Tue 111011 長野から大牟田まで移動 蜂の子を食す 大牟田で講演会 三池工の記憶 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 111011 長野から大牟田まで移動 蜂の子を食す 大牟田で講演会 三池工の記憶

 11月3日、最初から覚悟していたものの、長い長い移動の1日になった。長野県長野市から福岡県大牟田市への移動である。
大牟田1
(11月3日、大牟田での講演会)

 この場合、長野から松本を経て川沿いに進み、名古屋に出て、名古屋から福岡に向かうルートも考えられなくはない。名古屋→福岡は飛行機でも新幹線でもいい。「駅探」によれば、長野始発の特急「ワイドビューしなの」で、名古屋まで3時間である。
 松本から名古屋に向かう中央線は、山脈にはさまれた景色のいいところだ。そろそろ紅葉も始まっている。もし疲労が蓄積していなかったら、いつもの暢気なクマ蔵のこと、このルートを楽しんだに違いない。しかし諸君、昨夜の飲み過ぎが祟って、どうも気楽な観光気分になれない。
長野駅
(長野駅、新幹線ホーム)

 昨夜のクマ蔵は、「蜂の子」「馬刺」などという長野名物でついつい調子に乗り、あっという間に4合瓶をカラッポにして、公開授業の疲れを癒した。「蜂の子」と聞いて身の毛のよだつ人もいるだろうが、要するにハチの幼虫であって、小さな芋虫を醤油か何かで甘辛く味付けしたシロモノである。
 今井君の父・三千雄は、山形の山奥育ちのクセに、こういうものに対する嫌悪感のカタマリのようだった。ヘビは平気なくせに、トカゲの類いが視野に入るなり飛び上がって、三段跳びの要領で遥かカナタまで逃走するような、たいへんフシギな御仁である。
 豪快な人物で、列に割り込みしようとした中学生5人を左手1本でなぎ倒し「チャンと並べ」と低く一喝した。その現場に幼いクマ蔵はコグマとして居合わせて誇らしかったが、その父でも「うぇっ、小型の芋虫みたいなもんだべ」と、蜂の子の話題が出ることさえ許さなかった。
アルクマ
(信州のキャンペーン・キャラクター「あるくま」。要するに、リンゴをかぶって歩くクマである)

 ちょうどブログに北杜夫追悼の記事を書いたところだったので、数十年前に読んだ「どくとるマンボウ青春記」の記述を思い出しながら、蜂の子なんぞを味わった。あれれ、「昆虫記」だったかもしれない。そろそろ「御仁」「なんぞ」はヤメにして、普段の文体に戻ろうと思うが、ま、とにかく昨夜は飲み過ぎた。
 長野発9時26分の新幹線「あさま」に乗り、いったん東京に戻ることにした。長野オリンピックが1998年。あれから15年近くが経過して、ホテルも寂れ、飲食店街も寂れ、観光客も減って、この街はすっかり元に戻ったようである。いいことじゃないか。薄っぺらいのはヤメたほうがいい。
 東京まで1時間半。東京駅から羽田まで1時間弱。羽田空港のラウンジでちょっとゆっくりして、12時半の飛行機で福岡へ。機内のお弁当は宮城県松島「松庵」のサンマ御飯である。サンマ、旨かった。ちょっとゴハンの量が多すぎるような気がしたが、とにかくこういうところでもBy Tohokuである。
 福岡のホテルにチェックインして1時間ほど過ごす。今日からプロ野球クライマックスシリーズが始まって、福岡市民は大いに盛り上がっている。気温も高くて25℃の夏日。ついさっきまでいた長野は13℃だったから、その差12℃。年老いて疲労の蓄積したクマ大師には、このギャップがツライ。
豪華なお部屋
(ANAクラウンプラザホテル、クラブフロアの豪華なお部屋)

 最後の締めくくりに九州新幹線に乗って、いよいよ新大牟田に向かう。博多→新大牟田は40分ほど。新大阪からくる「さくら」のグリーン車はどうも狭苦しいが、たった40分なら別に構わない。ただ、何でせっかくのグリーン車を壁で区切って、あんなに切迫感のある窮屈な小部屋にしてしまったのか、クマ蔵はフシギでならない。
大牟田2
(大牟田での講演会 2)

