Wed 111116 赤い皆既月食と星に切迫感を覚える クマの出で立ち グレースーツの断捨離 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 111116 赤い皆既月食と星に切迫感を覚える クマの出で立ち グレースーツの断捨離

 12月10日夜、昨夜に続いてクマはすっかり野生に戻り、少しずつ欠けていく月を眺めながら、家の前の路上で酔っぱらっていた。手にしていたのは焼酎のお湯割りである。外があんまり寒いので、焼酎は濃いめに、しかし熱湯もタップリ注いで、とにかく身体の中から暖めることに全力を注いだ。
 近所のヒトたちも何度か外に出てきたけれども、みんな寒さに驚いて、すぐに暖かい家の中に戻っていった。向こうの方で2階の窓が開き、「うわ、スゴいや」と「うわ、寒いや」の声が交錯して、あっという間に窓はしまってしまった。
 だから、完全な皆既食になる瞬間は、クマ蔵ただ一人が代々木上原の路上に立ち尽くしていたのである。ちょうど日付が変わる頃で、月は中天にあり、右の端にわずかに残った輝きが消えると、月は赤い魚卵を一つ、夜空に浮かべたように見えた。
箱の中のニャゴ
(箱づめニャゴ)

 こりゃ、落ちてきそうである。しかも、たとえこっちに向かって落ちてきたとしても、ピンポン球か小さなお手玉みたいに軽やかにバウンドして、また冷たい夜空に戻っていきそうである。
 魚卵として食べてみても、まあその辺の普通の魚卵みたいなもので、旨くもマズくもなさそうだ。魚卵に見えてしまったのは、手にした焼酎のせいだったかもしれない。この日はもう濃いお湯割りを6杯も7杯も飲み干した後で、「何か濃い味のツマミはないか」、クマ蔵の心はひたすらツマミを求めていたところだったのだ。
 せっかく赤い皆既食を見たら、せめて宇宙の神秘とか、無限とか、かぐや姫のこととか、そういう高尚なお話に頭が満たされていくのが常識なのだろうが、諸君、クマ蔵はやっぱり野生のクマなのだ。首が痛くなるほど夜空を見上げ、風邪を引きそうなぐらい凍えながら、頭の中はひたすら「魚卵」に占められていた。
深夜のニャゴ
(午前3時の熟睡ニャゴ)

 この夜の今井君の出で立ちをみたら、周囲のヒトたちは腰を抜かしたに違いない。まず、ジャージ上下。その上にチャンチャンコ。チャンチャンコの上から昨日のブログに示した「20年目のコート」を羽織った。足は、メンドクサイのでサンダル。手には、湯気の上がる焼酎の茶碗。想像してみたまえ。挙動不審で尋問されてもおかしくない。
 月が欠けていくに連れ、周囲の星の輝きも凄みが増していった。今井君は高校の地学の授業を怠けたけれども、小学生時代に「気象と天文の図鑑」をほとんど暗記するほど何度も何度も眺めていたから、星座とか、星の温度とか、距離とか、その手の話には強い。
 ひけらかすのはヤメておくが、月が欠け、光が次第に弱まっていくに連れて、最近の東京では滅多に見られないほど数多くの星が、スゴミのある光を放ちはじめたのが嬉しかった。オリオン座しか知らない人だって、あの夜は感激に黙りこくってしまっただろう。
 皆既食中の魚卵の月は、時間が経過するとともに球の感覚を失って、オレンジ色の丸い板状に変わっていった。球から円へ、こうなると「落ちてくるよ」「降ってくるよ」という切迫感が緩んだ。
 すでに外に出て1時間、サンダルの足が寒さに痺れ、首が痛くなって後ろにひっくり返りそうになった短足クマどんは、そろそろネグラに戻ることを考えはじめた。切迫感こそ感動の根源であって、オレンジ色の丸い板なんか眺めていたら、皆既食になった瞬間のスゴミを忘れてしまいそうである。
アイロン台の上のナデシコ
(ナデシコによるアイロン台占領)

