Tue 111025 坂の上の雲の上、古代の神々の怠惰と無為 とにかく旨い(ギリシャ紀行16) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 111025 坂の上の雲の上、古代の神々の怠惰と無為 とにかく旨い(ギリシャ紀行16)

 ミコノス2日目、何をして過ごしたか。たった3ヶ月前のことなのに明確な記憶がない。要するに何もしなかったのであるが、何もしなかったからイケナイとか、「ボクはダメなヤツだ」とか、「もっと勤勉にならなきゃ」という反省が一切ないところが、さすがにクマどんである。
 「何をして過ごしたか」の記憶は消えてしまったが、「どう過ごしたか」の記憶はキチンと残っていて、「ハイ、怠けて過ごしました」「怠惰に過ごしました」と告白するしかない。もともと今井君はギリシャに「何もしない」をしようと思って出かけたわけだから、ミコノス2日目のクマ蔵は、実に目的にかなった行動をしたのである。
港の風景
(ミコノス旧港付近の風景)

 「怠けて」「怠惰に」という副詞は日本では常にマイナス評価の対象であるが、その辺がこの国の文化の未成熟を露骨に表すものであって、怠惰・無為・「何もしない」をプラス評価できないようでは、文化もヒトもまだ発展途上、発展の坂道の登り口にやっととりついた程度。坂の上の雲の上では、古代の神々が寝そべって、永遠の無為と怠惰を楽しんでいるかもしれない。
セントニコラス
(ミコノス旧港、セントニコラス教会)

 もっと情けないのは、whatとhowの判別すらつかない人である。「ギリシャに2週間滞在してきました」「リスボンで半月過ごしてきました」と言うと、「そんなところに、何しに行ったの?」「何もない所じゃないの?」と怪訝そうな質問が返ってくる。
 問題の焦点は「何をするか」ではなくて「どう過ごすか」であり、しかも今井君の場合、疑問副詞howへの応答は「怠惰に」「怠けて」「ボンヤリと」なのである。副詞で始まる疑問文に、名詞で答えないと「意味不明!!」と叫ぶ、そういう余り賢くない人が多いうちは、文化は成熟も爛熟もしていないのだ。
浜辺のネコ
(浜辺のネコ。夕空に巨大なコンマみたいに浮かんでいた)

 こんな難しいことをツベコベ言っていると、またまた「イミフ!!」ということになる。「ツベコベ」は「うだうだ」「グダグダ」になって、マイナス評価は留まるところを知らない。クマ蔵としてはwhatよりhowが好き、要点よりグダグダが好き、意味より無意味のほうが好き。そういう趣味の存在を許容する人が増加して、初めて成熟と豊穣が見えてくる。
 というわけで、自分でも何が何だか分からないが、意味のない文章を書いて、読んで、口が曲がるほどの笑いがこみ上げてきて、そういうところに豊穣がある。お菓子もコーヒーも、酒も詩も、高歌放吟も、豊穣の性質としては同じことであって、「何の役にも立ちません」「栄養になんかなりません」こそ、こうしたものの本質であり本領である。
おお、あのネコか
(昨日のネコにまた会って、挨拶をかわす)

 酒を飲んで笑い転げている人に、「そんなことをしても無意味です」「お酒に栄養はありません」と真顔で忠告するような、あまりにも信心深いオカタには、爛熟と豊穣の喜びは理解しにくいものらしい。
 その種の気難しいオカタにも理解できるように、あえて8月25日午後の今井君の行動を具体的に記しておこう。
 ミコノス「ヨルゴの店」で朝食を食べ終えたのが、すでに正午近い。クマ蔵は目玉焼きの食べ方1つにも凝っていて、まず周囲の白身をキレイに食べて、真ん中の黄身をまん丸く残す。「コドモみたいなことするね」「意地汚いことするね」「食べ物で遊ばないようにね」と叱られそうである。
 しかし諸君、そこから一気に山場が訪れるのだ。とろんとろんの黄身がプルプル震えているところを、まん丸のままフォークで注意深く口に運ぶ。そして絶対に崩れないように「一口でパクリ」が原則。温かい黄身が口の中でドロンととろける瞬間が、目玉焼きのクライマックスなのだ。
 しかも、黄身が崩れてお皿にどろんと黄色いのが残ると、見苦しいじゃないか。見苦しいと、旨いものも旨くないじゃないか。というわけで、クマ蔵が食べた目玉焼きのお皿は、まるで舐めつくしたようにキレイである。
高級そう
(何となく高級そうなネコに出会う)

