1742 d7699