Sat 111029 函館で講演会 教授ってそんなことも講義するの? 祝勝会と、様々な出会い | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 111029 函館で講演会 教授ってそんなことも講義するの? 祝勝会と、様々な出会い

 11月20日、正午に「男爵倶楽部」を出て、講演会場に向かう。天気は曇り。明日から本格的に寒気が入り込んで積雪が予想されているから、天気としては「何とか間に合った」という感じ。ただ、風はもうすっかり冷たくなって、低い千切れ雲が空を走る様子がさすが北海道である。
 講演会場は、北海道教育大学・函館校。もちろん戦前の「師範学校」であって、函館の他に旭川校・札幌校・岩見沢校・釧路校がある。ほとんどみんな「先生になりたい」という志望に燃える、素晴らしい大学である。
 若い諸君は師範学校と言われても分からないだろうが、昔&昔そのむかし、教師のことを「師範」と呼び、「師」であり「範」である崇敬に値する人物でなければ教職につけなかった。だからこそ「聖職」なのであって、教育界のお偉方が「万策尽きた」とホンネを漏らすような不祥事の連続は、師範の世界には考えられなかった。
 講演会開始まで2時間もあったので、大学構内を歩いてみた。日曜日なのにたくさんの学生が出てきて、学食や読書室で活発に活動しているようである。掲示板を見ていたら、写真のような掲示物を発見した。阿部教授の「教職論A」、なかなか面白そうな講義であるね。
教職論A
(阿部教授「教職論A」)

 それにしても「先生と生徒の恋愛問題」とは、大学教授も楽ではないでござるね。そんな「アベラールとエロイーズ」以来の大問題を、20歳そこそこの大学生を並べて講義なり討論するなりするなんて、今井君なら恥ずかしさ&面映さで冷や汗ものの経験だ。
 別に、アベラールどんやエロイーズちゃんでなくてもいい。ジャン・ジャック・ルソー様も、プラトン君にソクラテス先生も、それどころか真田広之&桜井幸子の「高校教師」だの、田山花袋「蒲団」から石坂洋次郎「若い人」まで、みんなこの大問題に取り組んで、マトモな結論に到った人は皆無である。
 田山花袋チャンなんか、女弟子が出て行った後、その蒲団の匂いをかぎながら転げ回って葛藤に苦しむ大先生の姿を活写した。何だ、そりゃ? 昔の日本文学って、ケッコ激しいんジャネ? この問題、言わば人類永遠の問題のうちの1つかもしれないのだ。
 昭和日本の家庭の本棚を飾った「世界文学全集」は、その多くがその問題に占められていたと言っても過言ではない。ものを教えてくれる存在を「先生」と呼ぶなら、上司、先輩、従兄姉や年若い叔父叔母、さすがに代議士先生は論外としても、医師や家庭教師、牧師や司祭にいたるまで、広範囲の先生の存在が、どれほど文学に影響を与えたか、カンタンに計り知ることはできないのである。
 先生への憧れと感動と尊敬を語ることが、同級生カップルの彼氏や彼女にとってどれほど危険であり続けたことか。どれほど暗く深い嫉妬の渦を巻き起こしてきたか。古代人に季節と方角と宿命とを教えた太陽や月や星まで「先生」と呼べば、話は文学を超えて哲学や宗教を貫通し、永遠とか永劫の物語にまで通じてしまう。
北海道教育大学
(北海道教育大学・函館校)

 もちろんこの教授の授業はそんなところまでは踏み込まないのであって、90分の講義は「決して生徒を傷つけてはならない」「不祥事は避けなければならない」「注意して行動してね」という、ごくありふれた警告で締めくくられるのである。
 うにゃにゃ、今井君は誰もいない日曜日の師範学校で、そういうバカげたことを考えながら古びた黒板の前を何度も往復し、机間巡視を試みた。そして結局クマ蔵は気づく。何も難しく考えることはない。この講座は「恋愛」についてであって「師弟愛」とは一言も書いてないのだ。たったそれだけのことで、今井君の心配は全部カンタンに消滅してしまう。
 しかしそれにしても、大学の「教職論」って、そんな難しい問題まで教室の中で論じ合わなきゃいけないんだ。こりゃたいへんでござるね。教授と学生がどんな顔で話し合うのか、学生はどんなレポートを書くのか。具体的なケーススタディが次から次へ登場したら、絶叫しないで耐えられるのか。
 毛むくじゃらのクマちゃんは、自分が学生の立場でも教授の立場でも、全力疾走でその授業の場を逃げ出したくなるに違いない。いつの世も、立派な「師」であり「範」であるための修業は、生半可な決意では耐え抜くことの困難な、厳しいイバラの道なのである。ま、「百ます計算の真実」ぐらいだったら、気の弱い今井君にも講義できますけどね。
函館1
(函館での講演会 1)