 小学何年生の時だったか、優秀な今井君は「かいき月食のきろく」を先生に提出したことがある。当時は秋田市土崎港の国鉄職員宿舎に住んでいて、近くの2階建て独身寮の外階段から一晩中観察、チャンと絵日記みたいに経過を記録して、翌日1時間目に意気揚々と提出したわけだ。2階建て独身寮は、黒々とした巨大な建物に見えたものである。
 すでに数百年前の記憶であるが、あの夜もオレンジ色の板は印象的だった。コドモだった今井君には、オレンジというより不気味な血の色に見えて、そのぶん切迫感も痛切だったのである。「皆既食になったら、月は真っ黒になるはず」と思い込んでいるコドモの心に、空に浮かぶ血の色の球や円がどんな恐怖をもたらすか、考えなくてもわかる。
 ところがその観察記録が、先生や友人たちに真っ向から否定されたのである。「この時間は皆既食だったはずだ」「そんな赤い月なんて、あるはずがない」「今井君が、ウソを書いてきた」というのだ。
 諸君、小学生の今井君はあんまり優秀なので♡友人たちも遠慮してしまい、「今井君」と呼んだ。毎日夕暮れまで一緒に野球に興じる親しいヤツでも「今井チャン」がやっと。それ以上親しみを込めた付き合いなんか、考えられないほどの優秀さだったのだ♡
箱の中の猫とクマ足
(箱づめニャゴと、クマ蔵の足)

 そういうことを思い出しながら、中天にオレンジ色の円盤を置き去りにして、クマ蔵はネグラにもどった。とりあえず熱い焼酎をもう1杯。手でつかめるほど近くに浮かんでいた魚卵の記憶を、温かい脳みそで包み込みながら、それをツマミに2時頃まで酔っぱらって、ソファで物凄いイビキをかいて居眠りした。
 居眠りから醒めたのは、午前3時。「物凄いイビキ」について知っているのは、自分のイビキの音で目覚めたからである。クマの足許の白いザブトンで、同じように白いニャゴが暖かそうに丸くなって熟睡していた。ネコというものは、クマのイビキにも恐れを感じないらしい。
 こうして、一夜が明けた。欠けていく月、輝きを増す星々、葉の落ち尽くした木の枝。見上げるクマの、酔いに曇ったマナコ、ネグラの中の高イビキ、丸まって寝ぼける白いネコ。これでどこかから犬の遠吠えが聞こえたら、あんまり全てが揃いすぎて、また絵日記でも描いてみたくなるほどの素晴らしい一夜だった。
グレースーツ1
(断捨離を決意したグレースーツ 1)

 翌朝、断捨離を思い立った。10年ほど着古したグレーのスーツである。これもゼニアだけれども、グレーという色は、着古してクリーニングを繰り返すと、次第に黄ばんでくるものである。「黄ばんできたな」と意識すると、やがて黄ばみは濃くなって、ほとんど茶色がかって見えるようになる。黄ばみが茶色に見えるほどのスーツを講演会に着てはいけないし、まして長く画像として残ってしまう収録授業には、絶対に使えない。
グレースーツ2
(断捨離を決意したグレースーツ 2)

 そう思っていたところへ、左の袖の肩口がホツレてきた。服について「故障」という表現は普通しないけれども、こりゃまさしく故障である。この故障を修理してもらうには青山のゼニアショップに持ち込むしかない。
故障した袖
(故障した袖の付け根)

 しかし、こんなに黄ばんで茶色くなった服を、あえて高いお金を払って修理&修繕する必要があるか。物を大事に使うことについては決して人後に落ちないことを自負するクマ蔵であるが、ここは思い切って断捨離を決意。10年しっかり役立ってくれたことを感謝し、ブログに写真を掲載して、長く栄誉を讃えることにした。
番外編
(番外編、もう1つの断捨離。「擦り切れるまで着る」の実践編)


1E(Cd) José James:BLACKMAGIC
2E(Cd) Kenny Wheeler:GNU HIGH
3E(Cd) Hungarian Quartet:BRAHMS/CLARINET QUINTET
4E(Cd) Billy Joel Greatest Hits 2/2
5E(Cd) Reiner:VERDI/REQUIEM①
total m85 y1571 d7528