 「ヨルゴの店」を出たクマ蔵は、巨大クルーズ船から降りてきたたくさんの団体客が、オドオド&キョロキョロ街を歩き回る流れに逆行。旧市街から海を左手に見て西方向へ。巨大船も停泊できる新港の方まで散歩してみた。
高級ネコに導かれる
(ネコはお店に連れて行こうとする)

 3日後にはミコノスから船に乗ってサントリーニに移るから、その出航時刻を調べ、チケットも受けとらなければならない。そうやって炎天下を歩き回れば、もちろん喉が渇く。頻繁な水分補給は必須である。もちろんその「水分」をミネラルウォーターで補給するなんて、そんな味も素っ気もないのは決定的にイヤだから、水分は黄金色でアブクの出るものでなければならない。
 「ビで始まってルで終わる飲み物が大好きだ」と言ったところ、10年前の代ゼミの諸君は「ビックル」や「ビッテル」を教卓の上に差し入れてくれたものだが、そういう意地悪なことをクマにするのは可哀想である。
船の時刻表
(ミコノスから周囲の島に、フェリーや高速船が出ている)

 ギリシャは暑いから、ほとんどの店ではグラスも冷凍庫でキリリと冷やしてくれていて、黄金色のアブクの飲み物は格別に旨い。真冬のロンドンやウィーンで、真っ白い息を吐き、凍えそうになりながら、店の外でビールを飲んでいる若者をよく見かけるが、あれは何かの間違いだ。
 うにゃにゃ、そうやって海辺をほっつき回り、疲れるたびにビで始まってルで終わる飲み物をゴクゴクやっているうちに、マコトに都合のいいことに、早くも夕暮れの気配が忍び寄ってきたのを、クマどんは敏感に感じ取った。
ヨサゲな店
(ミコノス、迷路の中のヨサゲな店)

 時計は、午後3時。「夕暮れの気配」も何も、まだ日没まで5時間も残っている。実際には今こそ1日のピークなのであるが、クマが夕暮れを感じ取ったら、それで間違いなく夕暮れなのである。クマでも人間でも、ピークにこそ衰退の気配を感じる能力がなければ、一流ではない。
 「秋きぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞおどろかれぬる」であって、「秋」を他の名詞に代えれば、この世の中のどんなことにも通用する。そこで、午後3時の海の風に夕暮れの気配を意地でも感じ取ったクマどんは「そろそろメシにするか」と決めた。
昼飯アントニーニ
(アントニーニ、見栄えの良くないパスタ)

 もちろん「メシ」というより、「酒」なのであるが、入った店は昨日と同じ「アントニーニ」。昨日はタクシースタンドでの争奪戦と攻防戦、伏兵の登場とアメリカンおばさまの敗退、そういうものにすっかり気をとられてメシも酒もちっとも味が分からなかったから、もう一度この店に挑戦することにした。
 注文したのは、昨日と同じstuffed calamariとワケの分からないパスタ料理。パスタのほうは、写真の通り余り見栄えのいいシロモノではなかったが、イカ君はやっぱり旨い。「どう旨いか」と聞かれても困るし、日本のグルメ番組みたいに「やわらかーい♡」でも「甘い!!」でもないが、とにかく旨いのである。
アントニーニのイカ
(またまたstuffed calamari)

 昔々、今井君の好きな吉田健一は「とにかく旨いのだ」と書いた。こういう言い方が大好きなので、今井君は神田神保町の古本屋を歩き回って、とうとう吉田健一全集を買いそろえたほどであるが、旨いものを食べていちいち「やわらかーい♡」「甘いんですね♡」と説明しなければならないようでは、やはり豊穣も成熟も爛熟も程遠い。
夜景
(ホテルの部屋から、オルノス海岸方面の夜景を眺める)

 以上、ほぼ完全に無為に過ごしたミコノス2日目の記録である。これを読んで「無意味」「意味不」と呻く人は、仕方ない、半年ぐらいミコノスに滞在してみて、何もしない無為の日々の素晴らしさを、経験してみるしかない。
ウゾ
(無為のおともはouzoがいい。ouzoに飽きたらスープもいい)


1E(Cd) Wand & NDR:BRUCKNER/SYMPHONY No.8①
2E(Cd) Wand & NDR:BRUCKNER/SYMPHONY No.8②
3E(Cd) Bruns & Ishay:FAURÉ/L’ŒUVRE POUR VIOLONCELLE
4E(Cd) Collard:FAURÉ/13 NOCTURNES①
5E(Cd) Collard:FAURÉ/13 NOCTURNES②
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