 新大牟田着16時08分。大牟田市中心部からクルマで15分もかかる山の中に、無理やり切り開いたばかりの駅である。スーパーもマンションのような背の高い建物は一つも見当たらず、店も家も人の姿もない。不動産屋の黄色いノボリが、生温い風の中に空しく翻るばかりである。
 新幹線を降りたニンゲンはクマ蔵を入れてわずか5名。キツネやタヌキやウサギさんも一緒に降りたかもしれないが、彼らは改札を通る必要がないから、近くの竹やぶ経由で山の中のネグラに帰っていったはずである。
大牟田3
(大牟田での講演会 3)

 大牟田での講演会、開始18時、終了19時20分、出席者約130名。会場は三井系「大牟田ガーデンホテル」大広間。本来なら90分の講演を、会場の都合で80分に縮めなければならなかったが、そこはさすが老練なクマ大師のこと、見事80分に詰め込んで、しかもいつも以上の盛り上がりを確保した。
 半世紀前に三井三池炭坑で栄えた街だ。ホテルだって何だってみんな三井系であって、その繁栄は昭和40年・甲子園での三池工優勝に象徴される。今井君の頭の中では「大牟田は九州を代表する大都市」なのだが、中心部もすっかり寂れてしまった。
豪華な控え室
(大牟田ガーデンホテルの豪華控え室)

 そのとき準決勝で三池工に敗れたのが、我が秋田高校である。8回まで3-1でリード、楽勝ムードの秋田高は、「明日の決勝・銚子商戦」に備え、エース大久保に代えて、控え投手の鐙を投入。これが裏目に出て、逆転の3点ホームランを打たれ、惜しくも準決勝敗退となる。
 うーん。余りにも詰めが甘いのだ。その恨み骨髄に達しているクマ蔵は、すでに4回目の大牟田講演である。大牟田に来るたびに、逆転負けが悔しくてならない。
 同じように、京都に行くたびに「大正4年第1回大会での決勝戦」を思い出して泣きそうになる。京都二中vs秋田中の決勝は、1-1のまま延長戦にもつれこみ、延長12回、秋田中の内野ゴロエラーで決着。1世紀が過ぎて、いまだに「東北地方の優勝」はゼロのままだが、何のことはない、わが秋田高校には優勝を手中にしかけた歴史が2回もあるのだ。
大牟田4
(大牟田講演会、最後に花束をもらう)

 うにゃにゃ、こうして大牟田講演は無事終了。帰りはノンビリ西鉄で福岡に帰って、天神あたりで一杯飲んでいくのも悪くはなかったが、プロ野球観戦帰りのヒトビトの渦に巻き込まれるのがイヤだったので、やっぱり新幹線で普通に博多に戻ることにした。
新大牟田駅1
(誰もいない新大牟田駅)

 諸君、夜の新大牟田駅の強烈な静けさには、誰もが一驚を喫すると思う。是非とも一度経験してみたまえ。「これじゃ、強盗に狙われませんか?」とクマ蔵は駅員さんに尋ねたものだが、駅員さんは苦笑いするばかり。駅ホームに上がった客は、ホントにクマ大師1人であって、人の気配は一切感じられない。夢のなかのような静寂である。
新大牟田駅2
(新大牟田駅、人っこ1人見当たらない新幹線ホーム)

 ホテル到着、21時。ホテルのご好意で「クラブフロア」の豪華な1室に低料金で入れてもらえた。さすがにプラチナ会員であるね。どうも、この日の疲労は極に達していたらしく、「メシもルームサービスでいいや」ということにした。
 ソファにもたれ込んで、大牟田でいただいた日本酒「箱に入った大吟醸・箱入娘」を飲みながら、ルームサービスのカレーを食べた。ライスが蒸かし直したような軟メシで、カレーは台無しだったが、ま、要するにルームサービスである。あまり要求を高くする必要はない。
箱入り娘
(実際に箱に入った「箱入娘」大吟醸)


1E(Cd) Incognito:BENEATH THE SURFACE
2E(Cd) Incognito:100°AND RISING
3E(Cd) Incognito:LIFE, STRANGER THAN FICTION
4E(Cd) Sheila E.:SEX CYMBAL
5E(Cd) Sheila E.:SHEILA E.
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