 こうして、教職の厳しさを再認識しながら散歩しているうちに、講演会の開始時間が迫った。この段階で「大教室ですが、マイクが故障しています。マイクなしでお願い出来ますか?」と尋ねられたが、もちろんそんなコトは朝飯前だ。
 むしろ、マイクを使用して講演が間延びし、生徒たちが睡魔に襲われて討ち死にするのがイヤなので、100名程度の小規模講演なら、今井君はマイクがあってもマイクを使わない。その方が遥かに臨場感が高まって、生徒ばかりか講師の盛り上がりにもプラスに働くことが多い。
 函館講演会、14時開始、15時40分終了、出席者160名。保護者や高校の先生の参加もあり、大講義室はほぼ立錐の余地のない大盛況となった。教室内の音響も良好で、「マイクなし」は一切問題なしだ。
 講師は昨夜の「秋田高校校歌斉唱」以来の上機嫌を堅持。それどころか、「よかったら、ここでも1回アカペラ熱唱しましょうか」という勢いである。講演が進むに連れて、上機嫌の上に更なる上機嫌が積み重なり、上機嫌はあっという間に出席者全員に伝染した。こんなに皆がよく反応してくれる講演会は、むしろ珍しいぐらいである。
函館2
(函館での講演会 2)

 11月から「チャンとした授業部分も40分あり」の新しいテキストに切り替えたが、それも功を奏している。「ほとんど雑談でモチベーションアップ」のバージョンをしばらく使用してきたけれども、それだとどうしても「授業だと思ったから出席したのに」という数名の生徒が不機嫌になる。そういう生徒と目が合うたびに、講師も何となく気が引けて、講演に熱中できなくなる。
 11月からテキストを切り替えて、本当によかったのである。ただ、まだ若干テキストに慣れていなくて、函館講演も約10分の延長になってしまった。ま、どんなにうまくいっても、反省の余地はどこにでもあるのだ。
 終了後、掲示板のところでこの大学の女子学生に挨拶された。「去年まで今井先生の授業を受けていて、今はここの学生です」「ありがとうございました」というのである。一種の「デマチ」であるが、挨拶されて嬉しくないはずはない。「先生になるんですか?」の問いにも、明るく頷いてくれた。
ソーセージ
(函館ビアホールのソーセージ群)

 塾長先生と、函館港近くのビアホールで祝勝会。さすが秋田高校の先輩だけあって、ラグビーについても野球についても、たいへん詳しい方である。「ラグビーのことなんか全く知りません」という若いスタッフ相手に、1時間もラグビー談義を続けて、楽しい祝勝会になった。
 ビアホールの雰囲気もなかなかであって、これからクリスマスイルミネーションが点灯されれば、若い諸君、諸君のためには素晴らしいデートスポットになりそうであったよ。
 函館地方は強風が吹き荒れていたが、帰りの飛行機は順調に飛んだ。函館空港で今度は男子学生が近づいて「医学部受験生です」「ずっと今井先生の授業を受けてました」「祖母が亡くなったので、これから東京でお葬式です」と挨拶してくれた。非常に礼儀のしっかりした、有望そうな若者である。最後の追い込み、全力を尽くしてくれたまえ。
 同じ飛行機に、「マサカリ投法」の村田兆治が乗っていた。ありゃま、彼とはつい2ヶ月前に東京・幡ヶ谷の床屋さんで隣り合ったばかりである。同じ有名人を2ヶ月で2回も目撃するなんて、今井君はラッキーである。受験生諸君、これからもどんどん今井の授業を受け、ますます今井ブログを愛読して、この今井のラッキーさを吸収し、ラッキー今井にあやかりたまえ。

1E(Cd) John Coltrane:AFRICA/BRASS
2E(Cd) Bill Evans:GETTING SENTIMENTAL
3E(Cd) George Duke:COOL
4E(Cd) Joe Sample:RAINBOW SEEKER
5E(Cd) Joe Sample & Lalah Hathaway:THE SONG LIVES ON
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